立ちはだかる二人の間の壁 2

 興信所から受け取った資料はこの際もうどうでもいい、これ以上何もなければ今のところ相手をどうこうするつもりもないし、既に詳細は愛梨の口から語られたから。

 最悪興信所に預けてあるから何とでもなる。

 でも、俺はそんな事よりも愛梨が『自分は汚れてる』と思っていたことに驚いている。


 だから俺がパソコンでメールの確認するのを阻止し、震える手で愛梨自ら確認していたんだな。


 汚れた自分を俺にも、自分にも見せたくなかったんだ…… 信用を取り戻せなくなるとかではなく、単純に……


 愛梨をそうさせているのは…… 


 考えればすぐ分かる。

 極端に愛梨から距離を取るように生活をし、触れられると気分が悪くなり不快な顔をする俺のせいだ。


「うぅっ、うぅぅぅっ……」


 このままだと俺が許せるようになるまでに、先に愛梨が壊れてしまうのではないか?

 そんな思いが頭をよぎる。

 だけど…… 身体は言うことを聞いてくれない。


 今も泣いている愛梨をただ見つめているだけ、手を差し伸べることすらできない。


「……必要ないから、捨ててくれても構わなかった…… 気にしなくていい」


「うっ、うぐぅっ、ごめん…… なさい……」


 謝ってばかりだ…… 愛梨だけが悪者ではないのに。

 自分の不甲斐なさに腹が立つ。

 自然と涙が出てきて、泣きながら愛梨が落ち着くまで立ち尽くしていた。

 

 しばらくすると愛梨は立ち上がろうとしてよろめき、倒れそうになっていた。

 そんな姿を見て思わず


「愛梨、少し休んだ方がいい、ベッドで寝ていいから」


「うぅっ、ダメ、だよぉ…… 私なんかがベッドで寝ちゃ……」


「いいから休むんだ! 汚いなんて…… 思ってないから」


「ごめんなさい…… うぅっ、ごめんなさい、少し…… 休ませて、もらいます……」


 ずっと朝早くから夜遅くまで俺の面倒を見つつパソコンに向き合い仕事をし、床に布団を敷いて寝て、夜中に俺がトイレに起きたら飛び起きて介助するくらいだ、寝不足になっているに決まってる。

 許せるか分からないけど、そんな俺でも愛梨のボロボロの姿は見たいと思わない。


「とりあえず寝た方がいい…… そばにいるから」


「うん…… ありがとう…… ごめんなさい……」


 そして、久しぶりにベッドで横になり、目を瞑ろうとする愛梨…… だが少しすると目を開け、俺の顔をチラリと見て目を閉じる…… それを何度も繰り返している。


「……目が覚めるまでここにいるから」


 寝てしまえば俺がいなくなるとでも思っているのか…… いや、腕が不自由じゃなければこの重苦しい雰囲気に耐えられず逃げ出していたかもしれない。


 だが、逃げられない…… もう逃げないと決めたじゃないか。


「だから大丈夫、ここで見てるから」


 そして俺は…… 布団から出ていた愛梨の手を握った。


「っ!? あ、ありがとう…… ごめんね……」


 そう言って再び目を閉じた愛梨は、涙を流して…… しばらくすると寝息が聞こえてきた。


 身だしなみには気を使っていたはずなのに…… 髪はボサボサで、少し頬も痩けて見える。

 腫れぼったい瞼は治らず、いつも隠れて泣いているんだと、顔を見れば分かってしまう。


 手は握れるんだ…… 何をやってるんだ俺は……

 

 そして俺は、愛梨が目覚めるまで握り慣れているはずの、でも少し冷たい手をしっかりと、温めるように握り続けた。





「シュウ…… シュウ……」


 ついウトウトしてしまい少し目を閉じていると、愛梨の声が聞こえてきた。


「……愛梨?」


「そんな格好で寝てると、身体が痛くなっちゃうよ?」


「あ、ああ…… すまん」


「もう起きるから…… 眠いならベッドを使って? ……嫌かもしれないけど」


 そう言って寂しそうに笑う愛梨を見て、少しだけ…… 許せない気持ちよりも、悲しい顔をさせていることに、愛梨にそんな顔をさせたくないという気持ちが勝り


「愛梨…… そのままでいいから、隣に寝てもいいか?」


「だ、駄目だよ…… 私なんかの隣に寝たら……」


「俺がそうしたいんだ、少しだけでいい」


 そして俺は愛梨が寝ている隣に横になり、無事な方の手で愛梨の手を再び握った。


「シュウ……」


「自分でもどうしていいか分からない、でも今は愛梨の手を握っていたいんだ」


 少し身体は離れているが、しっかりと愛梨の手を握り、俺は目を閉じて仮眠することにした。


 さっきまで冷たかった愛梨の手が少しずつ温かくなっていく。

 一人では広過ぎたベッドで隣に誰かが寝ている温もりを感じつつ、いつの間にか眠りについていた。



『うふふっ、シュウ……』


『シュウ…… 愛してる……』


『シュウ……』


 愛梨…… 愛梨……


 ああ、やっぱり愛梨が幸せそうに笑っていてくれる姿を見ているだけで嬉しかったんだよな…… 俺は……


 悲しい顔をさせたくない……


 許せる、許せないは後でいい……


 ただ、悲しい顔をさせないように生活していけば…… いずれ答えは出るんじゃないかと思う。


 ずっと一緒に居るとしても、もし別れを選んだとしても最後は笑顔で別れられるように……


 

 目を覚ますと横には愛梨が眠っていた。

 俺が手を離さないから仕方なく愛梨ももう一度眠ったのかもしれない。

 ただ、そんな愛梨の寝顔は心なしか穏やかに見える。


 俺も久しぶりにちゃんと眠れたような気がする…… 近付けないのに近くに居ると安心するんだろうか…… おかしいよな。


 そして、しばらく横になり手を握ったまま、愛梨の寝顔を見つめ続けた。

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