第90話




 セレノアは自らが愛用する【王鳥の弓】を片手に、一際大きな魔力を追って闘技場内を進んでいた。


 このまま追いかけっこを続けるのかと思ったが、どうやらそうではないようだ。

 いくつもの通路を曲がり、気が付けばセレノアは円形闘技場の舞台上に立っていた。


 向かい合うように立っているのは黒装束を着た男だ。


 その瞳は紅く、両手に鉈を持っている。


「……君は半魔かな。半魔だとしたら、第三皇子殿下の悪評を広めることは君にとっても不利益だと思うが」


「俺はただの人族だ。突然変異というやつですよ。生まれつき紅い瞳をもって生まれた普通の人族、だから捨てられた。組織に拾われなければ俺は今、こうして生きていないだろう」


「……私に負ければ君は処刑されて死ぬ事になる。それが分かっていて何故堂々と姿を現したんだい? 逃げられないと悟ったから?」


「アレから話があるんだと」


 暗殺者が客席を指さした。


 静まり返った夜の闘技場。その客席に一人だけ男が座っていた。

 軍服の上にローブを羽織った眼鏡をかけている理知的な青年だった。


 第一皇子が団長を務める帝国魔砲士団の制服を着ている。


 セレノアの魔眼でも魔力が視えない。恐らくは特殊な魔道具か何かで魔力量を偽装しているのだろう。


 彼は立ち上がって手本のような礼をした。


「……ヴィントホーク公。高所から失礼いたします、私は帝国魔砲士団の団員であるディン・エストラムと申します」


 エストラム家と言えば領地も持たない宮廷貴族で、伯爵の地位を得ている。


 第一皇子の使いというわけだ。闘技祭を観戦しに来た第一皇子派閥の貴族の護衛として付き添っていた人物だと記憶している。


「バレス殿は知りません。これは内密の話です。公爵の強さを第一皇子殿下は評価しています。誰だって有能な方を味方につけたいと考えますから」


「……彼には従わない。そう行動で示したつもりだけど」


「このまま貴方を失脚させるには惜しい。こうして対話する機会を設けたのはそれだけ殿下が誠意を見せているからだと気付いて欲しい」


「……私に二度同じ返答をさせる気かな?」


「一連の殺人事件の犯人は第三皇子だと大々的に発表してください。そうすれば報酬として逆に目の上のたんこぶであるバレス殿を消してさしあげましょう。【影蛇】を使ってね」


「……話を聞け」


「これが最後のチャンスです、公爵」


「……」


 セレノアはため息を吐いた。

 何度問われても返答は決まっている。


 だから無言で向かい合っている紅い目をした暗殺者に対して弓を構えた。


 その様子を見て、魔砲士団員であるディンは眼鏡を中指で押し上げながら落胆したように席に再び腰を落ち着けた。


「――残念です。こんなやり方、あのお方も望んではいませんでした」


 直後、選手控え室に繋がっている通路から誰かがやってくる足音が聞こえた。

 セレノアは目を見開き、殺意を漲らせて睨んだ。


 通路を通って闘技場の舞台に登ってきたのは、アリアを横抱きにした鏡男ミラーフェイスだった。


 

 

 

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