第34話



 エルバン伯爵家に一泊し、朝食を食べてすぐにフォードの街を発って馬車は西へと進んだ。


 程なくして、ユリフィス達は無事魔物達の生息地に当たる魔境内に踏み入った。


 そこまでかけた時間はほんの数時間程。

 しかし、そこから森の中を彷徨い、魔法都市を探し続けて。


 気付けば既に三日が経っていた。


 肝心の魔法都市はまだ見つける事ができていない。


 白い霧に包まれた広大な森、【迷いの樹海】。


 見渡す限り白の霧に包まれた森の中は酷く不気味である。

 その名の通り、魔法都市を目指して幾人も森に立ち入った旅人の多くが惑い、そのまま帰らぬ人となる。


 その事を、ユリフィス達は実感する羽目となっていた。


「――ここは以前通ったな」


 馬車を停車させ、ユリフィスは吸った息を鼻から落とした。


 片眼鏡の奥にある双眸を細めた彼は馬車から降りて、濃霧の中周囲に無数にある見上げる程大きな木の一つに近付いていく。

 目を凝らして見つめると、その太い幹には小さな傷がついていた。


「……儂がつけた切り傷が残っているという事はそうなんだろう」


 第三皇子の護衛部隊長をしている隻眼の老騎士ガーランドが、嘆息しながら乗っていた軍馬から降りた。

 周囲に控える他の護衛部隊の騎士達の顔色には疲労が滲んでいる。


 晴れる事のない霧のせいで方向感覚を失い、気付けば出られなくなっている。


「……やはり当てずっぽうで進んでいても辿り着けないか」


 いつも同じように平坦な声で呟くユリフィスに対して、メイド服を着た褐色肌の美少女が歩み寄り、ジト目で呟いた。


「危機感なさすぎなんだけど。もう三日だよ三日」


 指を三本突き出して言う傍仕えに、


「……そうだな。三日経った」


「あの貴族のお爺さんから貰った食料も水もこの人数だからもう底をついちゃったし」


「現地で調達すればいい。この森には魔物が多い」


「……じゃあ食料は良いとして。やっぱり女の子だから水浴びくらいしたいよ。身体を拭いて終わりじゃあ綺麗になった気がしないなー」


 くんくんと鼻を鳴らし、自らの身体の状態を真剣に確かめるメイドに、ユリフィスはそっと視線を逸らして、


「確かにな。深刻な問題だ」


「いやいや、そこは臭くないよって言うところじゃん!」


「……」


「え、冗談だよね? だって毎日身体拭いてるし」


 ユリフィスはそれには取り合わず、無言で辺りを見渡し始める。

 その仕草にマリーベルは地団駄を踏み、


「というか今更だけど何でそんなに魔法都市? に行きたいの。理由くらい聞かせてよ」


「……給金を払っているのは俺だ」


「うわ、雇い主の特権を持ち出してきた! 黙って言う事を聞かせる気だ!」


 大きくてくりっとした眼を丸くして、マリーベルは怖い怖いと言いながら自らの身体を抱きかかえ、同じく馬車を降りて来たフリーシアの背後に隠れた。


「フリーシア様、ユリフィスが虐めてきます! 臭いって言われました。女の子なのに。酷いですよね?」


「……はっきりと言ったわけじゃないが」


「いや、だから臭くないって言ってよッ、否定をしろ!」


「……ま、まあまあお二人とも。落ち着いてください」


 二人の間に銀髪の美少女が入って宥めながら、


「そ、そんな事よりお二人とも。こんな状況でもいつも通りで安心いたしました」

 

 ほんわりと笑みを浮かべるフリーシア。

 ユリフィスは彼女の方こそ、いつもとまるで変わらない気がしたが、口に出さずに再び森に意識を向けた。


 そんな彼の様子に、フリーシアは、


 「――ユリフィス様、一度休憩してご飯でも食べましょうか? 騎士の皆さま方も疲れているご様子ですので」


「……まあ闇雲に探し回っていても埒が明かないか」


 ユリフィスは肩をすくめながら首肯した。


「……そうだな。飯にしよう」


 ユリフィスの宣言に、護衛の騎士達は次々と馬から降りて口々にフリーシアに感謝の言葉を送った。


「……はぁ、俺達の事もずっと気遣ってくれる優しくて綺麗な王女殿下と一緒に旅ができるだけで……良かった、志願して」


「そうだな。森の中を何日練り歩いたとしても、殿下の笑顔を見るだけで元気になれる」


「……お前らの身体は便利にできてるな。俺は流石に疲労が抜けんぞ」


 休憩と聞いて気が緩んだのか、護衛をしていた騎士達がぼそぼそと何やら話始めた。それをガーランドが注意しながら、


「幸いここでは弱い獣型の魔物しか見ていない。食料確保は我々で十分かと」


「……ああ、頼んだ」


 ガーランドが指示を出すと、それを聞いた騎士の何名かが準備を始めた。

 そんな折、フリーシアがおずおずと口を開いた。


「あ、あの……ユリフィス様、私は身体に良い野草でも探しに少し周辺を見て回っても良いでしょうか?」


「……魔物がうろつく魔境の中を君は散歩したいと?」

 

