第39話



 剣を振り下ろしたままの体勢でしばらく固まっていたユリフィスは、奥歯を噛み締め、苦々しい面持ちで顔を上げた。


 一帯はほぼ焦土と化している。

 焼け野原と化した【迷いの樹海】、その代名詞である霧すらもユリフィスを中心とした近辺のみ消し飛んでいた。


 ユリフィスは周囲に視線を走らせる。


 戦いの余波に巻き込まれたのか、魔物達の死骸が複数体落ちている。


 もはや原型が分からないレベルで損壊しているその死骸の傍には、煌めく薄紫色の水晶のような石が転がっていた。


 魔物の核。心臓といっていい部位である魔石だ。


 魔道具の材料として需要があるが、ユリフィスの視線は興味を失ったように外れる。


(……ない。やはりあの男……)


 どこを探しても、肝心のグライスの死体がない。あるのは、鎧に包まれた右腕一本のみ。

 ユリフィスはその武骨な腕の傍まで歩き、憎々し気に見下ろす。

 

(回復魔法を目くらましに使ったのか)


 ユリフィスが新技能スキル炎霊巨剣スルト】を振り下ろす直前、グライスは自身の血統魔法<聖なる光ディバイン・ヒール>を本来の回復の力ではなく、その副次効果である発光能力を極限まで高める形で使用した。


 その結果凄まじい眩しさにユリフィスは眼が眩み、僅かに目測を誤った。


 斬撃がそれた事で彼は右腕一本の犠牲で済み、無事逃げおおせたわけだ。


「……搦め手を使ってまで逃げ出したその無様さは賞賛に値する」


 半分逃した悔しさから皮肉を漏れ出る。

 ため息を吐きながら、ユリフィスはグライスの腕を金の炎で燃やし尽くした。


「……ノエルは……」


 それから傷ついた少女の姿を探すために周囲を見渡す。

 

 炭化して黒ずんだ木の後ろから誰かの気配を感じた。


 ユリフィスがじっと見つめると、その木の陰からくせっ毛の翡翠の髪がぴょんと飛び出した。


「……見えてるぞ」


「……」


 ユリフィスが声をかけても、言葉は返ってこない。

 代わりに木の陰から半分顔を出して、じーっと見つめてきた。


 ユリフィスが近づくと、警戒したように逃げていく。そしてまた違う木の陰から半分だけ顔を出してじーっとこちらを見つめる。


「野良猫か」


 通じないだろうが、思わず突っ込んでしまう。

 

「……貴方、あの大男を一蹴するなんてどんな強さしてるの」

 

「……強さの秘訣は鍛錬だ、というのは嘘になるな。恐らくは竜種の血を引いているからだろう」


 ユリフィスは事も無げに告げる。


「……貴方はそれを……恥じていないのね」


そっぽを向きながら複雑な表情を浮かべた童顔の美少女に、ユリフィスは首肯する。


「怪我は大丈夫か?」


 ユリフィスが心配を口にすると、途端に警戒したように唇を引き結び、ノエルは言う。


「やめて。見ず知らずの男が何で私なんかを気にするの。見てたんでしょう、全部」


「……」


「私は……死霊アンデッドを生み出せる。あの生に醜くしがみつく亡者達を。自分でも吐き気がするわ、本当に」


 吐き捨てるように彼女は告げながら、右手で左手の肘を抑えた。


「……私は……こんな力いらなかった……」


「……」


「貴方は生まれつき半魔。けれど、私は違うもの。こんな力は元々なかったの。もしあのジジイが父親じゃなかったら普通でいられた。私は普通が良かった。みんなと同じが良かった……」


