第88話


 時は少し遡る。


 ヴィントホーク城近くにある騎士団の屯所。


 大きな石造りの武骨な建物内部にある騎士団長ジークの執務室で、公爵家当主であるセレノアは矢継ぎ早に上げられる報告を聞き、立ち上がった。


「――歓楽街、目撃情報なしです」


「同じく貴族街もです」


「平民街では何件か目撃証言がありますが、偽証の可能性が高いです。貧民街にほど近い住民がこぞってバラバラの目撃談を証言しています」


「……金を握らせて捜査妨害でもしているのかな、アレは」


 忌々しそうに呟きながら、セレノアは卓の上に広げたアストライア全域の地図の各所にバツ印をつけていく。


 新たに室内に入ってきた騎士が、


「……ご当主様、門を封鎖した事で商人たちや貴族からも苦情が殺到しています。トレット商会の会頭が面会を――」


「今は捜査報告だけを聞こう」


「……かしこまりました」


 こうも見つからない場合、匿われているとみるべきか。

 それとも誰にも見つからない秘密の場所にでも潜伏しているか。


「――ご当主様、お話が」


 続いてやってきたのは騎士団長のジークである。

 顔色から厄介事が起こった事を察し、セレノアはため息と共に続きを促した。


「……なんだ」


「……バレス様が騎士たちを引き連れてきました。捜査に協力したいのだとか……恐らくは捜査状況の進捗を確認するためでしょうが」


 騎士団長ジークの報告に、セレノアは眉間に青筋を浮かべながら深呼吸した。


「……大丈夫かな、目にした瞬間殺したくなりそうな気がする」


 眉間を揉みながら呟くセレノアを心配そうに見つめる騎士たち。もしそうなれば、バレスに付き従う一族の騎士たちが反旗を翻すだろう。


 捜査どころではなくなるし、第一皇子の後ろ盾を持つバレスを明確な罪状なく殺せば中央に呼び出され、今度はセレノアが裁かれる。


 第一皇子は間違いなく当主の座をすげかえたいはず。


(そうなったら召喚命令を拒否して、公爵領を独立させようかな? まあ領民の同意は得られないだろうけど)


 しかしいずれは、とセレノアは未来を見据える。

 ただまだまだ手札が揃っていない現状では、中央と事を構えたくないのが本音だ。


 当主の惑いを感じ取り、ジークは険しい表情で、


「……無用と断りましょうか?」


「……いや、ジーク。もう遅いようだ」


 回廊が俄かに騒がしくなる。


「困ります、捜査関係者以外の立ち入りは――」


「黙れッ、私は現公爵の叔父にして相談役なのだ。お前たちはヴィントホーク家に仕える者達のはず。控えろ」


 問答の後、執務室の扉が乱暴に開かれる。


「……セレノアよ、考え直したのだ。聞いてほしい」


 自らの叔父に当たる男は目を細め、笑みを深めながら近付いてくる。


「……確かにお前の言う通りだと。第三皇子殿下を犯人だと決めつけるのは良くない。いくら状況的に疑わしくとも、やはり彼ではないという証拠を私も集めたい」


「……それで?」


「私を慕ってくれる一族の騎士たちを捜査に加えて欲しい。人手は多ければ多いほうが良いはずだ」


「何故今になって協力する気になったのかな?」


 敬語を失い、冷たい無表情になったセレノアの両肩にバレスは手を置き、


「落ち着け、セレノア。考え直したと言っただろう。それにお前の許可がなければ門の封鎖は解けないのだ。早々に捜査を終わらせた方が公爵家のためになる」


「……なるほど」


 セレノアは途端に笑みを浮かべてバレスの手を払いながら、


「……ありがとうございます、叔父上。では申し訳ありませんが、私の代わりにここで捜査の全体指揮を執っていただけますか?」


「……何?」


「そろそろ夜も更けてきましたから。私は少し疲れてしまって、一度城に戻る事にします」


「いや、だが……私では――」


「補佐にジークをつけます。聡明な叔父上なら、犯人を見つけ出してくれますよね?」


「……」

 

 犯人などいないとはもう言えない。第三皇子が犯人だ、という可能性をバレスは捨てて、捜査に協力すると自分から申し出たのだ。


 それが捜査状況を確認し、妨害し、情報を犯人と共有するという建前であっても。


 一瞬、訝しげにバレスの瞳が細まる。


 気にせずにセレノアは頼みましたよと叔父の背を叩き、振り返ってジークと一瞬目を通わせる。

 忠臣は何かを察し、深く首肯した。


「ああ、見送りはいりませんよ、叔父上。他の騎士たちも捜査に集中してくれ」


「……かしこまりました、ご当主様」


 バレスの二人の息子の間を通って執務室を出るセレノア。


 当然、城に帰るつもりなどない。


(これはチャンスだ)


 彼らがこの場に来た事は僥倖だった。

 今なら闘技場内の監視の目が緩んでいる。


 匿われているとしたらもうそこしかない。


 セレノアは一人で闘技場内に潜入するつもりだった。


 ついでに犯罪の証拠のような書類も発見したらそれも頂くつもりである。


 セレノアの魔眼は魔力量の大小を見抜き、更に透視もできる。

 どこに隠れていようと見つけ出せる。


 闘技場は昼間は大勢の客で賑わい、捜査どころの話ではなかったが試合が終わり夜も更けた今なら静かに探れる。


 そんな思惑に気付いていながらジークが止めないのは、当主であるセレノアの力を心の底から信頼しているためである。




――――――――――――――――――――――――――


あとがき。


ここまでお読みいただきありがとうございます。


前話である第87話の最後の方を修正いたしました。

急な事で申し訳ありません。

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