第3話
「こ、ここ、こんにちは」
次の日。いつもの場所に先輩が来ていたので声をかけると、ノートパソコンに真剣な顔で向き合っていた先輩が顔を上げた。
『こんにちは』
「そ、そ、それ、しょ、しょ、小説、書いてるんですか?」
先輩はパソコンに何か打ち込むと、僕に画面を見せる。
『今度、新人賞に応募してみようと思っていて。それに向けて書いています』
「す、すごい……せ、先輩なら絶対、じゅ、受賞できます。が、が、頑張ってください」
そう零すと、先輩は少し顔を赤らめてはにかんだ。
『ありがとうございます。頑張ってみます』
僕年下なので敬語じゃなくて大丈夫ですよ、と言うと、先輩は頷いてキーボードを叩く。
『蒼君も、小説書いてみる?』
「えっ!」
下の名前を呼ばれたことに驚いて思わず大きな声を出してしまった。ていうかそもそも先輩僕の名前覚えてたんだ。
「い、いや、た、確かに、よ、読むのは好きですけど、で、で、でも、ぶ、文章書くの、苦手だし……」
書き方とかもわからないしと視線を彷徨わせる。
『苦しいことがあるなら、一度それをそのまま書いてみてほしい』
それに、書くのも結構楽しいと思うよと、黒曜石のような澄んだ瞳で、先輩は僕をまっすぐに見た。
「ぼ、ぼ、僕が、先輩の小説に、す、救われたみたいに、ぼ、僕も、だ、誰かの、ここ、心を、か、軽くすることはできますか?」
おずおずとそう尋ねると、先輩は大きく頷いた。
『もちろん。人を救える小説は、同じ痛みを知ってる人にしか書けないよ』
帰宅後。早速先輩がおすすめしてくれた小説投稿サイトで、書き始めてみることにした。
アカウントのフォロワー欄には、「スイ」という先輩のアカウントがある。フォロワー数は五百人超え。流石だ。
作品数は五。その中の一つは、あの時読ませてもらったものだ。
一つを選んでタイトルをタップすると、文章が映し出された。
やっぱり先輩はすごい。
全て四千字くらいの短編だったので一時間程度で全部読み終わると、僕はいったんスマホの電源を落とした。真っ暗になった画面に映る自分と目が合う。
水瀬先輩の小説は、作品ごとのメッセージがはっきりしていて、読むと大切なことに気づかされる気がする。
僕はどんな小説を書こう。スマホを置いて、布団に仰向けで寝転がる。
ぐるぐる考えていると、ふと、今日の先輩との会話を思い出した。
「き、き、聞かないんですか? ぼ、ぼ、僕の喋り方、に、ついて」
先輩があまりに普通に話し続けてくれるものだから、とうとう自分から切り出した。
カタカタとパソコンに文字が打ち込まれる。
『蒼君が話したいと思うなら、聞く。でも、話したくないなら、無理に聞いたりはしない』
「ど、どうして……」
『君だって、私が喋らない理由を聞かないでしょ?』
先輩は少し考え込むような素振りをして『蒼君には聞いてほしい』と続ける。
『私は心因性失声症っていう病気のせいで話せない。これは、名前の通りストレスとか心的外傷とかで声が出せなくなる病気。私は』
そこまで打ち込んで先輩の手が止まった。
キーボードに触れた手が微かに震えている。ただでさえ透けるように白い肌が、色を失っていた。
「……は、は、話してくれて、あ、ああ、ありがとうございます。で、ででも、話したくないことは、む、む、無理に、はは、話さなくても大丈夫ですよ」
おずおずとそう言うと先輩は『ごめん』と俯いた。長い黒髪が先輩の表情を隠す。
「ぼ、僕は、き、吃音っていう、しょ障がい、みたいなものを、も、持ってます」
声を震わせながら、そう切り出した。
治すためにはたくさん話せと言われているが、それが苦痛だと話す。
先輩は暫く手元に目を落とした後、キーボードを叩いた。
『気持ちを伝えるには絶対口で話さなきゃいけない、って訳ではないと思う』
僕が黙ったままその言葉の真意を考えていると、先輩は続ける。
『たとえ喋るのが苦手でも、小説なら、登場人物が声を貸してくれる』
『だからとりあえず、小説書いてみて』と先輩はまっすぐに僕を見た。
よし、とりあえず自分のことをそのまま書いてみよう。
僕はスマホの画面をもう一度開いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます