幕間

第28話 悪魔たちは高らかに嗤う

 大神殿最奥、玉座の間……精悍なる顔に不敵な笑みを浮かべながら玉座に座すハルモニア皇帝ゼノンの御前に、死天衆の面々が次々と音もなく姿を現した。


 アスモデウス、アザゼル、アモン、バアル──そして、リーダー格のベリアル。アモンを除く全員が、眼前に座すゼノンと同様、口元を歪めて不敵な笑みを浮かべていた。


「──予想通りでしたね、陛下」


「うむ、其方の申す通りであったな……ベリアル?」


「はい──滅亡の元凶たるベルフェゴールは死亡……聖教会のクズ共が送り込んできた、天使シェムハザ率いる地上監視部隊"グリゴリ"もセラフィナたちによって全滅。その上、大精霊モレクまで排除済み。上出来です」


「うむ……これで心置きなく、彼の地にが出来るな」


 玉座の間に、アモンを除く全員の笑い声が響き渡る。セラフィナたちを涙の王国へと赴かせたのは、決して調査目的などではなかったのだ。


 涙の王国に居座っていた堕天使ベルフェゴールを、セラフィナという圧倒的な武力を用いて排除し、緩衝地帯となっていた涙の王国へと帝国軍を進駐させる。それこそが、ベリアルとゼノンの真の狙いだったのである。


 ベルフェゴールやモレクといった邪魔者たちを排除し、涙の王国へと帝国軍を進駐させれば、彼の地に与えられていた緩衝地帯という機能は消失し、聖教会に属する各勢力はハルモニアによって、自らの喉元に鋭利な刃を突き付けられたも同然となる。全て、ベリアルの狙い通りだった。


「では、陛下……予定通り涙の王国へは、堕天使エリゴール率いる帝国第三軍を進駐させます。あの者の前では、聖教騎士団すら恐るるに足らぬ存在となるでしょう」


 堕天使エリゴール……死天衆に次ぐ強さを有する彼は、生まれながらにして戦の天才であった。常に数手先の未来を読む力を持っており、未だ敗北というものを知らない。


「エリゴールならばその役目、適任であろうな」


 ベリアルの言葉に、バアルが賛同を示す。アザゼルとアスモデウスは何も言わなかったが、ニヤニヤと笑っていることから反対するつもりは毛頭なさそうだ。


「アモン──君は、どう思いますか?」


 ベリアルはすっと目を細めながら、アモンを見つめて穏やかに問い掛ける。返答次第ではただでは済まさぬ──そのような思いが、氷を思わせる冷たい視線から、ひしひしと伝わってくる。


「……異存はない。私も、エリゴールが適任だと思う」


 アモンの返答に満足したのか、ベリアルは白い歯を見せながら無邪気な子供のように笑う。


「では、宜しいでしょうか……陛下?」


「他ならぬ其方の提案だ。断る理由もない。エリゴールと第三軍に対し、予定通り進駐する旨を伝えるが良い」


「流石は陛下……ご英断に御座います」


 ベリアルは胸に手を当てながら、恭しく頭を下げた。


「ところで、ベリアルよ──セラフィナたちの今後についてだが、どうするつもりだ?」


「はい、陛下。セラフィナたちは一月ほど、グノーシス辺境伯領にて療養させるつもりです。傷や疲れも癒えぬ内に次なる任務へと駆り出すのは、流石に酷というものでしょうから」


 シェイドは軽傷だったが衰弱しており、セラフィナは左腕の筋肉の一部が断裂する重傷を負っていた。治療に専念させた方が良いという彼の考えは、至極尤もであると言えた。


「それに──セラフィナが保護した第一王女キリエ。あの者も、まともに動けるようになるまでは暫く時間が掛かるでしょう」


「第一王女キリエ……ベルフェゴールの置き土産か。しかしベリアルよ、お前も物好きだな。セラフィナが彼女を引き取ることを、珍しくあっさりと了承するとは。悲劇の王女に対して、要らぬ同情でもしたのか? それとも、穢れを知らぬ良い女だったから、後で抱こうとでも思っておるのか?」


 アスモデウスが鼻で笑うと、ベリアルもまた、彼の挑発に応じるように端麗なる顔に冷笑を湛える。


「まさか──私は君と違って、多淫でも色好みでもありませんので。生憎、私は人間の女には、これっぽっちも興味や関心などないのですよ」


「ほぅ……左様か」


「そうですね、強いて言うなら……セラフィナの身を守るための駒を探す手間が省けたな、と。見たところ、どうやら治癒魔法の心得があるようですので」


「ふむ……そういうことに、しておこうか」


 ベリアルという朴念仁を相手に、人間の女との情事に耽けることが如何に素晴らしいのかを説いても無駄だと悟ったのか、アスモデウスはあっさりと引き下がった。


「……話を戻すぞ。ベリアルよ、セラフィナの左腕は元に戻るのであろうな?」


 眼前で繰り広げられたアスモデウスとベリアルのやり取りに、やや呆れた調子でゼノンが尋ねると、


「はい、陛下。ご心配に及ばずとも、一月ほど静養させれば治りますとも。白磁を思わせる柔肌に、傷痕が若干残ってしまうかもしれませぬが……元よりセラフィナは、肌を露出させることを好まぬ質ゆえ、さして問題にはなりますまい」


 左腕に傷痕が残るかもしれないと聞き、ゼノンの顔が一瞬険しくなるも、ベリアル相手に怒りを露わにしたところで無意味だと分かっているのか、直ぐに元の不敵な笑みを浮かべた状態へと戻った。


 ベリアルに牙を剥くのは、百害あって一利なし。彼に歯向かうのは羽虫がドラゴンに立ち向かうようなもので、勝ち目など万に一つも存在しないのだから。彼の言うことには下手に逆らわず、大人しく従っておくのが最も安全だということを、ゼノンは良く理解していた。


「……そうか。では、ゆっくりと休ませてやるが良い。長旅の疲れも溜まっておるであろうし、今後のことを考えると、今の内に英気を養って貰わねば困るからな」


「畏まりました、陛下。仰る通り、セラフィナたちには英気を養って貰わねば困りますからな」


 英気を養って貰わないと困る──同じ言葉でも、ゼノンとベリアルとでは意味合いが全く異なっていた。ゼノンの場合は単純に、傷付き疲れているセラフィナを労う意図があったが、ベリアルの場合は、今後もセラフィナには馬車馬の如く働いて貰わないと困るという意味合いが、多分に含まれていた。


 そんなことを知ってか知らずか、ゼノンとベリアルは互いの顔を見つめて高らかに笑う。それにつられて、バアルやアザゼルたちも愉快そうに笑い声を発した。


 ただ一人──アモンだけが、セラフィナたちの今後を憂いているのか、自分を除く全員が声を上げて笑っている中で、何処か陰鬱そうな表情を浮かべていた。

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