第91話



 地下牢に閉じ込めていた暗殺者が、意識を失った状態の妹を抱えて悪びれもなく堂々と姿を現した事に、セレノアは怒りと共に違和感を抱いた。


 改めて自らの左眼で確認すると、元々の鏡男ミラー・フェイスの魔力量とは一線画すレベルの化け物がいる。


 セレノアの怒りを体現するように、周囲に漆黒の風が渦巻く。


 その風によって髪を逆立たせながら彼は口を開いた。


「……何者だ」


『公爵の坊や。あたしをもう忘れたのかい?』


 壮年の男の身体から老婆の声がする。


 暗闇の中、目をこらすと鏡男ミラーフェイスの身体中に黒い蛇の刺青が広がっていた。


 【影蛇】の頭領に身体を操られている状態というわけだ。

 はっきり言って人間業とは思えない。


「状況は理解できたかと思います。その魔力の放出をやめていただけますね」


 淡々と客席から告げる魔砲士団員のディン・エストラムにセレノアは舌打ちを放つ。


 ヴィントホーク家の血統魔法<黒鷲の旋風テンペスト>が天に昇るようにふわりと消える。


「……あまり私を舐めるなよ。妹を巻き込むようなクズに、私が一矢報いないとでも思うかい?」


 告げたセレノアは眦を鋭くしながら【王鳥の弓】をディン・エストラムに向ける。


「無駄な抵抗はやめてください。大切な妹君が死ぬ事になります」


 ディンが告げた直後、【影蛇】の頭領が手刀をアリアの首に添えた。

 意識を失っている彼女の首に僅かに指先が食い込み、苦し気な表情を浮かべる様を見て、セレノアは拳を痛い程握りしめた。


「……そうなったらここにいる者たちは全員惨たらしく死ぬことになる」


「何故そうまでして第三皇子に? 彼は半魔ですよ。半分魔物の血を引いた穢らわしい存在だ」


「……君たちにとってはそうかもしれない。だが私にとっては従弟で、信頼に足る主だ」


「何を馬鹿な事を」


 ディンは客席に座ったまま話にならないとばかりに首を左右に振り、足を組み替えた。


(この魔眼があればきっと皆、私の気持ちを分かってくれるんだけどな。彼に楯突く愚かさを)


 初めはただ力ある者に傅く。

 それだけが理由だった。


 しかし何日か一緒に過ごして、浅くない友情を築いた。


 友でもあり、主でもあるのだ。


「私と従弟殿が敵対でもしたら、それこそ妹が悲しんで泣いてしまう」


「……公爵。もし矢を放てばもう二度と妹君は泣く事もできなくなる」 


 セレノアは考える。


 一番優先すべきはアリアの命だ。公爵としてのプライドよりも、第三皇子への友情や忠誠よりもセレノアにとっては大切だ。


 形ばかりの忠誠を誓えばこの場は切り抜けられる。

 だがアリアはこの先ずっと人質として利用されるだろう。


 果たして本当の意味で妹の命を救うためには傅いたほうが良いのかどうか。


「――お、兄様……」


 そんな折、アリアが瞼がぴくりと震え、薄っすらと開かれる。


「……アリアッ」


『おや、気がついちまったかい。煩く喚くなら死期を早まるだけさね』


「うっ」

 

 手刀が更に喉に食い込み、苦し気に喘ぐ妹の瞳に涙がたまる。


「……私は……私の事、は、いいです、から――」


「分かった。分かったからやめてくれ」


 セレノアは自らの愛武器を下ろして、地面に置く。

 

 【影蛇】の頭領は間違いなく躊躇せずにアリアを殺すだろう。

 それより前に頭領を仕留められるかと言われたら流石のセレノアも無理と言わざるを得ない。


 こうして相対した状態からはまず無理だ。


 唯一可能性があるとするなら、死角からの狙撃である。

 妹を傷つけず、頭領だけを殺す。


 そんな天才的な弓術の技量があるのは自分しかいないとセレノアは自負していた。


「……【赤目】、武器の回収を。一つ言っておきますが、公爵。私としてもこのような手段は取りたくありませんでした」


「……」

 

