第45話
時は少し遡る。
神正教会最強戦力である【世界を正す者達《スティグマ》】の一人、黄金色の髪に無精髭が特徴の大男、グライスは憎々し気に肘から先がない利き手を眺めた。
既に血は止まっている。痛みもない。
だが、失ったものは大きい。
グライスの生家、アインツ家はカノン教国の貴族だ。
とは言え、爵位は低い。故に血統魔法の<
「……クソッ、魔法都市を見つける事もできず、弟子の仇も討てない……我ながら情けねえ」
霧に包まれた森の中をグライスはとぼとぼと歩く。
このまま逃げ帰る事はできない。
何の成果もなしに敵に背を向けて逃げ帰るなど、英雄のプライドが許さない。
「そもそも帰れるのか?」
見渡す限り濃霧に包まれた森の中を当てもなく歩くのは愚かだ。
グライスは近くの木に一足飛びで登り、高い場所から森を抜ける最短ルートを探る。
だが、眼についたのは森を覆う霧に負けず、空に向かって伸びるキラキラとした光の柱である。
「アズフォリの種を焼いている奴がいるな?」
興味が惹かれたグライスは天に昇っていく光の粒子に向かって走り出す。
大柄な肉体に似合わず、彼は森の中を音も立てずに進んでいく。
近づくに連れて人の気配を感じ、グライスは身を小さくして草むらに隠れた。
「――探しに行くべきですよ、先生」
「あの天に伸びた金色の炎。アレは間違いなくユリフィス殿下が戦っていた証拠でしょう」
「しかも弱い魔物しかいないこの森の中で、あんな大技を使うなんて……よっぽどの強敵がいると見るべきです」
「……」
隻眼の老騎士を囲んで、数人の騎士達が口々に何かを訴えている。
鎧に刻まれた紋章は炎の獅子。
ブランニウル公爵家の家紋だ。
その光景にグライスは眼を細めながらニヤリと悪い笑みを浮かべる。
(そうか。あの野郎、皇子のくせに一人だったから変に思っていたが、当然護衛の騎士達もいたわけだ)
あの皇子は魔女を助けた。
彼が皇帝となる事を望むなら、侯爵は協力者に打ってつけだ。
大多数の貴族たちが半魔を嫌う中で、スペルディア侯爵はむしろ魔物の――いや、竜の血を引く皇子を歓迎するだろう。
だとすれば、きっと皇子は魔法都市に辿り着く。
(こいつ等の誰かと変われば、もしかしたら……)
グライスは鎧の内側に手を差し入れ、懐から小瓶を取り出した。
魔道具の一種である『ウツシエの聖水』。誰かと向き合った状態で飲むと、まるで鏡合わせのように向き合った人物とそっくりに見えるようになる。
もう一口飲めばすぐにでも解除できるこの『ウツシエの聖水』の力で、グライスは【正騎士】に化けて迷いの樹海までやってきた。
ちなみにカノン教国で生産されるこの秘薬によって、各国の要人に信徒を成り代わらせ、スパイとして探らせたりといった事も教会はしている。
グライスは小瓶を握りながら周囲を注意深く観察した。
騎士達の数は十数人いる。
彼らの中で、一人だけ離れた場所で剣の手入れをしているまだ年若い騎士がいた。
彼以外の騎士達の多くが話に夢中な様子。
グライスは青年と言っても良い若い騎士の近くに音も無く忍び寄り、近くの草むらを揺らして控えめに音を立てた。
「ん? 魔物か?」
警戒した騎士が剣に手をかけながら草むらを覗き込んだ瞬間、グライスは左腕を伸ばして彼の足首を掴んだ。
そのまま引きずり自らの目の前まで持ってくる。
そして流れるように、声を上げる暇を与えずに首の骨を折る事で無力化。
死体とご対面しながら、グライスは左手で小瓶の蓋を開けて『ウツシエの聖水』を飲んだ。
「――おい、どうかしたか、アイヴェル」
背後からは、草むらを覗いて突然転んだように見えたはずだ。
先輩の騎士と思われる男は、誰かの名前を言いながら近寄ってくる。
グライスは草むらから堂々と立ち上がって、駆け寄ってきた騎士に肩をすくめた。
「いや、物音がしたので魔物だと思ったのですが、勘違いだったみたいです」
「……お前、どうした。急に敬語なんて使って」
「……偶には敬っても良いかと思って」
「先輩なんだから、ずっと敬えよ」
肩を叩かれながら、不自然に見えないよう笑みを浮かべる。
我ながら、自分のアドリブ力に惚れ惚れする。
それからグライスは話し込んでいる騎士達の中心へと向かう。
「――公爵に叱られますよ、何のための護衛かと」
「……皇子なら大丈夫だ。あの強さ、尋常ではない。それより探しに行って二次遭難になる方が怖い」
この護衛部隊のリーダーである隻眼の老人は、どうやら第三皇子を探す事に難色を示しているらしい。
彼を説得しなければ、グライスは魔法都市へ行く事はできない。
「……こうしてもたもた話をしている間、フリーシア王女殿下にもしものことがあれば……」
「お前たちは知らんのか。アークヴァイン家が保有する血統魔法は最硬の魔法だぞ」
会話に割って入る為に、グライスは呟いた。
「なら、もう行きたい奴だけ行きませんか?」
「……何?」
護衛部隊の長、ガーランドが鋭い視線を向けてくる。
「俺はただ、護衛対象の傍にいたいだけです。行かせてくれないなら、無理やり向かいます」
グライスがそう告げると、良いタイミングで援護射撃が入った。
「……お、おいズルいぞ、アイヴェル。俺もフリーシア王女殿下の傍でかっこいいところ見せたい!」
「先生、お願いしますよッ、もしかしたらユリフィス殿下だってピンチに陥っているかもしれないし」
「だとしたら、フリーシア王女殿下はきっと泣いてますよ?」
「……馬鹿どもが」
ため息を吐きながら、ガーランドは頷く。
「……まあ、儂も皇子には色々言いたい事がある」
そう言って遠くの空を見据えながら立ち上がった。
「――良いだろう、金の炎が伸びた地点の周囲にいなかったら、再びここまで戻ってくる。それが条件だ」
グライスは――今はアイヴェルという名の若い騎士そっくりとなっている頭を下げながら、見えないように笑みを浮かべた。
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