 ユリフィスが眼を見開いて問うが、フリーシアは恐れを見せずこくりと頷いた。


 婚約者としては許可しかねるが、彼女の気持ちに共感できる部分もあった。

 フォードの街に来るまで一週間馬車に乗り続け、そこから一泊してまた三日間馬車に乗り、森の中を彷徨いながら右往左往する。


 こうも箱詰めの状況が続けば、息抜きがしたくなっても仕方ない。


「……そもそも食べられる物かどうか分かるのか?」


「はい。小さい頃、お母様の故郷の村に足を運んだ事があります。その時に教えていただきました」


 懐かしそうに眼を細めて優しい表情を浮かべた婚約者の姿に、ユリフィスは感心するように息を吐いた。


 森の中には様々な野草が生えている。


 魔力といった不可思議な力の存在や魔物などの未知の生物。

 そういった存在が生態系に与える影響は甚大で、残念ながら地球の自然界とは乖離しているところが多い。


 おかげでどれが食べられるかなんて、ユリフィスには全く分からなかった。


「……ダメと言いたいところだが、俺もついて行く事を許可してくれるなら構わない。気分転換に外を出歩きたいのは俺も同じだ」


「勿論、私も共に参ります」


「あ、あたしもあたしも!」


 フリーシアの傍仕えである茶髪の美女ルミアと、マリーベルも手を挙げる。

 

「では我々もお供いたします」


「王女殿下を危ない目に合わせるわけには参りませんので」


 残る騎士数人が揃いも揃ってフリーシアの心配を立て続けにする。逆に自国の第三皇子を守護しようとする勇敢な騎士は一人もいなかった。


「……宰相は俺の護衛としてお前たちを寄越したはずだが」


「……ユリフィス殿下は我々よりも余程お強いのですから、護衛などと偉そうには言えません」


「そうか? 君たちはフリーシアについて行きたいだけだと思っていたが」


 そう言うと全員ではないが、何人かの騎士が眼を逸らした。


 ユリフィスとしては気持ちは分からないでもない。

 フリーシアは絶世の美貌を持っているだけではなく、雰囲気も薄幸で儚く見える為にどうしても守ってあげたくなるのだ。


 だが、ユリフィスがいる時点で護衛など必要ない。


「――君たちは馬車を見ていてくれ。目印にアズフォリの種を焼いて狼煙に使えばまたここへ戻って来れる」


 焼くと、花の良い香りと目立つキラキラと光る煙が空に舞い上がる事で有名な種である。

 よく香に使われるが、量目の違いで狼煙にも使われるこの世界独自の植物だ。


 アズフォリの種であれば、濃霧に包まれた樹海にも負けずよく見える。


「分かりました。ユリフィス殿下、フリーシア王女殿下をお頼みします」


「……言われるまでもない」


 旅を共にして、ユリフィスも意外と護衛の騎士達と打ち解けてきた。


 彼らはマリーベルやユリフィスを見ても眉をひそめる事はない。

 おかげで余計なストレスを感じる事なく旅を続けられて、こうして無事目的地まで来れた。

 

(教会がスペルディア侯爵を狙っているのならこの森に来ているはずだ。そして、そいつらを出迎えるのが……)


 三日間も当てもなく彷徨っていたのには理由がある。


 教会とスペルディア侯爵がぶつかるとして、ユリフィスの目当ての人物はきっとその最前線にいる。


(ただいつまでも森にいられるわけじゃない。フリーシアもマリーベルも野宿生活には嫌気がさし――)


「わ、この花綺麗ですね、フリーシア様! なんていう花か分かります?」


「それは毒牙草と言ってですね」


 フリーシアは地面に落ちていた手ごろな枝を手に鮮やかな蒼い花弁に向けると、花から突如として牙が生え、近づく枝に食らいついた。


「こうして綺麗な外見に騙された虫や魔物を食い殺そうとする危険な植物なのです」


「ひえええッ⁉ え、こわッ」


 蒼白な顔をしたマリーベルがフリーシアに抱き着く。

 するとフリーシアは優しく微笑みながらメイドの背を優しく撫でた。


「離れて見る分には美しい花です。間違っても触らないようにしていただければと思います」


「すっごい冷静ですね。博識で優しく綺麗で……フリーシア様は凄いなー」


「……無礼ですよ、マリー。フリーシア様に向かって」


「良いのです、ルミア。この場には誰の目もありませんから」


「それに……体つきも凄く大人っぽいというか……むしろ大人のルミアさんよりも」


 どことは言わないが、抱き着いたままのマリーベルが手を這わせると、フリーシアは顔を真っ赤に染めて甘い声を漏らした。


「んぅ……あ、あの、マリーベル様。急に……それにユリフィス様が見ていらっしゃいますので……」


「あ、ああすみません、すみませんッ、あまりにおっきくて……あたしも同年代よりはおっきいなって思ってたけど流石に負けますね」


「……ユ、ユリフィス様……」


「いや、俺に助けを求めないでくれ」


 ユリフィスはあまり視線を向けずに、心の中で呟いた。


 森の中で遭難しても、意外と楽しんでいるなと。

 それからもキャッキャと騒ぐ女性陣を他所に、ユリフィスは一人気配に気を配った。


 


 

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