~続き~ 勇者とゴブリン
「今日から第二営業部に配属になりました、神九条理人です。名字、長くて呼び辛いんで、リヒトって下の名前で呼んでください。ええっと趣味はゲームと、読書と・・・」
四月に入社したリヒトの配属先は営業部。「期待に胸を膨らませて―」なんて言葉はお世辞にも使えない、第二希望の中堅IT企業。そこそこの経験を積んだらもっと上位の大企業に転職したい。そんな希望だけが心の支えだった。
「期待しているからな。うちの会社は激務の割りに給料が安いけど、やりがいはある。頑張れ」
入社早々、笑顔で肩を叩く先輩のその言葉に、一日もはやく辞められるように頑張ろうとリヒトは誓った。
先輩の言葉どおり、仕事は忙しかった。
入社して数ヶ月で家にもまともに帰れなくなった。客先近くのホテルで夜遅くまで仕事をして週末に帰れればいいほう。会社で寝泊りする日も多かった。
励ましの言葉をくれていた、大学のときから付き合っていた彼女とも入社して半年後には連絡もとらなくなって別れた。
性格がどんどん暗くなっていき、口数が減った。
忙しすぎて友達と会う機会も減った。相談しようにも会社の周りの人たちもみんな忙しそうで、声をかけるのも躊躇われた。みんな自分ひとりが生きるだけで精一杯なのだ。
瞬く間に二年目、三年目と時間は過ぎていった。
どれだけ頑張っても給料は変わらない。預金は増えることもなく結婚なんて夢のまた夢。転職活動しても弾かれることばかり。たいした学歴も経験もないのだから当然なのかもしれない。
「なんでこんなことになったんだろうな」
終電の窓ガラスに映る自分の顔。老けて精気がない。まだ二十代なのに三十代後半にも見える。
小さい頃から親にいわれるがままに勉強して、受験に失敗してそれなりの大学に行って、それなりの会社に入って。それなのに生きることがこんなに大変だなんて。
大人になったら自由に生きられる、なんて嘘だ。
この国では世の中のあらゆるところまで細かくルールは行き渡っている。一度ルールから外れたり、敷かれたレールから落ちたら、もう元に戻る術はない。この国の社会はルールやレールから外れた者に容赦がない。きっと満足に生きていくことさえできなくなるだろう。
―これが死ぬまで続くのか―
地獄、とは思わない。明確な辛さや痛みを感じられるなら、それに対して反抗すればいい。だけど何に反抗すればいいのかも分からない。
例えるなら壮大な茶番だ。
『ここまでよく頑張ってきましたねー。じゃあここから一人コントを演じてもらいますー。いつまでって?死ぬまでですよー。はい、始め!』
大学の卒業式での歓声が、こんなくだらない茶番の開始のベルだったなんて。
「またお前か。これで何度目だ?ったくふざけやがってよー。お前の脳みそはからっぽか?俺の身にもなれよ」
誰もいなくなった深夜のオフィス。毒づきながら眼の前に座るのは部長の鈴木。ねちねちと嫌味が多いパワハラ部長。部下に仕事を振るだけで、自分はいつも定時に帰る。キャバクラ通いと、酒を飲みながらのネトゲとドラマ視聴が趣味。人が働いている時間に飲む酒はさぞかしうまいことだろう。
「お前今月どれだけ残業しているんだ?休日出勤とか申請するなよ。働くなら自己研鑽ってことにしとけ」
―じゃあ、意味不明の仕事まで振るなよ―。
でかけた言葉を飲み込む。こっちはもう何週も働き通しで土日も休めていない。
「部長、資料の件ですが―」
「俺の言葉を遮ってんじゃねえよ!ったく、これだから最近の若い奴は―」
スイッチの入った鈴木の顔が異形の化け物のように歪み始める。
リヒトは小説を読むのが好きだ。
最近流行の「転生もの」も好きで読むが、転生ものと現実の一番の違いは、「登場人物の誰もが論理的で話が通じること」だということにリヒトは働き始めて気付いた。
物語の中では、人も魔物も強い奴が尊敬される。論理的に話が通じるし、損得勘定で明確に交渉が成立することが多い。しかしそれは物語の中だけのことだとリヒトは社会人になって気付いた。
「だいたいなあ、お前この数字の意味わかっているの?それになんだよこの資料の色使い。お前俺のこと舐めてるの?舐めてるんですか?あ?」
眼の前の小太りの鈴木が激昂して顔を紅く染めていく。
―第二形態に進化。
こうなると何を言っても通じない。疲れ果てるまで悪態を突きながら自分だけの論理でまくし立て続ける。
言葉が通じないのは鈴木だけじゃない。
言ったことを九割以上覚えていない客先の担当者、誰もが好き勝手なことを話してまるで意見のかみ合わない社内ミーティング、世の中には意思疎通のできない人たちが溢れていて、そんな人たちが仲良しコミュニティをつくって自分たちの好きなように社会のルールを決めている。
「まじで茶番だな」
「あ!?なに?茶番だと?あ?どういうつもりだ、このポンコツが!お前にはいくら説教しても説教し足りない―」
眼の前で人の言葉をまくし立てるゴブリンのような鈴木の言葉に、リヒトの中で何かが切れた。
気付いたら眼の前にゴブリン鈴木が倒れていた。
頭から血を流している。手には血に濡れたはさみ。どうやら自分が刺したらしい。物語ならモンスターをクリティカルヒットで倒して賞賛されるべきところだが、現実では警察の厄介になることになる。人の言葉が通じない、害悪をもたらすモンスターを倒したという点では同じなのに。
「あ―」
はさみを捨て、椅子から滑り落ちるようにしてへたり込む。
鈴木は浅い呼吸を繰り返している。だけど助けようという気にはならない。息を吹き返せば襲ってくることが確実のモンスターをなんで助けなければならないんだ?
「まじで・・・まじで糞だな」
座り込んだまま顔を手で覆う。
どうやってもクリアできない、バッドエンドしかないゲームを延々プレイさせられているような徒労感。
「なんで、こんななんだ?誰がこんな風にした?」
呟いたリヒトの前に、気付くと一人の女子高生が立っていた。
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