第31話


 フォードの街は常にライアナ火山の恩恵にあやかってきた。


 この火山は活動は活発だが、大規模な噴火は数百年以上起きた事がない。

 小規模な噴火の際に一帯に降り注ぐ火山灰が、栄養価の高い肥料となってくれるおかげでこの街の農業は大きく発展した。


 特に特産品であるワインの製造量は国内最大である。


 ちなみに大規模な噴火をしない理由は、火口付近に一体の竜が住み着いているからだった。


 【炎竜ライアナ】。


 数百年以上前から住み着く紅色の鱗に覆われたその竜が、火山の活動を完璧にコントロールしているのだ。


 本来竜は世界最強の生物であるだけではなく、恐ろしく知能が高い魔物であり、それでいて傲慢だ。


 だが【炎竜ライアナ】は竜にしては穏やかで、マグマの中で一日中眠り続けている事が多い。 

 近くにある人族の街の存在は当然気付いているだろうが、不干渉を貫き続けていた。


 それ以外にも炎竜の加護は街を取り巻いている。


 フォードの街は他の街とは違って魔物による被害がほとんどない。

 上位生物である竜の気配を感じるのか、野生の魔物が怯えて近寄って来ないのだ。


 だからフォードの街には他の街に必ずと言っていい程ある高い街壁がなかった。


「――そしていつしかいくつもの恩恵を齎す存在を、炎の街フォードを治めるエルバン伯爵家の者は、自然と崇めるようになった」


 案内された客人用の食卓に招かれたユリフィス達は、部屋に飾られてある絵画に視線を向ける。


「――竜の絵……ですか」


 雄大な火山の火口付近に、炎を纏う一体の竜が雄々しく描かれていた。


「……魔物を信仰しているの?」


 瞠目するフリーシアとマリーベルに、先代エルバン家当主は肯定した。


「――我々は代々、竜を崇める竜信教の信者なのです。だからこそ、今は亡き皇帝陛下は我らにのみユリフィス殿下の出生の秘密を打ち明けてくださった」


 ユリフィスは、最強の魔物種族である竜の血を引いている。

 先代皇帝は、帝国貴族から疎まれる彼を何とか生き長らえさせようと、エルバン伯爵家に協力を求めたのだ。


「それが、エルバン伯爵家がユリフィス様に忠誠を捧げる理由です」


 その言葉に、フリーシアは納得の面持ちで相槌を打った。


「……な、なるほど。我らにのみ、という事はユリフィス様の出生は、兄君である第一皇子殿下や第二皇子殿下も知らなかった事柄なのですか?」


「そうだ」


 婚約者の疑問にはユリフィスが答える。

 

 元々大自然たる火山を神聖視するのは、ユリフィスの前世に当たる地球に置いてもある話だった。

 その火山活動を支配し、長年街の発展の原動力となってきた竜を、その凄まじい力と合わせて神として敬うのは理解できない話ではない。


「しかし、今となってはそれだけが忠誠の理由というわけではありません。我々は今の帝国の現状を強く憂いております」


 言いながら、先代当主はユリフィスらに席を進めた。


 エルバン家に仕えるメイド達が椅子を引き、ユリフィスが先代当主の対面に座り、右隣にフリーシアが腰を落ち着けた。


 マリーベルは純白のテーブルクロスの上に乗っている湯気が立つ豪勢な料理の数々に生唾を飲み込みながら、傍仕えという立場状ユリフィスの背後に控えた。


 口を開けて今にも涎が垂れそうになっているマリーベルに、ここまで御者を務めていたフリーシアの傍仕えである茶髪の美女ルミアが肘で小突く。


「現在、摂政として中央で指揮を執る第一皇子は【神正教】を帝国内に引き込んだ張本人。魔物がいない世界を目指す教会にもし我々の信仰がバレれば、異端となって即座に討伐の対象となるでしょう」


 言葉を交わす途中、コック帽を被った料理人が礼をして食卓の中心に置かれた大皿の元に歩み寄る。

 

 ガラス皿には、香草の下に氷が敷き詰められ、その上に目を見張る程巨大な海老が乗っていた。


「第一皇子は一貴族など歯牙にもかけず、見捨てるかと。かの者は昨今、大きな魔物被害が出た帝国の地方都市に対して国軍である帝国魔砲士団を派遣せず、教会に委任する事が多い」


(……第二皇子とはその辺、対応が真逆だな)


 同じく国軍である帝国魔法騎士団の長を務めている第二皇子は、帝国臣民の嘆願によく耳を傾ける。


 第一皇子と第二皇子は、その辺の対応が正反対なのだ。


「そうする事で自軍の戦力を温存して、国外に目を向けられると考えているのやも」


 ユリフィスはその言葉を聞き、顎に手を添えて考える。


(まさか他国を侵略しようとしているのか?)


