第48話




 スペルディア侯爵は三名の客人達を城の地下にある自らの研究室へ招待した。


 金属製の重厚な扉の先に広がる光景に、眉一つ動かさなかったのは第三皇子のみである。

 

 彼の婚約者であるアークヴァイン王国の姫君と、傍仕えのメイドからは僅かに侯爵に対して嫌悪感と敵意が向けられる。

 

 それに反応したギランを制し、侯爵は苦笑しながら振り返った。


 「――どうか怖がらないで欲しい。私の研究は、本来多くの貴族達から賞賛されてしかるべき内容なんです」


 液体で満たされたガラス製の大きな培養器がずらりと並んだ研究室。


 その中身は人間の死体である。恐らく数百人以上はあるだろう。


 死体には皆一様にして魔石を筆頭とした魔物の部位が移植されている。

 彼らは元々、古代遺跡の研究の為に集まった学者たち――つまり魔法都市アルヴァンの領民達である。


 魔人兵を造る上で多くの試行錯誤があった。


 血統魔法を引き継ぐ侯爵の子供たちに魔物の部位を移植する前に、領民達の身体で様々な事を試したわけだ。


「……ホビン子爵も侯爵の研究は貴族にとって必要な事だとそう言っていました。理由をお聞きしてもよろしいでしょうか?」


 普通の貴族令嬢であれば、卒倒しかねない光景だという事は流石の侯爵自身も分かっている。


 しかし、背後にいる幸薄そうな雰囲気の姫君は、婚約者である皇子の袖を震えを帯びた手で握りながらも、タレ目を気丈に見開いて侯爵に尋ねてくる。


 その胆力に僅かに感心しながら侯爵はゆっくりと口を開いた。


「――我々貴族の先祖は英雄です。偉業を達成し、神から固有魔法を得た初代が子孫を残す事で血統魔法となる。それを脈々と受け継いできました。ですが……」


 侯爵は自らの手のひらを眺めながら悲し気に続けた。


「血統魔法は世代を経るごとに弱くなっている」


「……え?」


 侯爵は百年以上生きている。


 四世代に渡って一族の者を見てきた。

 スペルディア家が受け継ぐ血統魔法<魔法模倣マジック・ミラー>は、対象の魔法をコピーできる魔法だ。


 しかし、コピーできる魔法の数には上限がある。


 代を経るごとに、その上限が減っているのだ。


 勿論他の貴族家にも問い合わせた。だが結果はどこの家も同じだった。血統魔法の弱体化は全貴族に当てはまっている。


 血統魔法は貴族としての特権だ。魔法を持つから領地を与えられ、貴族となれる。 


「……いずれ貴族は、血統魔法を使えなくなる。魔法が使えなくなった我々は……きっと平民に戻ってしまう。この崇高な血統魔法を持つスペルディアの名が消えるわけです。それは断じて許せない事だ」


 培養液に浸かっているあの平民たちのように、全てを奪われる側に回る。

 そんな自分を想像すると侯爵はすさまじい程の嫌悪感が胸中に満ちるのだ。


「だから、寿命を延ばしました。不老不死に至れば我々は永遠に魔法使いでいられる。スペルディア家は、これからも貴族のままでいられるのですから」


 貴族でいる為に、禁忌とされる魔物の研究に手を染めた。


 しかし二代前の皇帝は、侯爵を認めなかった。

 五十年程前まで、帝国魔砲士団の団長だった侯爵は時の皇帝から職を解任され、帝都にあった自らの研究室を取り上げられた。


 とは言え、長年の国への貢献から侯爵は捕まる事なく、領地である魔法都市に謹慎という形での罰しか与えられなかった。


「……その結果として、私は医学と魔物学の二つの学問に傾倒しました」

 

 侯爵は研究室にある清潔なシーツが引かれた寝台を示して、


「……どうかご安心を、皇子殿下。私を信頼して、そこの寝台に横になっていただきたい。どのような病状なのか調べます。まずは血液を抜き――」


「いや、やはり遠慮しておく」


「はい?」


 注射器を手に取った侯爵に対して、第三皇子は無表情で首を左右に振った。

 侯爵はまじまじと皇子を見つめる。


 そういえば、いつからだったか。


 


「――貴方の言う通り……ここで待っていたわよ……」


 培養液の陰から、一番のお気に入りである娘の声が聞こえた。


「……ノエル。君の宿願を今果たそう」


 背筋を伸ばして、酷薄な輝きを瞳に宿した第三皇子の右手にはいつの間にか灰色の剣が握られていた。


「侯爵。貴方はまんまと俺を侮って、今現在護衛を一人しか付けていないだろう?」


 その護衛も何故か、第三皇子――ユリフィス・ヴァンフレイムが殺気を向けた瞬間固まってしまった。


 ギランの額からだらだらと汗が滴り落ちている。身体は震えを帯びており、尋常ではない様子だ。

 

 地を這う蜥蜴人、リザードマンにとって竜種は憧れであり恐怖の象徴である。

 遥か格上の高次元存在。


 ギランは意味も分からず、ただただ呼吸を荒げている。


「フリーシア」


「……はい」


 更にユリフィスは邪魔が入らないよう、フリーシアに目配せした。

 彼女が祈るように両手を組んで目を閉じる。


 その瞬間、研究室を包むように半球状の結界が展開された。


「――これで、フリーシアの許可を得ない限り外部から中に入る事はできない」


 そう言って、ユリフィスは手に持つ灰色の剣を無造作に侯爵の首元に添えた。


「死ぬ前に人造魔人族について教えろ。彼らの身体に常時流れているという激痛を取り除く方法を――」


「クク、フハッ、フフ、アハハハハハッ‼」


 突如として、壊れたように哄笑を上げる侯爵を無感情に眺めながらユリフィスは尋ねる。


「何がおかしい」


「……いえ、私を謀ったつもりだろうけどね。護衛なんて端から必要ないんだよ、私には」


 侯爵がローブの袖をまくった。


 老人の細身の腕。

 そこにはいくつもの魔石が埋め込まれていた。


「――研究対象が、私に逆らうなんて今までにない事だよ」


 首に添えられた剣の刀身を素手で握った侯爵の容姿が、どんどん若返っていく。


 白髪だった髪がノエルと同じ翡翠色に。

 色濃かった皺が消えて、柔らかい笑みを浮かべる美青年へと変貌を遂げていく。


 往年のスペルディア侯爵。


 帝国魔法師団長だった頃の、肉体全盛期の彼がそこにいた。


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