第32話



 平らげられた皿を使用人達が忙しなく下げていく。


 食後の程良い満腹感に幸福を感じながら、ユリフィスは甘美な料理の数々が収まった腹を抑えた。


 ユリフィスが料理人に味の感想を伝えると、彼は神様にでも例を言われたように感激し、涙をも流した。


 竜を信仰する民にとって、竜の血を引くユリフィスは現人神に匹敵する存在なのだ。

 使用人達がユリフィスを見る眼差しは、畏敬の念に溢れている。


「――美味しくて、少々食べ過ぎてしまいました……お腹周り、心配です」


 そう言って不安げにお腹を撫でるフリーシアだが、彼女のウエストは驚くほど細い。


「逆にもう少しふっくらしている方が健康的で良いのではないか?」


「い、いけません。その小さな油断が積み重なって人は太っていくのです」


「……そうか」


 腹よりも、その豊満な胸に栄養が行っているのでは、と思ったがそんな事を口走ったらセクハラである。


 思考を切り替えたユリフィスは、口元をナプキンで拭いてから続けた。


「そろそろ本題に戻るとしようか」


「……かしこまりました。魔法都市の現状についてですか」


 エルバン家の先代当主は神妙な顔で呟いた。


 魔法都市アルヴァン。


 帝国の一都市ではあるが、世界的にも有名な街だ。

 元々は数千年以上前の古代都市の遺跡であり、それを研究する為に多くの学者たちが集まり、やがて街となった。


 街を治めるのは稀代の大魔法使いとして知られるスペルディア侯爵である。


 現当主は国軍の一つとして名高い帝国魔砲士団の二代前の団長だ。


 ちなみに代替わりしたのはになる。


「あの爺は百年以上生きております。怪しげな研究を続けた賜物かと思いますが、その自身の研究を中央には報告しておりません。ただ古代都市にまつわる遺跡の調査文だけは中央に届けているようです。ここ最近の動向は一切不明で、領地に閉じこもったままとなっております」


 既に老齢に差し掛かっているエルバン家の先代当主から爺と言われる程の高齢。


 年齢が年齢だけに、本来なら死んでいると考えて良さそうなものだが、目の前の老人はスペルディア侯爵の生存を確信している様子だった。


「……人の身でそれほど長く生きていられるはずもない。長命の秘訣はやはり本人の研究内容にあるのだろう」


 告げながらユリフィスは腕組みをした。


 魔法都市アルヴァン。

 そこが次なる目的地である。


 理想の世界、差別のない世界を創る。


 そんな新国家の建国を志すユリフィスは、ゲームだった時分に自身に仕えた六名の腹心を集める旅を続けている。


 一人目は大鬼オーガの血を引く半魔の青年ブラスト。


 ハーズの街でユリフィスは何とか彼の闇落ちを防いだが、そのまま騒動の仮定で【神正教会】から狙われる身になってしまった事を思い出す。


 ブラストはその足で逃亡の為に無法都市へと向かった。


 原作通りであれば数年で彼は街を治めるならず者の王となり、ユリフィスに力を貸してくれるだろう。


(そして次に目指す地。魔法都市にいるのは……禁忌の力を宿された魔女)


 彼女に一刻も早く会う必要がある。

 脳裏を霞めるのは、イベントムービーの一幕で見た場面である。


 教会に捕らわれ火炙りにされる少女の姿だった。


「正直あの街に関われば、御身に危害が及ぶのではと危惧をしております」


 ユリフィスを現実に引き戻したのは、老人の固い声だ。


「内情を知るために密偵を送っても全員連絡が取れなくなる。徹底的に秘匿されたあの街は、この世界から隔離されていると言っても過言ではありません。何せ見渡す限り霧に包まれた魔境、【迷いの樹海】の中にあるのですからな」