「……そうか」


 ノエルの表情から、彼女の苦悩が垣間見えてユリフィスは視線を下げた。


「……君の力は後天的なもの。そしてその力を獲得する過程にスペルディア侯爵が関わっている。その認識で合っているか?」


「だったら何」


 すさんだ瞳で睨んでくるノエルを他所に、ユリフィスは脱ぎ捨てたマントを地面から回収して、ついた土埃を払ってから再び身に纏った。


「君が侯爵を憎んでいるのなら、俺が代わりに侯爵を殺してやる」


「……っ」


 瞠目したノエルは、次の瞬間ひび割れたような笑みを浮かべた。


「何なの本当に。何が目的でそこまでするの。私は人の善意なんてものを信じる事ができない環境で今までずっと生きてきた。だから、絶対に信用できない」


「……」


 ユリフィスは虚空に視線を彷徨わせながら、本心を静かに口にした。


「俺は……差別のない理想郷を創りたい。世界を新しく創り変えたい。その為に仲間が欲しいんだ」


「……はぁ。聞いて損した。そんなのできるわけないわ」


 呆れたように半眼になり、肩をすくめた彼女にユリフィスは再度語り掛けた。


「確かにできないかもしれない。だが、それはやろうとしない理由にはならない」


「貴方――」


 再び嘲ろうとして、ノエルは硬直した。


 気付けばノエルは彼の纏う空気に圧倒され、ごくりと生唾を飲み込んだ。

 ユリフィスの瞳に宿る熱量を感じ取ったのだ。


 仮面のような冷酷にも見える無表情。なのに彼の血のように紅い瞳だけが燃え盛っている。


「この出会いは変えられない運命だ。改めて名乗るが、俺はユリフィス・ヴァンフレイム。帝国の第三皇子だ。約束する、君のその力が受け入れられる世界を創ると」


「……」

 

「だから、俺についてこい、ノエル」


 ユリフィスが腕を伸ばすと、ノエルは神妙に彼を見つめ、切なげにそっと自身の胸に手を置いた。


「……私には……あのジジイの元を離れられない理由があるの」


「なら侯爵の元に案内してくれないか。君の代わりに今すぐ殺してきてやる。そうしたら君が自由になれるというなら」


「……はぁ」


 ノエルは静かにため息を吐いた。


「貴方、本気なのね。世界を敵に回すなんて、いくら貴方が強くても早死にするわ」


「……かもな」


 ユリフィスは原作とは違う動機で戦う。


 世界を敵に回す上で、最大の障壁となるのは原作主人公だ。

 もしかしたら、ユリフィスの考えに賛同して彼とは戦わずに済むかもしれない。


 それともゲームと同じように、ユリフィスとはやはり相容れず戦う羽目になるのかもしれない。

 

 例えそうだとしても、彼と相対した時、ゲームのように負けるのか、それともユリフィスが勝つのか。


 未来は全く見通せない。


「……まあでも、私にとっては都合が良いし、考えてあげない事もない」


 くせっ毛の先を弄りながら、ノエルが仏頂面で続けた。


「ただ一つだけ条件がある。スペルディア侯爵――あのクソジジイの傍には、私の兄弟姉妹がたくさんいる。彼らが向かってきても、傷つけないで欲しい……無理難題なのは分かっているわ。けれど――」


「分かった。約束する」


 彼女の言葉を途中で遮り、事もなげに頷くユリフィスに呆気に取られながらノエルは問う。


「本当に分かっているの? 私には及ばずとも、兄妹姉妹たちはそれぞれ魔物の力を使う化け物よ。彼らの相手をしながら、更に人の身で百年以上生きた化け物ジジイの相手なんて――」


「俺は自分以上の化け物を見た事がない」


 その言葉にきょとんした後、吹き出すように小さくノエルが笑った。


「……そうね。あの戦いを見た後だと――」


 言葉を続けようとしたノエルが、唐突に咳込んだ。

 口元を覆った手には、べったりと血が付着している。


「は?」


 一瞬理解が追い付かず硬直するユリフィスだったが、


「――もう薬の効き目が……早く――」


 くらりと倒れる少女の小さな体を抱き留め、ユリフィスはノエルの顔色を覗き見た。


「薬? どういう事だこれは。怪我によるものじゃないのか? だとしたら何だ、この症状は?」


 直前まで普通に会話できていた。何が原因で起こったのか全く分からない。

 原作では、ノエル・スペルディアは死霊と化した後にユリフィスの配下となる。


 だから現状、彼女の身体に何が起こっているのか、原作知識をもってしても分からない。


(とりあえず視てみるか?)

 

 探究者の義眼を使えば、どういう状態か分かるかもしれない。


 何らかの状態異常なら、原因が分かれば対処できる。


 そしてユリフィスは【探究者の義眼】に魔力を送って彼女を視た。




 

 

 

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