第37話



 槍を肩にかけ、堂々たる風格でその男は死霊使いの少女と対峙した。


「……死霊アンデッドを生み出し、操るなんざまるで不死王リッチの能力だ」


 過去には大きな街一つを滅ぼした事もある上位に位置する魔物の名を呟きながら男は続ける。


「ここ最近、帝国各地で墓荒らしが発生してる。それもかつて高名だった武人や魔法使いの墓だ」


「……それがどうかしたの?」


「その遺骸をどうするのか。侯爵は何を始めるつもりだ?」


「……素直に教えるわけないでしょう、馬鹿なの?」


 そう嘲りながら、ノエルは腰を低くして最大限警戒した。

 男が持つ強靭な気配を悟ったのだろう。


 その男――グライスは彼女の態度に口を吊り上げながら、大きな槍に風を纏わせていく。


「戦うとなればな、人の顔がついててもお前さんは化け物だ。容赦はしねえぞ」


「……こんな力、望んで得たわけじゃないわ。少なくとも私は……自分を人族だと思ってる」


「お前さんがどう思おうと、評価するのは他人だ。少なくとも俺には化け物に見えてるよ」


 槍に纏わせた風が周囲の草木をしならせる。

 それはどんどん強まり、太い木の幹すらしならせる暴風と化していった。


 まるであの槍自体に台風でも纏わせているようだ。


「戦いになると思っているのか? 残念だが一瞬で終わらせてやるよ」


 直後、グライスが無造作に槍を薙ぎ払った。

 纏った風の刃が斬撃となって少女を襲う。


 だがその斬撃は周囲にいた死人ゾンビが三体、その身を盾にして主人を守った。


「――<魔法模倣マジックミラー>」


 ノエルが怪しく魔法名を唱えた瞬間、彼女が持っていた短剣に風が収束していく。


「俺の<覇風ハスカール>を真似たのか? だが、出力は比べ物にならんな!」


 グライスが勢いよく踏み出し、槍を思いきり突き出した。

 暴風を纏ったその一撃をノエルは近くにいた死人ゾンビの肩を掴んで自身の前に置いた。


「そんなもの盾にすらならねえよ!」


 槍によって胸部に風穴が空いた死人はもがきながら崩れ落ちた。

 しかしその一瞬の隙に少女はグライスの死角へと回って短剣を振りぬいた。


 それでも英雄は余裕の表情を崩さない。


 彼はその斬撃を鎧に包まれた右腕で受け止めた。

 凄まじい風切り音が鳴り響く。


 風を纏い、切れ味が増した斬撃は、しかしグライスが右腕に纏う暴風のような風の膜によって完全に受け止められていた。


 纏う風の総量が比較になっていない。鎧にすら刃が届かない現実にノエルが戦慄した瞬間、


「……!」


 少女の身体がくの字に折れ曲がる。


 グライスが大人と子供ほどの背丈の差があるノエルの腹に蹴りを入れたのだ。

 少女の身体が勢いよく吹き飛ばされていく。


 彼女の体は数本、森に生えた巨木をへし折ってようやく止まった。

 

「……世界を正す者達スティグマの相手は本当に面倒ね」


 霧の中に輪郭が浮かび上がる。


 細い腹を手で押さえつつも、ノエルはまるで効いていないかのような態度で即座に立ち上がった。

 口の中に溜まった血を地面に吐き捨て、眦を吊り上げてグライスを睨んだ。


「……肋骨をへし折ったはずだが、何で普通に立ち上がれる」


 グライスは首を捻り、眼を細めた。


 ノエルは蹴りをくらった衝撃でローブのフードが外れ、美しい翡翠色の髪が露になっていた。


 髪質はくせっ毛で、パーマでもかけたようにカールしており、髪の長さはショートボブ。そして何故か左眼を覆うように前髪が伸ばされている。


 残った右眼はまるで月の光のように静謐な輝きを宿す金の瞳だ。


「だが、力の差は分かったはずだ。魔法都市の入り口に案内しろ。それまでは生かしておいてやる」


「……私、誰かに命令されるの嫌いなの」


「そうか。なら……別の手段に出るか」


 グライスは首をコキコキと鳴らしながら、槍を肩にかついだ。

 滲み出る余裕に、ノエルは苛立ち紛れに唇を噛んだ。


「お前さん、その髪色から言って侯爵の実の娘だろ」


「……だったら何」


 その事実を心底嫌そうに、しかし肯定するノエルとは対照的に、グライスは楽しそうな笑みを浮かべた。


「魔物を操る魔女なんざ、民衆にとっちゃ恐怖でしかない。そのお前さんを捕らえて公開処刑する事を帝国各地に流布すれば、もしかしたら侯爵は自分から街を出てくるかもしれねえ」


 百年以上を生きる怪物に、娘を想う父の情がある事を期待して。

 グライスがそう続け、ノエルの元へ歩き始めた。

  

「全くよ、どういう原理で魔物の力を使いこなしているのか。気色わりいなお前」


「……ッほんと、むかつく。望んで得たわけじゃないって言ってるでしょ」


 グライスが槍を持ち換え、凄まじい速度で石突を突き出した。

 気絶させるためにか、威力は抑えられている。


 だが、このままでは原作通り彼女は教会に捕まり、侯爵を引きずり出すための餌となって公開処刑されてしまう。


 その先の未来を、ユリフィスは知っている。

 彼女は自身を死霊アンデッド化する事によって死を回避する。だがその姿は完全なる異形と化してしまうのだ。


 もう二度と、今のような元の姿には戻れない。

 そんな重すぎる代償を支払う前に彼女を配下に加える。


 それがユリフィスがここまで来た理由だ。


「――少し待ってもらおうか」

 