 無言のまま俯くセレノアの傍に歩み寄るのは、【赤目】と呼ばれた青年である。

 領民連続殺人の犯人である暗殺者は【王鳥の弓】を蹴り飛ばし、闘技場の舞台の端に飛ばす。


 それから俯くセレノアを見つめ、笑みを浮かべながら更に近づく。


「お偉い公爵様の絶望の表情、どんな感じに仕上がっているんですかね?」


 そう言って表情を下から覗き込む暗殺者は胡乱げな眼差しを向ける。


「……生憎、私は絶望なんてしていないよ」


 直後、一瞬の風切り音が舞台上にいる者達の耳に届く。

 反応するにはあまりに短い一瞬。


 まるでセレノアが射ったような一筋の流星が頭領の死角から現れた。

 






*   *   *   *







 皇族の血統魔法である<統べる王エンペラー・マジック>。


 忠誠の剣を受け取った配下は主から魔力を受け取り、主は配下の魔法を使えるようになるというのが魔法の効果だ。


 その主と配下の間には、魔法によって繋がりができる。


 つまりユリフィスとセレノアは見えない糸で繋がっているような感覚である。

 その繋がりはぼんやりとだが、主に配下の居場所を教えてくれる。


(どこにいるんだ……? もしかして闘技場か?)


 大まかな位置と方角しか察せないので、こうなったら感覚便りで進む他ない。


 幸い、時間が経過した事で竜化が発動できるようになった。


 ユリフィスは全身を竜化させ、人型の第二形態へと変化させる。

 更に背から竜の翼を生やし、一気に空へ舞い上がった。


「……あれは」


 そんな折、向かいの空から黒い鷲が羽ばたきながらやってきた。


 黒い鷲は生き物ではなく、風の集合体だった。

 つまりセレノアの魔法である。

 

 その黒い鷲はユリフィスの周りをくるりと飛んだ後、ついてこいと言わんばかりに先導を始める。


(……流石だ、セレノア)


 魔眼によってユリフィスの姿を探し、そこ目掛けて自らの魔法を飛ばしたのだろう。

 並外れた魔法操作技術だ。


 そのまま並んで空を飛びながらユリフィスが案内されたのは闘技場の上空である。


 気付かれないよう遥か上空から見下ろして分かった。円形闘技場の舞台にはセレノアの他に三人いる。

 

 アリアを人質に取っている鏡男ミラーフェイスの身体を操っている頭領。

 そしてもう一人の黒装束を纏った暗殺者と、魔法使いらしき貴族の青年。


 頭領をどうにかすれば後は何とでもなりそうだが、それが一番難しい。


(……竜化した俺が最速で動いてもアリアは助けられない)


 一か八かの可能性にかけるにはあまりに不安要素が強すぎた。


 すると、ユリフィスの傍にいた黒い鷲――血統魔法<黒鷲の旋風テンペスト>が矢の形状に姿を変えていく。


 それを見てユリフィスは僅かに目を見張った。


「……お前のように射れと、俺にそう言っているのか。セレノア」


 一気に肩が重くなったような気がした。


「……弓なんて触るのも初めてだが、俺に射ろとそう言うのか」


 一度だけ、セレノアの狙撃を間近で見た。丁度鏡男を仕留めた時だった。

 ただそれだけだ。


 流石に迷うが、早くしろと言わんばかりに空中に漂う漆黒の矢が震えを帯びる。


「……<灰魔鋼グレイ・メタル>」


 失敗したらアリアは死ぬ。誤射で死ぬ可能性もあるし、頭領に殺される場合もある。


 だがこのまま何もしない選択肢はない。


 信頼してくれたのだから、応えるしかない。


 自らの才覚とできると思ってくれたセレノアを信じる。


 灰色の金属が徐々に弓の形となっていく。

 弦も金属のワイヤーのように硬いが、そこは魔法で生み出したもの。自分の力量次第で伸縮性と弾力に優れた弦を作成できる。


「行くぞ、セレノア」


 変化した黒い矢を灰色の弓につがえる。

 あの時、横にいた従兄の姿を思い出して、その動きをなぞる。


 弓を押しながら弦を力いっぱい引き、両拳を引き下ろしていく。

 

 硬い弦を凄まじい筋力で引ききった状態で止め、狙いを定める。更に、前方にユリフィスは加速口となる黒い風の渦を生み出す。

 強烈な風の渦を。


「合成魔法<黒旋の灰鋼弓フェイルノート>」


 親指をはじくようにして、弦を離した。


 

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