第96話




 朝を迎えると同時に、ヴィントホーク公セレノアの命令によって閉鎖されていたアストライアの東西南北四つの門は開かれ、流通は元通りとなった。


 そして闘技場から朝焼けと共に黒装束に身を包んだ紅い目の男が出てきて、騎士団に連行されている場面を多くの人々が目撃した。


 民衆は悟った。


 領民連続殺人犯が捕まった事を。


 案の定、その日のうちに領主であるセレノアが街の大広場で演説し、領民連続殺人犯を捕縛した事を公表した。

 

 目撃証言にあった身長、紅い眼、そして怪しげな服装。

 確保した人物が全て犯人の特徴と一致する事も忘れずに告げる。


「――公開処刑の日程は三日後。場所は街にある処刑場で行う。私からは以上だ」


 用意させた壇上に立ち、自らの血統魔法を駆使して広域に声を響かせるセレノアを前に集まった領民達はざわざわと落ち着かない様子だった。


 半信半疑、という感じだ。


 領民達は暗殺組織云々の話は当然知らない。この街に第三皇子以外に瞳が紅い者など都合よくいたのか、セレノアが用意したのではないか。


 そういった疑念が向けられているとひしひしと感じる。


(……何せ私は従兄だからな)


 血縁者を庇っていると思われるのも仕方ないかもしれない。


「――セレノアよ、民衆に隠そうとしても無駄だッ」


 その声音が耳に届いた瞬間、うんざりする思いだった。


 予想していたとは言え、やっぱり来た。


 武装した騎士達を引き連れて、バレスがやってきた。

 領民達が慌てて道を空ける。


「真実を公表すべきだろうッ、血縁関係があっても、罪を犯した者は裁かねばならんのだ」


 その物言いは第三皇子が犯人だと主張しているも同然だった。


 先代当主の弟であり、闘技場のトップであるバレスの発言権は大きい。


『――今の話聞いたか?』


『結局第三皇子が犯人なのかよ』


『バレス様の話ではそうだ』


『……私はセレノア様を信じるわ。今朝、闘技場から紅い目をした男が連行されていったのを見たもの』


『そうだな、あの方が断言しているのだから第三皇子殿下ではないのだろう』


 領民それぞれ反応は分かれる。


 バレスはセレノアだけに憎々し気な表情を見せ、


「正義は私にある。皆、騙されるなッ、偽物を用意しようと無駄なことだ。お前たち自身、そして知人や友人たちの中にいるはずだ。魔物によって大切な誰かを失った者が。その血を引く皇子の凶行を今止めなければならんッ!」


「……第三皇子殿下はそんな愚かな行いをする人物ではない。そこまで言うならもはやこの事も話すべきだろう」


 セレノアは一拍置いて、民衆に聞かせるように伝えた。


「――私が捕らえた殺人犯はバレス殿が管理している闘技場の内部にいた。叔父である貴方が殺人犯と繋がっており、匿っていたのではという疑念を向けざるを得ない」


 それはヴィントホークという家名を自ら傷つける事に他ならない。

 

 だが、セレノアはやむなしと判断した。


 一気に民衆の目がバレスに向く。


「……待て、私は知らんッ、殺人犯との繋がりなど出鱈目に過ぎん」


「調べればいくらでも出てくるだろう。もう貴方の行いを看過する事はできない。その身柄を拘束させてもらう」


「騙されてはならんッ、私こそが正義を体現する者なのだ! 抵抗させてもらうぞ」


 バレスが腰に差していた長剣を抜いた。

 彼を守るように黒い鎧で身を包んだ騎士たちも同じように抜剣する。


 セレノアはため息を吐いて、民衆の中に紛れている翡翠色の髪の美少女と視線を合わせた。


(……やはりこうなったか。もういい、やってくれ)


 彼女が頷くと同時に、闘技場の方から爆発音が聞こえてきた。

 多くの悲鳴が上がる。

 

「――何だッ⁉」


「大変だ! 闘技場から多くの魔物が脱走して暴れ始めてるぞ!」


 その言葉通りの光景が視界に飛び込んできた。


 脂肪塗れの体を鉄鎧で覆ったオークが大通りに並んでいた屋台の一角に鉄斧を振り下ろして粉砕した。


 二足歩行の蜥蜴の戦士、リザードマンが。


 一つ目の巨人、サイクロプスが。


 薄緑の体色を持つ小鬼、ゴブリンたちが好き勝手に暴れていた。


 魔人型だけではない。

 鉄の体毛を持つ鉄虎アイアン・タイガーや建物並みに大きな身体と四つの鎌を持ち合わせた殺戮蟷螂キル・マンティス等々、魔物たちが続々と大通りを進む。


 民衆は恐慌状態となった。


 慌てて悲鳴を上げ、四方に散り始める。

 セレノアは迫真の表情で声を張り上げ、


「ここまで……ここまでするのか、バレスッ!」


「は? な、何を言っている?」


 呆気に取られていたバレスはセレノアを見つめ、ただ首を捻った。


「証拠を隠蔽するために……私を亡き者にするために闘技場に囚われていた魔物たちを解放したのだろうッ!」


 逃げ惑う民衆たちがはっとした顔でバレスを睨んだ。


 セレノアは血統魔法で斬撃を放ち、次々に魔物たちを仕留めていく。


「ふ、ふざけるな……私が意図したものではないぞッ、せ、セレノア貴様まさかッ⁉」


 だが、魔物たちの数は多すぎた。

 セレノアと彼に近しい騎士たちだけでは手が足りない。


「――うわっ」


 母親に手を引かれ、大広場から逃げ出そうとした少年が何かに足を取られて転んでしまった。


 その傍に白目を剝いているオークの巨躯が迫る。

 大柄な影が少年を覆う。


 振り上げられた鉄斧がきらりと光った。


 母親が少年を咄嗟に庇う。


「やめてッ」


「あっ」


 無情にも斧は振り下ろされた。


 最初の犠牲者が出た。

 誰もがそう確信した。


 しかし、


「――大丈夫か?」


 少年とその母親はその声に目を開けた。

 目の前には白のマントに身を包み、左目に特徴的な片眼鏡モノクルを付けた中性的な容姿の美少年が立っていた。


「……あ、お、皇子、様……肩から、血が……」


 母親が目を見張りながら震える声で告げた。

 オークが振り下ろした斧は僅かに第三皇子、ユリフィスの右肩に食い込んでいる。


 彼は無表情のままいつの間にか片手に持っていた灰色の長剣でオークを両断した。


「早く逃げろ」


 そのまま彼は駆け出した。


 魔物に襲われそうになっていた民衆の多くを救っていく。


「……お、俺……父ちゃんの仇だと思って……い、石投げたのに……」


 少年は父を殺人鬼に殺され、犯人をユリフィスだと思い込んでセレノアと彼が乗る馬車の進行を止めた子供だった。


「……母ちゃん……お、俺、謝んないとッ」


 涙を浮かべて告げた子供を母は抱きしめながら立ち上がる。


「……そうね。後で……改めて謝って……私も……私も殿下へ感謝の言葉を……」


 二人は逃げながら、後ろを振り返る。

 第三皇子はその剣で二人を救った時のように、多くの人間を危機から救っていた。

 

 疑っていた者たちは気まずげに感謝の言葉を述べ、それを特に気にした素振りも見せずに次々とまた違う誰かを助ける。

 

 その姿を大勢が目にした。


 時には誰かを救うために、自らの身体で魔物の攻撃を受け止めるその姿を。

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