 木の陰から飛び出したユリフィスは、石突を右手の中に生み出した灰色の長剣で受け止めた。


「何だ? お前は」


 一段低い声で呟き、即座に距離を取ったグライスを前に、ユリフィスは背後で力なく膝をついている死霊使いを見下ろした。


「……はぁ……今日は厄日ね。侵入者がもう一匹とか」


 ただし、ノエルの方はユリフィスを見上げて苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。


「安心しろ、俺は味方だ。君のな」


 助けたにも関わらず、敵意を向けてくる少女に告げながらユリフィスは前方に視線を戻した。


 その瞬間、感じた強烈な殺気に眉をぴくりと動かす。


 目の前に暴風を纏った豪槍を構えるグライスの姿が目に映った。


「――自己紹介もまだだぞ」


 軽口を叩きながら、ユリフィスは魔力を解放した。自らが持つ全能力をフルで使わないと、勝機すら見いだせないかもしれない。


 ユリフィスは刹那の時間で左手に金の炎を生み出した。

 同時に右手には灰色の金属を生み出した。


 まず左手に生み出した黄金の炎を球状にして飛ばし、暴風の斬撃との相殺を試みる。


 だが拮抗した時間は僅かな物で、その槍は瞬く間に炎を食い破った。

 視界の端で散っていく金の炎を尻目に、ユリフィスは稼げた一瞬の隙を使って右手で生み出した金属を操作してひたすら分厚い壁を創り、自らの盾とした。


 風と鉄がぶつかったとは思えない、耳障りな甲高い音が響いた。衝撃波が周囲に飛び散っていく。

 

 鉄の壁に亀裂が入るが、自分の肉体まで攻撃が届く事はなかった。


「凄まじいな」

 

 綺麗に割れた鋼鉄の壁を見やり、次にユリフィスは左右にあった木々を眺める。


 そこには竜巻でも通ったように多くの樹木が折れて倒壊していた。


「――半魔の……ガキか」


 自らの攻撃を無傷で凌いだユリフィスに、グライスは感心するように口笛を吹いた後、唐突に眉根を寄せた。


「その特徴的な髪色と容姿。もしや……」


 グライスが眼を大きく見開いた。


「……俺の記憶が確かなら、黒髪は帝国を支配するヴァンフレイム家の特徴だ。しかしもう半分は白く染まった髪にあの忌まわしい紅の瞳を持つ者は……一人しか該当者がいない」


 ユリフィスは片眼鏡を光らせながら肩をすくめた。


「博識だな。自己紹介の必要はなさそうだ」


 ユリフィスは利き手に再び灰色の剣を生み出して正眼に構えた。


「第三皇子、か。ハハッ、面白くなってきたな。何でここにいるんだよ。そいつを庇う意味が分かるのか?」


「……さあ。少女を襲う暴漢の図と思ったまでだ」


「……少女だぁ? あんたはそいつが少女に見えるのか?」


「……どこからどう見ても少女にしか見えないが」


 ユリフィスがそう言うと、背後で膝をつくノエルの肩がぴくりと震えた。


「そうか。化け物の視界は人とは違うもんなのか」


「……仮にも帝国の皇子にその物言い。処刑されてもおかしくないぞ」


 グライスの気配がより荒々しいものへと変わる。殺気立っているといっていい。


「どうした。怒っているのか?」


 ユリフィスはハーズの街で出会ったジゼルという名の騎士を思い出した。


 魔物の血を引く半魔を無条件で憎む。そんな人物だった。

 教会の騎士というのはそういう奴らの集まりなのだろうか。


「どうだろうな。皇子様よ、ジゼルってやつを知ってるかい?」


「いや、知らないな」


 ユリフィスは無表情を維持しながら淀みなく言葉を返した。


「……ハーズっていう比較的小さな街で死んだ教会の騎士なんだ」


「そうか」


「ジゼルはだった。戦い方を一から教えて、アイツはすぐ物にした。天才肌だったが、アイツは家族を失った時から心の成長が止まっちまった。子供のまま英雄になったアイツの未来を俺は心配してたんだ」


「……何故俺にそんな話を?」


「いや、何。ハーズの街って言えば、あんたの動向が最後に確認された街だと思ってな」


「……確かに街に何日か滞在したが……俺は会ってもいない。教会とは関わりたくないからな」


「皇子様、何もあんたが殺したとは思ってない。下手人はもう分かってんだ。大鬼オーガの血を引く半魔の青年だったそうだ」


「……ほう」


「しかし俺から見ても凄まじく強い固有魔法を持つアイツがただの半魔に負けるとは……どうも思えない」


 ブラストはただの半魔ではない。

 並外れた才能を持っているが、彼が何を言いたいのかは何となく伝わった。


「誰かが手助けしたんだ。半魔の奴が勝つように仕向けた」


「……それが俺だと? 俺の噂を知らないのか?」


「病弱で、城から出たこともないか弱い皇子様だろ。半魔に限らず、混血のハーフ共は何かしら障害を持って生まれる事が多いからな。だが、それをあんたは上手く利用した」


「……」


「まさか俺の攻撃を防げる程に強いとは思わなかったが」


 猫を被るのは終わりだ。

 そう告げて、グライスは槍の石突きを勢いよく地面に刺した。


「――第一皇子から聞いて知ってんだ。ヴァンフレイム家の血統魔法。その能力の詳細をな」



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