第61話
若き公爵家当主を付き従え、第三皇子が堂々と城に足を踏み入れた。
美しい姫君とハーフのメイド二人と親しげに会話し、十数人の騎士を引き連れたまま。
そんな彼の背中をバレス・ヴィントホークは憎々し気に見つめていた。
彼の手はまるで何かに押しつぶされたようにひしゃげている。
帝国切っての武の名家に生まれ、剣の腕は一族の中で並ぶ者なしの実力者。
ヴィントホーク家の若者達からは当主以上に尊敬の眼差しを注がれている。
(……力比べと戦闘は別物だ。戦えば私の方が上、そう思いたいところだが)
残念な事に武人としての勘はそう言ってはいない。
半魔としての特性から、帝都では病弱を装っていたようだが、今ので完全な演技であった事が判明したわけだ。
おかげで膨れ上がった自尊心には明確な罅が入った。
「――ち、父上、大丈夫ですか?」
兜を取り外した騎士の一人が慌てた様子で駆け寄ってきた。
紫色の髪を振り乱した彼は別の騎士が用意した瓶に入った
バレスは内心の怒りを押し殺しながら、自分の息子の一人に尋ねる。
「見たかアレス? お前の従兄は私を見て嘲笑っていた。あの憎たらしい小僧が……今に見ていろ。私が必ず当主の座を手に入れてやる」
アレスは血走った眼で治った拳を握りしめる父に頷き、
「セレノアめ。あの腰抜けはきっと皇子が持つ力に恐れを成して恭順を選んだんでしょう。三大公爵家の二つが半魔の皇子を支持するとなると、もはや笑い話だった玉座に万が一にも手が届く事態になります」
バレスは即座に表情を戻して、
「舐めていたわけではないが、第一皇子からの忠告は正しかったか。正面から王女を攫うのは難しいとなれば、計画の第二案に移る他あるまい」
「では?」
「闘技場の貴賓室に蛇を呼べ」
ヴィントホーク城ではセレノアの手の者もいる。
誰が聞いているか分からない。
闘技場であれば、バレスは堂々と悪だくみができる。
何故ならバレスこそが闘技場の支配人なのだ。
元々公爵家当主が兼ねているものだが、六年前に先代が亡くなり、当時まだ十四歳だったセレノアに当主と支配人を兼ねさせるのは難しいという判断から、バレスが業務を引き受けた。
それは一時的な措置だったが、そのままなし崩し的にバレスが運営を続けている。
闘技場の利権は莫大だ。
だからこそ、領主を抑えてバレスに従う者が一定数いるわけである。
バレスはそのままセレノアが乗ってきた当主専用の馬車にアレスとまた別の息子一人を連れて、アストライア最大の娯楽施設【
* * *
ガラス張りの室内。
大きなソファに身を預け、ワイングラスを手に取り眼下を見下ろせば。
そこには熱狂の渦がある。
人族の武器を扱うオークと剣闘士の斧使いの一人が戦いを繰り広げている。
観客席は今日も満席だ。
この部屋は魔道具によって防音されており外からの音は全く聞こえないが、恐らく闘技場内は大歓声に包まれているだろう。
バレスの背後には帯剣した二人の息子が護衛として控えている。
そして部屋にあるもう一つのソファに座るのが、呼び出した【影蛇】の代表者である。
「急な呼び出しに少々面喰らいましたが、私も支配人殿の意見に賛同しますよ」
商人にしか見えない、小太りで温和な顔立ちの男が言う。
彼はバレスに引けを取らない豪華な衣服を身に纏い、傍目からは支配人が大商人を接待しているように見えるだろう。
「勿論、必要な者は用意しているんだろうな」
「ええ。
小太りの男が告げると、部屋に一人の青年が入室した。ほぼユリフィスと背格好は同じであり、紅い瞳を持っている。
「……依頼とか関係なく、好きに殺して良いんですよね?」
青年は凡庸な顔立ちに似合わず、裂けるような笑みを浮かべた。
「ああ、そうだ。このアストライアで無差別に殺人事件を起こせ」
バレスが告げる。
「……番人を王女から引き離す為には法という大義名分を手に入れる。アレが街にやってきてから起こり始めた殺人事件。犯人の特徴は夜の闇でも分かる紅い瞳」
小太りの男は笑みを浮かべたまま後を引き継いだ。
「民衆の怒りは半魔の皇子に集約されるでしょう。もし罪を認めず暴走するようなら教会の手を借りて危険な魔物として処分してもらう」
目的は民意を完全な味方につける事。
「セレノアは当然庇うだろう。だが第三皇子を庇えば、領民の怒りの炎は現領主に飛び火する」
明らかな殺人鬼を取り締まらないどころか、擁護する領主。
セレノアは平民の手で、当主の座から引き摺り下ろされる。
それでも尚、捨て身でこちらに歯向かってくるならば、
「……万が一の時の為に、セレノアには首輪をつけておく」
「……妹さんですか?」
「そうだ」
セレノアは公爵家随一の強さを誇っているが、彼にも弱点がある。
バレスは笑みを浮かべた。
「あの出来損ないの兄妹に思い知らせてやる。もう二度と生意気な口を叩けなくして証明するのだ。この私こそがヴィントホーク公爵家の当主に相応しいのだと」
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