 魔法都市アルヴァンは一見してどこにあるか分からない。

 地図にすら詳細には載っていない。


 第一皇子は一度視察しているが、それ以外の帝国の上層部は街の内部がどうなっているのかさえ把握できていないはずである。


 魔法都市はスペルディア侯爵の完全なる自治都市なのだ。


「そうと知って尚、大切な者を引き連れてあの街に向かうのは、やはりユリフィス殿下の大望に必要なものがあるという事ですか」


「……」


「これは出過ぎた事を。若人の詮索をするのは老人の悪い癖。申し訳ありません」


 即座に頭を下げた先代当主が顔を上げるのを待ち、ユリフィスは口を開いた。


「……抽象的な懸念ばかり口に出すが。俺の身を案じて警告をするからには、何か掴んでいるのだろう」


「……流石の慧眼でございます。ただそれは【迷いの樹海】に武器の類が大量に運び込まれている、という情報程度。それが何を意味しているかまでは分かりません」


「……そうか」


「ただそれを警戒してか、教会はスペルディア侯爵の実態を暴こうと躍起になっているようです」


 ユリフィスはゆっくりと鼻から息を吐いて、眼を閉じた。


「元々、あの爺が何故未だに死んでいないのか。その辺の研究は教会が憎む魔物との繋がりを感じさせるのでしょう」


「教会は具体的に何か行動に出たのか?」


「【神正教】の手足である正騎士団の一部隊を【迷いの樹海】に頻繁に送っているようです。ですが、都市の発見にすら至っていないとか」


 【迷いの樹海】は霧で覆われ、方向感覚もおぼつかない魔境。


 森の中には多くの魔物達も生息している為、並みの者では街にさえ辿り着けない。

 このまま街を見つけられないとすると、必ず教会は英雄の資質を備えた教皇直属の部隊、神を正す者達スティグマを派遣するだろう。


 そうなったらいよいよ原作通り彼女は捕まってしまう。


「最後にご命令頂いた計画に関してですが――」


 僅かに声のトーンを落とした先代当主に、ユリフィスは片手を前に出してその必要がない事を示した。


「そちらは順調かそうではないか。それだけ聞ければ充分だ」


 先代当主はちらりとユリフィスの隣で両者のやり取りを興味深そうに見つめるフリーシアに視線を置いた。


「順調であります、殿下」


「そうか」


 ユリフィスは無表情のまま食後に用意された紅茶を一口飲む。


 隣に座るフリーシアから何か言いたげな眼差しを感じるが、ユリフィスは意図的に無視した。


 命令していた計画とは、帝国の第一皇子と第二皇子を反目させる事である。

 エルバン家当主であるゴドウィンは今、第二皇子が団長を務める帝国魔法騎士団副団長の座にある。


 その彼が第二皇子の舵取りを上手くこなし、第一皇子と衝突させる事ができればユリフィスにとっては言うことがない状況だ。


「――最後に俺からも話がある。いいか?」


 ただ戦争を引き起こすのが目的だなんて、優しい婚約者の耳には入れたくない。


 ユリフィスは早々に話題を変える事にした。


「無法都市には竜信教の信者はいるか?」


「……無法都市、ですか」


 先代当主は、視線を落としながら思案顔で告げた。


「かの街の現状は魔法都市と同様に良く存じ上げませんが、【神正教会】から異端とされた異教徒達の噂は耳にします」


「……そこに俺の配下が一人いる。アイツと頻繁に連絡を取り合うつもりはないが、活躍の程を楽しみにしている。できればどういう状況にいるのか、知っておきたいと思ってな」


「あちら側に同胞がいるかどうかは分かりませんが、我々の同胞があの街に行き着いたとしても何もおかしなところはありませんな。必要とあらば、一報をお持ちします」


「助かる」


「その者の特徴、お教えいただけますか?」


「……ああ。まず――」


 ユリフィスは脳裏に粗暴な言動の半魔の青年を思い浮かべながら語った。


 それから程なくして、会食を伴った情報交換の場は終わりを告げた。

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