壊れる絆 (シュウ)

 そろそろ帰って来てもいい時間だが、結果はどうだったんだろうか。

 

 病院に行った愛梨からは連絡はない。

 GPSアプリを見れば分かるのだろうが…… 今の心境ではとてもじゃないが見ようとは思えない。


 愛梨を待っている間、頭の中には『離婚』という文字がはっきりと浮かぶようになってきた。


 もし愛梨が産むにしても、堕ろすにしても…… どんな選択をしたとしても……


 こんなに苦痛な時間は今まで味わったことがない。

『あの時こうしていれば』と今更ながら沢山の後悔が押し寄せてきて、頭がおかしくなりそうだ。


 もし旅行に行かせなければ。

 もし気付いた時点で止めていれば。

 もし…… 俺が逃げなければ……



  愛梨…… 愛梨……


 そして…… 何も出来ずにずっとソファーに座りうつ向いていると、玄関のドアが開く音が聞こえてきた。


 一瞬身体が強張り振り向くのが怖くなったが、顔を上げて玄関の方をゆっくりと見ると……


 泣き腫らした顔の愛梨が、まるで幽霊のように立っていた……


「……シュウ」


「……おかえり、どうだった?」


「…………」


 そしてフラフラとした足取りで俺に近付いてきた愛梨は、俺の足元に崩れるように座り込み




「……検査したけど、子宮の中に胎嚢たいのうは確認出来ない、だって…… 『化学流産』したんじゃないかって言われた……」


 化学流産……


「……受精卵は出来たけど ……何かの異常が原因で着床しなかったみたい ……生理がきてないのは、生活習慣か、ストレスからじゃないかって……」


「じゃあ妊娠は……」


「してない……」


 妊娠は…… していないのか……


『良かった』と思った……

『良かった』と思ってしまった……


「うぅっ…… うぅぅぅっっっ!!」


 言い終わると同時に愛梨は泣き崩れてしまった。

 

 どうしていいか分からず、見ているしか出来ない……

  

 そんなに妊娠してないことが悲しいのか?


 そんな事を思ってしまった俺だったが……


「……病院で検査結果を聞いた時『良かった』と思ってしまったの!! ……私の身勝手な行動のせいなのに! 妊娠してなくて…… 本当に『良かった』って! うぅぅっ…… こんな自分勝手な私なんかじゃ…… 『母親』になる資格なんて…… うぅぅっ…… ない、よぉ…… うぅぅぅ…… うわぁぁぁぁぁぁぁぁん!!」


 

 そして……


「ごめんなさい…… ごめんなさい…… ごめんなさい…… ごめんなさい…… ごめんなさい…… ごめんなさい…… ごめんなさい……」


 誰に謝っているのか…… 俺になのか…… 生まれることの出来なかった子になのか…… 

 冷静になれば答えなんてすぐに分かるのに……


 ……………………


『生活も安定してきたし、そろそろいいかなぁーって思うんだけど』


 ……………………



 何度も何度も『ごめんなさい』と繰り返し『捨てないで』と俺の足に縋り付いている……


 そして、この事があってから、愛梨は壊れてしまった。




 ◇



『今、洗濯をしています』


『洗濯終わりました』


『掃除をしています』


『掃除終わりました』


『何時頃帰れそうですか?』


『それまでにご飯を作っておきます』


『買い物に行きたいんですけど、外出していいですか?』


『準備をして今家を出ます』


『今帰りました』


『何時頃帰れそうですか?』


『今リビングで休憩しています』


『何時頃帰れそうですか?』


『家でちゃんと待ってます』


『何時頃帰れそうですか?』


『家でちゃんと待ってます』


『何時頃帰れそうですか?』


『家でちゃんと待ってます』





 あれから二ヶ月。


 腕は完全に治ったとは言えないが車を運転出来るようになり、俺は仕事に復帰することにした。

 復帰と言ってもまだ腕が不自由だから、お客さんとの打ち合わせや軽作業くらいしか出来ないけど。


 そして愛梨はというと…… ほとんど家に居て、自分の行動をメールで逐一報告してくるようになってしまった。


 家に帰れば笑顔で駆け寄り出迎えてくれるが……  うつろで死んでいるような目をしている。


 時々、突然泣き出しては『ごめんなさい』『捨てないで』『愛してる』と壊れたおもちゃのように繰り返すようにもなってしまった……


 こんな愛梨は見たくない、このままではお互いに駄目になってしまうと思っているのだが、どうしていいか分からないんだ……


 もちろん病院に連れて行こうとしたが…… 


『やだぁぁぁ! 捨てないでぇ! お願いします! お願いします!』


 と、病院前で縋り付いて車から降りようとしてくれないので、俺が精神的に参って諦めてしまった。


「ただいま……」


「あっ! うふふっ、おかえりシュウ!」


 伝えた時間に帰らないと何度も連続でメールが届くし、酷い時には何度も着信もある……


 二ヶ月もこんな生活をし、誰にも相談出来ずに困っている。


 俺も愛梨も、もうそろそろ限界だと思っていた。


「お疲れ様! ご飯もう用意出来てるからね? すぐに食べれるから、あっ! お風呂も準備出来てるから大丈夫だよ!」


 そう言いながら俺の手を握り微笑む愛梨、だがやはり目は死んだようにうつろなまま……


 家に居れば視界に俺が入ってないと安心しないのかすぐそばに来て、俺が動くと付いて回り、風呂や寝る時も離れない。


 拒否なんて出来る訳ないだろ…… この状態の愛梨を拒んだら…… 何をするか分からなくて怖いんだ。


 愛梨がこんな風になることを望んでいたのか? ……愛梨を『許す』だとか『許さない』とか考えていた俺は。

 苦しんでいたのは俺だけだったのか…… ずっと…… ずっと苦しんでいたのは誰だったのか…… 愛梨がこうなるまで追い込んだのは誰だ? ……きっと俺なんだ。


 ずっとどこかで俺は『被害者』だという気持ちが強かった。

 でも愛梨がここまで壊れてしまったら、俺も『加害者』になるんじゃないのか?


 愛梨のしたことは普通、簡単に許されることではない。

 でも、だからといって許されないなら何をしてもいいのか?

 愛梨だけが悪いわけじゃないのに……

 むしろ愛梨も『被害者』なのに……



 いや…… 答えを先延ばしにして、何もしなかったから愛梨は……


 やっぱり全て…… 『俺のせい』なんだ……


 ごめん…… 愛梨……





 何が『愛してる』だ……

 

 俺は愛梨の何を見ていたんだ……


『シュウ……』


 愛梨はあれから必死に償おうとしてたじゃないか……


『シュウ……』


 愛梨は必死に愛を伝えていたじゃないか……


『シュウ……』


 愛梨は俺だけを愛してくれてたんだよ…… ずっと…… ずっと……


 そうじゃなければ今頃…… 

 


 …………あっ!


 

 俺達の…… 思い出の詰まった、どうしても外すことを躊躇ってしまう、ペアのペンダント……


 そのペンダントのチェーンが突然切れて、首から外れて床に落ちた。

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