第44話



 豪奢なローブを纏った優し気な顔立ちの老人は、眼下に見える光景に目を細めた。


 魔法都市内部にあるスペルディア侯爵の館からは、古代遺跡が一望できる。


 巨大な樹木に覆い隠されるように聳え立つ砦のような遺跡。

 帝国が建国される以前、この場所にはアルタナという都市国家が栄えていた。


 だがその砦の奥にあるはずの都市国家アルタナは、建物の多くが損壊して無残な姿になっている。


 風化だけでは片付けられない明確な破壊の痕だった。


 それもそのはずである。

 都市があった場所には、凄まじく巨大な魔物の白骨死体が横たわっていた。


 古代の魔獣、侯爵はアレをヨルムンガンドとそう呼んでいる。


 造形は巨大な蛇そのものだ。


 ちなみにその骨を粉末状にしたものがシセンの粉と呼ばれる麻薬の正体である。


「父様」


 ガラス張りの部屋から遺跡を眺める侯爵の背後に、筋骨隆々の体格を誇る男が音もなく跪いた。

 彼は肌には鱗があり、腰からは蜥蜴のような尻尾が生えている。


「――報告です。ノエルとレインが帰還しました」


 老人は彼を一瞥し、僅かに目尻を緩めた。


「安心したよ。ノエルは死んでいなかったか」


「はい」


「あの子は唯一災害級の魔物の魔石を受け付けた特別な子だからね。状態はどうだい? 怪我はないかい?」


 老人は穏やかな口調で娘の身を案じた。


「外傷はないですが、禁断症状が出ています」


「……ではシセンの粉を渡してやってくれ。あの状態は辛いだろう?」


 スペルディア侯爵は、優し気に麻薬の使用を勧めた。


 そして、それ以降娘を気にする事はなかった。

 

「森への侵入者はやはり教会の【正騎士】達だったのかな?」


「そのようです。全員始末したとの事」


 侯爵は椅子にゆっくりと腰かけ、ほっと安堵したように息をついた。


「良かった。【世界を正す者達スティグマ】は今回も来なかったか」


「……我々魔人兵でも教会の英雄を殺す事は難しいとお思いですか?」


「英雄と言っても千差万別だよ。ハーズの街で死んだという若い英雄であれば魔人兵が二人もいれば難なく殺せるだろう。けれど教会の最上位の英雄達は別格だ。【天弓】、【覇槍】、【拳王】、【正剣】の異名を持つ四名の英雄達には、私以外ではきっと勝てないだろう」


 侯爵にとって、教会は避けられない敵だった。


 神正教は帝国の隣国であるアークヴァイン王国を挟んだ西側にあるカノン教国が本拠地の宗教だ。

 

 第一皇子はカノン教国と同盟を組み、教会勢力を帝国内に引き入れた。

 彼らは魔物を許さない。何よりも魔物を毛嫌いしている。


 だからこそ、こうして魔物の研究を進めるスペルディア侯爵の身柄を狙って戦力を送り込んでくる。


 彼らの思想は、侯爵とは決して相容れないものだ。


「報告は以上かい、ギラン?」


 ふと、そこで侯爵は疑問に思った。

 話が途切れても下がる気配はない長子に首を傾げる。


「……まだあります」


「大分言いづらそうだね。今までの話を聞く分に問題が起きたとは思えないけど」


「森への侵入者は、教会以外にももう一組いたようです」


「……こんな辺鄙な場所に用がある人物など心当たりはないけど」


 思案顔の侯爵に対して、長子ギランは僅かに躊躇いを滲ませながら告げた。


「……帝国の第三皇子とその婚約者です」


「……え?」


 予想外過ぎる名前に、侯爵は眼を点にした。


「第三皇子……確か半魔だったよね。病弱で碌に外にも出歩けないと噂で聞いた覚えがある。帝都から逃げてどこに行くのかと思えば、まさか我が魔法都市に来るとは」


「……彼は父様に話があると。その身柄はレインが捕らえています。無断で始末することは流石に……」


「……ふむ」


 スペルディア侯爵は俯きながら瞳を閉じた。


(第三皇子は宰相を後見人として帝都を出た。それも隣国の姫君である婚約者を連れて。その目的は恐らく帝位簒奪の為の協力者を集める事)


 わざわざここまで来た理由は、侯爵である自分に戦力を提供してくれと頼みこむ為。

 そう考えれば、病弱な肉体を抱えて魔物が住む危険な森の中を進み、この魔法都市に来た辻褄が合う。


(だが、私は誰の下にも付く気はない。下につけば、自分が最もやりたい事よりも主の命令を優先しなければならなくなる)


 それは侯爵にとって耐えられない。

 他者の頼みを聞いている暇はないのだ。


「とは言え、彼の肉体には興味がある。確か第三皇子の母に当たる魔物の種族は判明していなかったはず」


 片親が男というのが問題だ。


 人型の魔物は魔人族に限定される。

 だが、ゴブリンやオークに雌型の個体はいない。


 牛頭人身のミノタウロスや下半身が馬のケンタウロス、二足歩行の蜥蜴が武器を持ったリザードマン等は雌個体はいるものの、いずれも醜悪な姿をしている。

 

 人族の男が生殖行為に励めるくらい美しい容姿を持つ魔物等存在しない。


 先代皇帝が化け物に欲情する異常な性癖の持ち主だったのか、それとも侯爵が知らない未知の魔物か。


 少なくとも、第三皇子の容姿について特徴的な噂は聞かない。


 つまり魔物の特徴と言えば、深紅の瞳だけという事だ。

 

「……話は聞こう。彼の言う事を聞く気はないが。拘束を解いて、応接間に呼ぶように」


 侯爵は興味が尽きなかった。

 魔物の研究者としての血が騒いでいる。


 ほとんどの魔物は既に資料がある。


 災害級の魔物でさえもその多くが歴史の中に燦然と煌めく英雄達の手で倒されてきた。


 多くの文献、資料を読んできた侯爵が知らない魔物とはつまり、別大陸に存在する魔物か、


(討伐件数が圧倒的に少なく、その生態が全くの謎に包まれている最強の魔物、竜種くらいしかいない)

 

 まさか後者のはずはない。

 竜種は特異な魔法を使うが、何より傲慢で人と交わる事などない。


 だから侯爵は後者の可能性を完全に除外した。

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