 この世界はファンタジーRPG【アビス・ファンタジー】を忠実に再現したような世界だ。

 原作が始まる頃には第一皇子と第二皇子はラスボスであり、魔導帝を名乗ったユリフィスの手によって始末されている。


 だから第一皇子が生前、一体何を目指していたのかは知る由もない。


「――それから、これはフリーシア王女に関係ある事柄ですが」


「……何だ」


 ぴくりと身体を揺らした婚約者の横で、ユリフィスは顔色を変えずに問う。


「第一皇子は、フリーシア王女の身柄を狙っておいでです。あちら側に潜入している倅が掴んだ確かな情報です」


「……馬鹿正直に臣下である帝国の貴族に命令したわけでもないだろう。どこに依頼を出した」


「確証はありません。が、恐らくは帝国の暗部【影蛇】の者かと」


 ユリフィスの心に、動揺はない。


 元々、帝国の上層部はユリフィスを亡き者にしようと企んでいた。

 その上で、彼の死後アークヴァイン家の姫君を第一皇子の第二妃にと望んでいた。


 しかしその結果の未来を、ユリフィスは原作知識で知っているからこそその計画を阻止したのだ。


(――だが丁度良い。帝国一と名高い暗殺者の一族には俺の配下がいる)


 魔導帝を支えた六名の腹心【覇道六鬼将】。

 世界に絶望し、闇落ちしたユリフィスは世界各国の人間たちを虐殺する為に、六名の将に各国を攻めさせた。


 その一人が、謎に包まれた暗殺組織に属している事はゲーム知識で知っている。


「……ア、アークヴァイン家は帝国に従属している弱小国。その姫である私が狙われる価値などないように思えます」


 フリーシアが僅かに青褪めた表情で唇を噛み締めた。


「何を言われます。その血筋は最古の王族、聖王の武名は御伽噺にもなっている程。それに加えて、失礼ながらその美貌を見れば妻にしたいと願う者が後を絶たないかと」


 後半部分に、部屋の中にいる使用人達が一斉に頷いた。


「……皆様、からかっておいでですか?」


 彼らの様子にユリフィスの背後に立つマリーベルが吹き出すように笑みを浮かべ、フリーシアは恥ずかしそうに頬を赤らめて俯いた。


(……美しさについては同意するが。第一皇子の狙いはアークヴァイン家の血統魔法にあるんだろう)


 場の雰囲気を壊さない為に、ユリフィスは敢えて口に出さなかった。


「……フリーシアの件は心配いらない。帝都から連れ出したのは、俺が傍にいれば守れると確信を持っての事」


「……ユリフィス様……」


 努めて軽く言ったユリフィスは、頬の赤みを増したフリーシアから視線を逸らし、照れを誤魔化すように続けた。


「一先ず話の続きは置いておくとしよう。どうやら料理の準備ができたようだぞ」


 湯気が立つ料理の数々が真っ白な陶器の皿によそわれ、既に会食の準備は整っていた。


「ここに来るまで十分な休息をしてこなかったからな。腹が減っている」


「……承りました。では両殿下に料理の説明を」


 一瞬、エルバン家の先代当主は主君であるユリフィスの幼なげな部分が垣間見えた事に優しい表情を浮かべる。

 しかしすぐに元の厳めしい面に戻し、眉間に寄った皺を濃くした。


「かしこまりました」


 そうして始まった料理の説明は、実に工夫と手間を加えている事が分かる品々だった。


 ライアナ火山から降り注ぐ火山灰によって、栄養価の高い野菜をふんだんに使った見目美しいテリーヌと、備え付けられたサラダ。


 そしてライアナ麦と呼ばれるご当地の麦を使ったホカホカの米。

 

 栄養価の高い餌を食べて丸々と育った七色鳥という家畜のロースト。


 ライアナ火山で取れるメラダケと呼ばれるキノコを使ったスープ。


 成人には達していない為、ワイングラスに注がれたのは名産であるワインではなく葡萄を使ったジュース。


 最後にメインで置かれた大皿に乗った巨大で真っ赤な海老。


「こちらはライアナ火山に生息する火岩海老と呼ばれる魔物です。溶岩の中に生息するだけあって、熱には滅法強く外殻どころか身すら硬い。そのままでは食べられたものではありませんが、冷やすと途端に柔らかくなり、その刺身は絶品の一言に尽きるものとなります」


「……刺身。まさか火山地帯に来て刺身が食えるとは」


 ユリフィスは若干、頬を緩める。


 前世の記憶にある料理が脳裏を霞めた。

 料理人が見事な手際で外殻を切り分け、各々の皿に刺身を盛り付けていく。


「――話の続きは食事の後という事でよろしいですかな?」


「勿論だ」


 ここまで持て成されたのは、ユリフィスは恐らく生まれて始めての経験である。


 帝城である魔剣城では痛んだ食べ物が平然と回される事もあり、皇族とは名ばかりの生活を送っていたのだから。


「……とても美味しそうですね、ユリフィス様。ご厚意に甘え、いただきましょうか」


「ああ」


 はにかんだフリーシアに頷きを返し、ユリフィスはフォークとナイフを手にした。







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