第41話



 突如としてやってきた少年は何らかの能力なのか、宙に浮いたまま立っている。


 だが、よく目を凝らして見れば、それは違うと分かる。

 少年の足元には細い糸が線のように森にある木と木を繋いでいた。


 彼はその細い糸を足場にしているからこそ、宙に立っているように見えるのだ。


 恐らく身動きが急に取れなくなった理由も同じだ。

 ユリフィスは全身に力を込めて強引に身体を動かすと、ぶちっと何かを引きちぎる音が耳に届いた。


「やはり糸か」


 さしずめ、状況は蜘蛛の巣に囚われた哀れな獲物たち、といった構図だったわけだ。


 ユリフィスはまず<灰魔鋼グレイ・メタル>で灰色の剣を創り、それで隣にいるフリーシアの拘束を断ち切った。


「……あ、ありがとうございます、ユリフィス様」


「ああ。君は俺がアレを片付けるまで、後ろの三人を頼む。血統魔法を発動して身を守ってやってくれ」


 前に出たユリフィスが纏うマントをフリーシアは思わず掴んでいた。


 ユリフィスが振り返ると、表情を曇らせる婚約者の姿が目の前にある。


「……ユリフィス様、貴方様はいつも一人で戦いに挑もうとします。いくら強くても、一人ではまたハーズの街の時のような怪我を負うのではと心配でなりません」


 一歩踏み出し、フリーシアはユリフィスを庇うように前へ出た。


「ですからユリフィス様の事は、私が守ります。今度こそ」


 揺るぎない決意を前に瞠目したユリフィスが何かを言う前に、


「うぎぎぎ……よく言ってくれましたフリーシア様! 何もできないか弱い女の子なんてどこにもいないんだよユリフィスッ」


 歯ぎしりしながら、何とマリーベルは自力で糸を断ち切った。


「……何か分からないけど、ユリフィスを真似てみたら身体に力が漲るようになった!」


 マリーベルが虚空に拳を突き出す。

 その拳圧に僅かにユリフィスの前髪が揺れた。


 明らかに魔力によって身体能力を強化している。


 メイド服姿が見慣れてきたが、彼女は原作でユリフィスを倒す英雄たちの一員である。

 鍛冶師でもあり、何より一流の戦士に成長するという事を忘れていた。


「――ユリフィス殿下、私にも助けは不要です」


「……」


 ルミアはどこからともなく取り出したナイフを手に、既に糸による拘束を解いていた。


 フリーシアにとってルミアは、唯一アークヴァイン王国から付き従う専属使用人。


 宗主国に娘を一人送る上で、アークヴァイン王が付けた傍仕えは恐らく護衛役も兼ねているのだろう。


「――行きます、血統魔法<白の聖王結界アーク・リフレクト>」


 フリーシアが祈るように両手を合わせ、瞳を閉じた。


 その瞬間、彼女を中心とした一帯に半球状の光り輝く結界が展開される。


 フリーシアや原作主人公を輩出するアークヴァイン家は最古の王族と呼ばれている。


 それはつまり、初代アークヴァイン王こそが最初に神から固有魔法を贈られた英雄である事を示している。


 つまりは原初の英雄だ。


 その魔法は、あらゆる攻撃を通さない守護魔法。


「妙な魔法を……動くなと言ったはずだが、警告を無視したな」


 宙に張り巡らせた糸の上に佇んでいた少年が無造作に片手を振り下ろした。


 その瞬間、結界に五つの斬撃がぶつかる。

 糸による斬撃だ。

 

 よく見れば少年の指の先から極細の糸が射出されている。


 しかし、結界には傷一つ付かない。それどころか、


「――少し……痛いかもしれません」


 フリーシアが目の前の少年を案じると同時に、糸の斬撃が跳ね返った。


「は?」


 少年は自らの攻撃が反射した事に驚き、咄嗟に反応できなかった。

 瞬く間に身体に五つの切り傷が出来上がる。


 血を噴き出しながら少年は地面に落下していく。


「……やはり強いな」

 

 血統魔法<白の聖王結界アーク・リフレクト>。


 耐久力は凄まじいの一言に尽きる。


 自発的な攻撃は一切できないが、この白き結界に与えたあらゆる攻撃がそのまま攻撃を加えた側に跳ね返る反射の性質を持ち合わせている。


 古の時代、初代アークヴァイン王は魔物達の脅威から民を守り、一代で国を築いた。

 自分を慕ってくれる皆を守りたい。そう強く願った結果、神からぴったりな魔法を贈られたのだとそう伝えられている。


 だが、ユリフィスはこの血統魔法を見ると胸中に複雑な感情が芽生えて仕方なかった。

 

 この血統魔法はチートと言っても過言ではない。

 だからこそ、原作では第一皇子に狙われ、結果命を落とす羽目になった。


「おお、フリーシア様凄い! ユリフィスなしで倒しちゃった!」


「……それはフラグになりそうだ」


 ユリフィスの懸念通り、落下した衝撃で土埃が舞う中、案の定影がむくりと起き上がったのを確認した。


「……教会の者ではないな。メイド二人に……その装い、貴族なのか? いや……黒髪だと?」


 何やら一人唸っている少年とこうして近くで相対すると、彼の容姿の異常さがよく分かった。

 彼の瞳は、まるで虫のような複眼だった。


 額には紫色の魔石が埋め込まれている。間違いなく、ノエルが言っていた兄弟の内の一人だろう。


 彼も【再生】の技能スキル持ちなのか、既に身体に傷一つ残っていない。

 とは言え、実力差はもはや分かっているはずだ。


 少年に残された選択肢は、投降するか逃亡するかの二つ。


 ユリフィスは<灰魔鋼グレイ・メタル>を使って虚空に武器を無数に生み出し、少年を囲むように配置した。


 これで、選択肢は一つに限られた。


 少年は周囲に光る灰色の武器群をちらりと流し見て、


「……やれやれ。例え虫けらにも劣る命だとしても、あの男の為に使いたいとは思わない」


 肩を落とした少年は頭を振りながら言葉を続けた。


「……投降する。俺ならどうなってもいい、だからノエルの事を解放してくれ」


 潔く両手を上げて降参を告げた。


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