目覚め、そして療養 2
利き手が使えないというのは不便だ。
しかもあちこち痛くて動くのも億劫になる。
本当なら家に居たくないのだが、こんな状態じゃ車も運転出来ない。
「…………」
飯を食うのも大変で、スプーンやフォークで食べているが、利き手じゃない手で食べていると、食べられなくはないがもどかしさがある。
そして、そんな俺を介助するためか、愛梨が隣に無言で座っているのも…… 気まずい。
そして今朝、親父から連絡があり、今受けている仕事を、怪我をした俺の代わりに親父が臨時で引き継いでくれるみたいで、取引先や下請けの業者には親父から連絡してくれる事となった。
とりあえず仕事に関しては一安心だが『仕事は俺が何とかするから気にするな、たまには愛梨ちゃんとゆっくり過ごせ』なんて、親父なりに落ち込んでいる俺に対し気を利かせて言ったつもりなんだろうが、落ち込んでいる理由も違うし、今は…… ゆっくりなんて過ごせないよ。
「……ごちそうさま」
「……はい」
そして、席を立とうとすると、すかさず愛梨が俺を支えるために立ち上がり、肩を貸してくれる。
ありがたいとは思うが…… 贖罪のつもりなんだろうか。
このまま何も語らず、逃げられない状況の俺に尽くし、最終的に赦しを得ようとしているのか…… そんな風に思うなんて愛梨のことをもう信用してないからかもしれない。
無言でも目を合わせようとしなくても、愛梨は離れようとせず俺に付きっきり。
「……別にそこまでしなくてもいいから」
「…………」
何を言われようと離れない、と言わんばかりにうつ向いたまま、それでも俺の側にいる。
それよりも…… 食事やトイレなどはまだ良いが、一番困っているのは風呂だ。
右腕は使えない、左腕も打撲で上がりづらくなっているから、身体を洗うのに問題がある。
それも愛梨が何も言わず手伝い、一緒に風呂に入ってきて俺の身体を洗ってくれる。
だが、愛梨の裸を見ても…… 何も反応しない。
今までなら少しは反応してしまったのだがさっぱりだ。
……それどころか裸の愛梨を見ると、どうしてもあの動画の内容を思い出し、吐き気がして気分が悪くなる。
「…………っ、流すね……」
チラリと横目で愛梨の顔を見ると、悲しそうで申し訳なさそうな顔をしているから、俺の雰囲気で何となく気付いているんだろう。
前はなんとか自分で洗い、俺が洗い終えると愛梨も上がり、着替えを手伝ってから、今度は愛梨一人で入ってと二度手間になるが俺を優先しているのは伝わってくる。
そして脱衣場を出ると同時に、堪えていたのか愛梨のすすり泣く声が聞こえてきて……
この気持ち…… 誰か分かってくれないかな…… 許したい、でも許せない、愛梨が悪い、でも俺もきっと悪いんだろう…… 怒るに怒れず、泣くにも泣けない、ぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃと頭の中が掻き回され、結局何も言葉が出てこない……
誰かに相談…… 『妻に不倫をされたんだが、どうしていいか分からないから教えてくれ』って聞くのか? いや、答えは『離婚』か『再構築』だろ、気持ちの整理の仕方なんて誰も教えてくれない。
一日二日で答えが出るものじゃないかもしれない、でも答えが出ないこの時間が苦しいんだ……
風呂上がりも何もする気が起きず、点いているテレビをボーッと眺めているだけ。
しばらくすると愛梨が風呂から上がってきて、俺が居るのを確認してから髪を乾かしていた。
……逃げるとでも思ったんだろうか。
まあ、前科があるからな。
そして髪を乾かし終わった愛梨が用意して、何も言わずそっとテーブルの上に置いた冷たい麦茶を一口飲む。
今までだったら笑いながら『乾杯』とでも言っただろうけど、とにかく俺は今、愛梨との関わりを最低限にしようとしている。
憎いから…… ではなく自分の心を守るためなのかな…… もう一日中考えているから疲れてしまった。
「……もう寝るよ、おやすみ」
「……うん、おやすみ……なさい」
寝室に入り、一人になると大きく深呼吸をしてから深いため息をついた。
今の愛梨と二人きりは息苦しい。
それにしても、愛梨…… 昨日よりも目は腫れて、隈は酷いし顔色も悪い…… 今日一日、どこも出掛けず化粧もしてなかったから余計にそう思うのかもしれないが。
愛梨のスマホは俺に見えるようにテーブルに置きっぱなしで、触っている様子もなかった。
元カレから連絡が来ないから出掛ける必要もないのか? ……どうでもいいけど。
そして身体を庇いながらゆっくりとベッドに横になる。
ただ、一日ほとんど動いてないし、考え事のし過ぎで眠気がしない。
痛み止めを飲んだから眠くなると思ったんだかそうでもない。
頭はこんなに疲れているのに、怪我をしても身体は元気なんだろうな…… 体力勝負の仕事でもあるから普段から身体を動かしているし。
眠れずに天井を見つめ続ける。
どうせ眠れないならスマホでもいじって暇潰しでもすればいいんだろうが、やはり何もする気が起きず、ただただ天井を見つめ続けた。
しばらくすると、寝室のドアが開き、愛梨が音を立てないよう近付いてきた。
俺は慌てて寝たふりをしたが、気付いてるのか気付いてないのか分からないが、間近に愛梨の気配を感じた。
そして……
「ごめんなさい…… ごめんなさい……」
まるで、取り憑かれたように俺の寝顔に向かって『ごめんなさい』と時々泣いているような声で繰り返す愛梨。
俺は返事をしないよう寝たふりを続け、しばらくすると……
「シュウ…… おやすみなさい……」
そして愛梨は昨日と同じく、三角座りで壁に寄りかかったまま、目を閉じていた。
◇
朝、目が覚めると既に愛梨は寝室に居なかった。
あの後、愛梨の寝息が聞こえ始め、少し目を開けて見てみるとまた毛布も掛けずに寝ていたので、風邪を引かれたら困ると思い、昨日と同じように毛布をかけてやったのだが、愛梨が寝ていた場所に綺麗に畳まれて置かれていた。
ベッドの横にあるテーブルにはまた痛み止めと水が用意されていて、それを飲むために仕方なく身体を起こし、飲んでから寝室から出た。
するとリビングのソファーでテレビも点けずうつ向き気味で座る愛梨の姿が目に入った。
俺が起きてきたのに気付いたのか、愛梨は俺の方をゆっくりと向き、そして……
「シュウ…… おはよう……」
「……ああ、おはよう」
「あの…… こんな私と話をするのは嫌かもしれない、けど…… 話を…… 聞いてもらえませんか? ずっと考えていたけど、失った信頼を取り戻せるとは思わない…… でも、これからもシュウと一緒に居たいと思うなら、私が…… たとえ嫌われても、今までの嘘や隠し事を正直に話さないと、シュウの怒りや悲しみが収まらないだろうと思って…… だから…… シュウの都合の良い時でいいから私の話を聞いて下さい、お願いします……」
酷い顔だけど、その目は覚悟を決めたような目をしている。
嫌われても、俺に許される可能性があるなら何でもするというような…… 執念も感じる。
逃げずにお互いに向き合わなければいつまでも答えは出ないか…… これからも一緒にいるか、お互いに別の道を進むか……
愛梨の真剣な眼差しを見て、俺も覚悟を決めた。
「……分かった、話を聞いて、色々決めようと思う」
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