第62話



 ヴィントホーク城は帝国でも三つしかない公爵家の居城に相応しく、威厳に溢れていた。


 正面に見えるのは大階段。

 

 遥か上にある天井には花を模した美しいシャンデリアが置かれている。


 壁の至る所に黒い鷲の紋章が描かれたタペストリーが掲げられているが、過度な装飾はついていない。


 ヴィントホーク城の床に敷かれた赤い絨毯の上を歩きながら、セレノアが口を開いた。


「……身内の恥だ。本当に申し訳ない、従弟殿」


 唇を噛み締めて俯くセレノアの背にユリフィスはそっと手を置く。


「気にする事はない。それよりも見たか、あの顔」


 その言葉に、セレノアは口角を上げて、


「……ああ傑作だったね。鼻の穴を膨らませて、怒りで顔を赤くしていたあの顔。思わず吹き出してしまったよ」


 ユリフィスとセレノアが顔を見合わせて笑う中、フリーシアが眼を瞬きながら肩を並べて歩く二人の様子を見つめた。


「お二人とも、馬車の中でお話されていたからでしょうか。短時間で随分と仲良くなりましたね?」


 セレノアは軽く額を抑え、ユリフィスを流し見た。


「おや、従弟殿とばかり話しすぎたかな。婚約者殿に嫉妬されてしまった」


「い、いえ、そういう事ではなくてですね……」


 フリーシアが慌てて首を左右に振る中、ユリフィスも混ざって、


「大丈夫だ、フリーシア。セレノアは女性にしか興味ないからな」


「だ、だから嫉妬ではありません……お二人とも私をからかって遊んでいますね?」


 頬を膨らませるフリーシアの様子を見て、セレノアが小声で、


「可愛い婚約者殿だ。つくづく羨ましい」


「それには同意するが……」


 言い淀んだユリフィスが何を言いたいのか、察したセレノアが苦笑した。


「もう口説いたりしないよ。私はアレとは違って常識は備えているつもりさ」


 アレとはバレスの事を指しているのだろう。


 セレノアは彼と対面してからずっと険悪なやり取りを続けていた。

 もはや関係の修復は望めそうにない。


 というか、本人たちもする気はないだろう。


「従弟殿の脅しで震えあがっていればいいけど」


「……無理だろうな」


 相対してみた感じ、プライドは相当高そうだ。皇子ではあっても、半魔であるユリフィスへの接し方から見てもそれは明らかである。

 

「この街で起きる全ての問題は領主である私が対処すべき事柄。従弟殿の手をできる限り煩わせたくはないが」


「……頼ってばかりもいられないだろう」


 面倒な事は任せて、フリーシアやマリーベル、それからノエルと共に街で自由に遊べたらどれだけ楽しいだろう。

 だがそれにはまず第一皇子が【影蛇】に依頼した金額以上の金を支払い、依頼を取り下げなくてはならない。


 時間はかかるが、強引に【影蛇】という組織を潰す事もできる。

 しかしあそこには【覇道六鬼将】の一人がいるし、何より暗殺を生業にしたあの組織の価値は非常に高い。


 できれば自らの戦力として手元に収めたいところだ。


「まあ面倒な話は後にしよう、従弟殿」


 改まった様子でセレノアが言いながら、キョロキョロと辺りに視線を巡らせた。


「旅の疲れがたまっているところ申し訳ないが、客室に案内する前に会わせたい人達がいるんだ」

 

 セレノアは廊下の端によって頭を下げる使用人の一人に尋ねる。


「母と妹はどこにいる?」


「……は、はい、ご当主様。恐らくはお二方とも中庭にいらっしゃるかと思います」


「また鍛錬か。そうか、ありがとう」


「と、とんでもありません」


 頭を深々と下げる使用人を他所に、ユリフィスはセレノアを横目で見ながら内心考え事にふける。


(……妹か。原作では確かはずだ)


 その過程は詳しく描かれていない。作中で本人が断片的に語っていた程度の情報だ。

 今の状況から察するに、セレノアとバレスの対立に巻き込まれてしまったのかもしれない。


 だとすると原作の二の舞になりかねない。フリーシアを守るのは最優先事項だが、セレノアの妹も気にかけなくてはいけないだろう。


(……そもそも俺の従妹でもあるんだし、守るのは当然か)


 閑話休題。


 ちなみに原作のセレノアは【覇道六鬼将】の中で一番主人公に優しかった。


 追撃すれば勝てたところをしなかったり、最初から本気で戦わなかったり。

 

『君を見ると妹を思い出すんだよ。生い立ちだけじゃない。この理不尽な世界に抗おうとしているその姿までも』


 最期にセレノアはそう言って、主人公の腕の中で戦死するのだ。


 原作主人公とセレノアの妹には共通点がある。恐らくはそれがセレノアが主人公に対して全力を尽くせなかった理由なのだろう。


 原作を思い返している影響ですっかり黙り込んだユリフィスを見て、セレノアは不安に思ったのか、


「大丈夫だよ、母は優しいし妹も可愛くて良い子さ」


 それからセレノアは瞳を悲し気に細めて続けた。


「……ただ、ね。妹の前で魔法の話題だけは避けて欲しい」


「……それは……どういう――」


「彼女は魔法が使えないんだ」


 ユリフィスは僅かに目を見開き、


「……血統魔法を受け継げなかったのか?」


「そういうわけだね」


「お、お兄様と……同じ……」


 フリーシアも目を丸くして思わず足を止めた。


「ああ、そうか。噂で聞いた覚えがある。アークヴァインの第一王子もそうだったか」


 振り返ったセレノアは俯きながら、


「皇帝の妹が生んだ子だ。だから、一族の大人たちは表向きには誰も何も言わなかった。けれど陰では常に言われていた。出来損ないの一族の恥だと。まあ弓使いの僕も含めてだけど」


 視線を上げたセレノアは真っすぐユリフィスを見つめ、


「けれど妹は腐らずに一族の馬鹿共を見返す為、常に努力している。魔法が使えない分、一族の誰もが敵わない剣士になろうとね」


 ユリフィスは瞳を閉じながら納得した。


(原作主人公と同じ血統魔法を受け継げなかった子、か)


「そんな環境で、真っすぐに育つなんてな。良い子なのは勿論だが、余程周囲に恵まれたんだな」


 ユリフィスがそう言うと、セレノアは嬉しそうに笑みを浮かべて肩をすくめた。


「そう言って貰えると嬉しいよ。本人は『お兄様は過保護過ぎてウザいです』とか平気で言ってくるんだから」


 それでも妹の事を語るセレノアの瞳には深い慈愛の感情が浮かんでいる。


 原作主人公と生い立ちが酷似しているという従妹の存在に、ユリフィスも会ってみたい気持ちが強くなった。

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