立ちはだかる二人の間の壁 (シュウ)

 あれから一ヶ月、俺はその間に手首の手術をし、またギプスで固定して安静にするようにと言われていた。


 仕事は親父に面倒を見てもらっているからとりあえずは大丈夫だが、何もする事がないと気を紛らわすのも大変だ。


 だが俺達はあれから一歩も前に進めていない。


 相変わらず献身的にサポートしてくれる愛梨だがその顔は暗く、化粧も全くしていないので、目の下の隈や顔色が少し悪いのも隠せていない。


 ほぼ一日一緒に居て、愛梨が出掛けるといえば日用品や食材の買い物くらい、しかも毎回寄り道もせずに真っ直ぐ帰ってくる。


 それに愛梨のスマホにはGPSアプリが登録され、俺はいつでも愛梨のいる場所が確認できるようになっている。


 そして常に家の中では愛梨のスマホは俺が見れる状態にあり、買い物中に持ち歩いた後は必ず不審なメールや電話がなかったかチェックさせられる。


 身の潔白を証明したいのは分かるが、まるで俺が愛梨を監視しているみたいじゃないか。


 一回思わずそう言ってしまったことがあるのだが、それでも愛梨は泣いて確認してくれと頼んできたので、それからは何も言わずに確認するようにしている。


 でも、スマホを見たところでほとんど誰からも連絡は来てないし、している様子もない。

 やましい連絡があれば隠れて履歴を削除すれば分からないんじゃないかと疑ってしまうだろ? ただ、スマホを確認する俺を見つめる愛梨の、ある意味狂気じみた眼差しは…… 疑う気すら無くなってしまう。


 だから最近は少し会話でもして、家の中を漂う重苦しい雰囲気を少しでも軽くしようと試みているのだが、愛梨はどこか遠慮がちに答えて、その後は気まずくなりすぐに会話は終わってしまう。


 お互いの間にある見えない壁は、相当分厚くなっているのかもしれない。


 俺もまだ許せるとまでは言い切れないが、愛梨の告白を聞いた時に比べれば、少しは愛梨に歩み寄っていると思う。


 だが、身体は別で…… 愛梨に近付かれると無意識に拒絶してしまう。


 あの動画を見てから男性としての機能も何も反応しなくなってしまったし……


 愛梨の裸を見ようが、他の女性の動画や画像などを試しに見ても無反応…… 

 そしてそれは愛梨も気付いているみたいで、お風呂での介助中もチラリと見ては泣きそうな顔をしている。


 愛梨のせいなのに……


 ……はぁ、せっかく許せるよう努力をしている途中なのに、醜い嫉妬心のような黒い感情はまだ現れてしまう。


 でも…… 努力をしないと維持出来ないほどの夫婦関係って、もう駄目なんじゃないか?


 だけどお互いに『離婚』という言葉は出てこない。

 少なくとも俺は…… 愛梨とは別れたくない。

 俺には愛梨しかいない、だからこそ…… 悲しさと苛立ち、罪悪感が大きくなってしまい、こんな事になっているんだよな……


 ふとリビングの片隅で仕事をしている愛梨の方を見ると、向こうも俺の方を丁度見たタイミングだったらしく、バッチリと目が合った後、愛梨は目を泳がせながら逸らした。


 気が合うからか、何となくいつもタイミングが合ってしまうんだよな。

 ミラーリング、というやつなのかもしれない。

 好きな人同士がお互いの動きを見て、無意識に同調して動いてしまうという……

 それくらいお互いの事を好きだったはず、なのに…… 今はそれも気まずい原因になっているなんて笑えないよ。



 家事や生活のほとんどを愛梨にさせて、俺はほとんど何もせずボーッと過ごすだけ。

 たまに親父や取引先から来る電話や連絡が来るぐらい。


 その日は仕事での連絡をメールで確認して欲しいと取引先に言われ、仕事部屋にあるパソコンの電源を久しぶりに入れてみた。


 すると、愛梨は酷く怯えたような顔をして仕事部屋に入ってきた。


「シュウ、な、何をしてるの?」


「いや、取引先から確認して欲しい資料があるっていうから……」


「私が先に確認する!」


 いきなり大声を出した愛梨にビックリしてしまい、そのまま愛梨に場所を譲ると……


「……うん、大丈夫、大丈夫…… だよね、うん……」


 マウスを操作する愛梨の手がブルブルと震えている。

 メールボックスを何度も何度も確認し、ようやく


「ごめんね…… 取引先のメールってこれだよね?」


 そして愛梨は引きつった笑顔で再び場所を譲ってくれて、俺はようやく資料の確認ができた。


 ただ、そんな愛梨の様子を見ていて思った。

 あの動画を見て、ショックを受けたのは俺だけじゃないということを。

『上手く編集した動画』と言っていた愛梨もきっと……


 その後、愛梨は俺が確認している間ずっと俺の後ろに立っていた。

 あの動画は愛梨が完全に削除したのに、また新たな動画が送られてきたら困るからなのか……


 でも不安になっているというか、怖がっているように見える。

『復讐』と言っていた愛梨の言葉を信じるなら後者なのかもしれない。


 そしてふと机の引き出しを見てみると…… 興信所で調べてもらった資料が無くなっている。


「愛梨、もしかして……」


「…………」


 あの日、帰って来たら引き出しにしまっていたはずの資料は机の上にあった。

 そして俺はまた引き出しに片付けたんだが…… 処分したのか?


「うっ…… うぅっ…… ごめんなさい…… 私が、持ってます……」


「動画といい、証拠が残ってたら困ることでもあるのか?」


「違う!! 困ることなんて…… ただ、写真の中の自分が…… 酷く汚れて見えて…… 耐えられなくて…… そんなものをシュウの近くに置いておいたら…… シュウまで汚れる気がして…… 勝手なことをして、ごめんなさい…… うぅぅぅぅぅっ……」

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