愛梨の旅行 1

 仕事の後、用事を終えて帰宅すると愛梨は旅行の準備をしていた。


 旅行に行きたいと告げられてから、行き先などを詳しく聞かない俺を不審に思ったのか、愛梨はいつも以上に甘えながらも饒舌に行き先や予定などを俺に説明していた。


 ただここ数日、俺は普通に振る舞っているつもりなのだが愛梨にはそうは見えてないのか、俺の顔色を伺うような行動が増えたような気がする。


「あっ…… おかえり!」


 今日も帰宅すると、わざとらしいくらいとびきりの笑顔で出迎え、抱き着いてくる。


「ただいま」


 そう言って抱き締め返すと嬉しそうに俺の胸に顔を押し当て頬擦りする。

 まるで自分の匂いを付けようとする猫みたいで少し笑いそうになるのだが、迫る旅行の日を想像すると複雑な気分になってしまう。


 愛梨の様子からして友達と旅行というのは嘘だと思う、じゃあ誰と行くのか…… 俺に嘘をつく必要がある相手といえば答えは一人、浮気相手の元カレだろう。


 ここで俺が旅行に行くのを止めさせればこのまま何事もなかったかのように夫婦生活を続けられるかもしれない。

 だけど俺には愛梨を止める事が出来なかった。


「……旅行、やっぱり行かない方がいい?」


 ここ数日、俺に何度も確認してくる愛梨。

 止めて欲しいのか、バレたと思って取り繕っているのか、でも……


「あんなに楽しみにしていただろ?」


 もう愛梨は決めたんだろ? 元カレと旅行する事を、だから俺に嘘をついてまで行かせて欲しいと頼んだんだよな?


 行かないでくれと何度言おうと思った、でも愛梨を止める勇気が出なかった。

 多分愛梨も悩んだ結果決めたはず、だから毎日わざとらしい笑顔を見せているんだ。


「少し…… 寂しいけど、楽しんでおいで」


 少し…… じゃないよな、俺は愛梨が元カレと旅行に行くと分かっているんだ。


「……ありがとう、シュウ」




 ◇




 旅行当日、俺が目覚めるとあまり眠れなかったのか早起きしていた愛梨は、リビングのソファーに座り、テレビをぼんやりと眺めながらコーヒーを飲んでいた。


 昨日の夜はあんなに求めてきたのに元気だな、それだけ楽しみなのか? 


「おはよう、早いな」


「おはよう、うん…… 楽しみで眠れなかったのかな? あははっ」


「そうか、遠足前の子供みたいだな」


「ふふっ、そうかもね…… 飛行機の時間もあるから十時前には家を出るつもり、ご飯は作り置きしてあるから後はよろしくね」


「ああ、家の事は任せてくれ、旅行楽しんでおいで」


「うん…… ありがとう」


 一瞬俺から目を反らし少し寂しそうな顔をしたように見えたが、愛梨はすぐに笑顔で返事をする。


 その後、化粧など準備をするために部屋に行った愛梨と入れ替わるようにソファーに座り、スマホを確認しながら用意してあった俺の分のコーヒーを飲みながら気持ちを落ち着けようとした。


 



「それじゃあ、行ってきます」


「ああ、いってらっしゃい、気を付けてな」


 小さなキャリーバッグを持って出掛けた愛梨、その後ろ姿が見えなくなるまで玄関先で見送った俺は、大きなため息をついた。


 これで良かったのか今でも分からない、だけど俺は何もする事が出来なかった。

 リビングへ戻るとふと目に入ったのは愛梨と一緒に撮った写真が飾られてある棚。


 デートした時の写真やウェディングドレス姿の愛梨の写真を見つめ、不甲斐ない俺が嫌になり、そっと写真立てを伏せた。




 その後の三日間は愛梨から到着や移動の連絡がメールで来るだけで、たまに風景の写真が送られてくるだけ。

 どこで何しているかまでは伝えられなかった。


 俺は何も考えないように仕事に打ち込んでいたが、家に帰ると何も出来ない自分と嫉妬からなのかあまり眠れず、食事も喉が通らなくてほとんど食べずに過ごしていた。


 そして三日目の夜、愛梨から着信があった。


『もしもし? 今、大丈夫?』


「ああ、旅行楽しんでいるか?」


『うん、とっても素敵な場所ばかりで…… 楽しいよ』


 俺に申し訳なさを感じているのか、少し言葉に詰まった愛梨。

 それと電話の向こうから周りの音が少し聞こえるのが気になる。


「……もしかして外にいるのか?」


『うん、友達が寝ちゃったから少し外を散歩しているの』


「大丈夫か? 寒いだろ」


『ううん、そっちと比べてこっちはまだ暖かいから大丈夫だよ、それに温泉に入って少しのぼせちゃったからむしろ丁度いいくらいかな、うふふっ……』


「そうか…… 風邪引かないようにな?」


『うん、ありがと…… ねぇ、シュウ?』


「どうした?」


『……愛してる』


 ……今、この状況でどういうつもりで言ってるんだ? 愛梨は今、誰と何をしていて俺にそんな言葉をかけるんだよ。


「……俺も、愛してるよ」


 ただ、何も言えるはずがなく、俺も少し言葉に詰まりながらも愛梨に答えた。


『ありがと、シュウ…… うん、寒くなってきたからもう部屋に戻ろうかな、明日帰るけど夜遅くなると思うから、待ってないで寝てていいからね?』


「分かった、気をつけて帰ってくるんだぞ」


『ふふっ、うん、じゃあ…… おやすみ』


 切れた電話、しばらくスマホを持ったまま何も出来ずにいたが、また着信がある訳でもなく、そのまま今日もまた眠れぬ夜を過ごした。


 そして次の日の朝……



 俺のスマホに知らないアドレスからのメールが届いた。

 一瞬迷惑メールかと思ったが、件名には『黒田秋司様へ』と書かれ、本文には『愛梨』という文字と、何かがリンクとして貼られていた。


 最後に『パソコンも確認して下さい』と書かれていて、不審に思ったのだが胸騒ぎがして貼られたリンクをタップしてみると……

 短い動画には見覚えのある裸の女性が映っていた。


 慌てて自宅のパソコンを確認してみると、同じ宛先から何件ものメールが届いていた。



 動悸や息苦しさを堪えながら震える手でメールを開いてみると、それぞれ本文の中には別のリンクが貼られていて、恐る恐る確認してみると…… その中身は愛梨と知らない男が身体を重ねている動画だった。

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