第89話



 世闇に紛れ、黒い風を纏いながらセレノアは


 高密度の黒い気流を操り、自在に空中を移動できるのは天才である証拠だ。

 そんな折、視界の端で城の方角から花火のような光が打ちあがるのが見えた。


 花火――いや、炎鳥に咥えられた絶大な魔力の持ち主の輝きが、どんどんか細くなっていく。


(……従弟殿がやったのか)


 セレノアは虹色に輝く左眼を細めながら悟る。


 魔力の輝きが、炎の鳥に喰われて消滅した事を確認する。


 次は自分が役目を果たすのだと、セレノアは飛翔を続けた。


 身体の調子は異常とも言えるくらい良かった。


 今なら、魔眼に魔力を注げば注ぐだけ視界が広がっていきそうな、そんな万能感を感じてしまう。


 本来、魔力は心臓に宿る。魔力貯蔵器官のほとんどが心臓である。


 しかしセレノアは違う。

 彼の魔力貯蔵器官は左眼だ。


 先天性魔力貯蔵器官異常症。


 世界中見渡しても極めて事例が少ない一種の障害である。

 だが、持って生まれた者は常人には持ち得ない異能を獲得する。


 呼び方は千差万別、貯蔵器官によって変わる。


 魔眼。魔手。魔脚。

 それがセレノアが持つ異能の秘密である。


 空へ浮かんでいるセレノアは、円形闘技場を見下ろしながら魔力を左眼に集めていく。


 ユリフィスに忠誠を誓った事で、ほぼ無尽蔵とも言える魔力が流れ込んでくる。


 視野が驚くほど広がり、全てを透視していく。


「――さて、どうかな?」


 闘技場の中には檻に囚われている闘技用の魔物たちがいる。


 魔物も人族も、持っている魔力の色や形にあまり違いはない。


 そしてドス黒い魔力の持ち主は、人にも魔物にもいる。

 

 だからセレノアは半魔を差別する帝国貴族や教国にはうんざりしていた。


 化け物のような醜悪な人格の者は種族を問わない事を生まれながらに理解していたのだ。

 

(……見つけた)

 

 思考を切ったセレノアは数十にも及ぶその魔物達以上に、一際大きい魔力の持ち主が闘技場の地下にいる事を見抜いた。


 しかしその魔力の持ち主は移動していた。


 捕捉された事を知り、逃走の準備に入ったのか。


「……逃がさない」


 セレノアは補足した大きい魔力の持ち主を追うために闘技場の中へ降り立った。


 

 




* * * * * *

 

 

 



 ヴィントホーク城へ戻ったユリフィスは奥歯を噛み締めた。

 

 尖塔の一角から白煙が上がっていた。


 ユリフィスは<夢幻変身イリュージョン・フォーム>を解き、自らを黒い風に包み空へ飛び上がった。


 近づく程、誰かが啜り泣く声が耳に届く。


「……」


 割れている窓から月光と共に部屋に入ったユリフィスに、皆が気付く。


「……」


 室内には皆が集まっていた。壁に凄惨な血の痕が付着していた。


 婚約者であるフリーシア。

 彼女は静かに涙を流すセレシアに寄り添うようにベッドに座っている。


「……ユ、ユリフィス様……」

 

 動揺浮かべるフリーシアに、ユリフィスは頷きだけを返す。


「……ユリフィス……」


 傍仕えであるマリーベルは、ユリフィスの姿に安堵の表情を浮かべた。


 彼女は壁に背を預けてわき腹を抑えている翡翠の髪の少女と瞳が複眼になっている少年の治療に励んでいた。


 どちらも脇腹からの出血がひどい。

 その傷は何かに食い千切られたようだ。


 魔人兵として備わっている再生機能が何故か働いていない。


「……申し訳ありません、ユリフィス様。地下牢から男が出てきて……奴の手足が黒い蛇となって……我々は……」


 レインが複眼を薄ら開いてユリフィスと視線を通わせる。


「……公爵の妹を……攫われてしまったわ」

  

 ノエルは震える瞼を閉じ、恥じるように俯く。


「……命じられた事もできなかった。ごめんなさい、ユリフィス……私は――」


「無事で良かった」


 ユリフィスは傍に片膝をつき、ノエルの髪を優しく梳いた。

 糾弾されるとばかりに思っていたノエルは目を見開きながら呆然とする。


「……これは俺の失態だ。自分の血統魔法を過信していた。君は役目を果たした」


 【迅獣】を退け、アリアを守り切った。本来ならそれだけで良かったのだ。


「……」


 ユリフィスは立ち上がり、セレシアの元に歩を進める。


「……でん、か……アリアちゃんが……」


「本当に済まない。だが、俺が必ず取り戻します」


 頭を下げたユリフィスは、後悔を振り払うように立ち上がり、着ているマントをなびかせながら背を向けた。


「フリーシア、ここは任せる」


「……ユリフィス様、気をつけて下さい。アリア様を攫った男は……私の結界を破ったのです」


 酷く悪い顔色のフリーシアが沈んだ声音で漏らした言葉に、ユリフィスは目を丸くした。


 【影蛇】の頭領は原作には登場しない。

 正しくは原作では【迅獣】が【影蛇】の頭領になっていた。


 だから現頭領の能力と強さが読めない。


 フリーシアの、アークヴァインの血統魔法は最硬の魔法。


 まだ彼女自身のレベルが低いため、破ることはユリフィスも可能だ。ただし、片手間にはできない。

 

「……本当に気をつけてください」


「……ああ」


 深く頷いたユリフィスは窓辺に寄り、黒い気流を操作して、空へその身を舞い上がらせた。

 

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