第26話



 血が眼に入った教会の騎士は呻いた。


 これですぐには開けない。

 元々一瞬の隙さえあれば良かった。ブラストはそれを見逃さない。


 傷は深い。このまま処置をしなければ致命傷になる程。


 だが、まだ動ける。体力の値が0にならない限り、生命活動は停止しない。

 

 苦し紛れに振るわれた十字剣をブラストは左手で掴む。

 刀身に直に触れた事で皮膚が斬れるが、もはやそんな事など気に留めない。


 一度体勢を立て直すために距離を取ろうとするジゼルの足を踏んでブラストは動きを封じた。


 そして右手に渾身の力を込めて殴った。

 

「……ぐあッ」


 ジゼルの口から血が零れ出る。


「レイサの顔を殴り、怖い思いをさせたお前を俺は許すつもりはねえ」


 凄まじい力で殴られたが、ジゼルは吹き飛ばない。

 足を踏まれているため逃げられないのだ。


「まだまだこんなもんじゃ俺の気が収まらねえよ!」


 ブラストは何度も拳を振り下ろした。

 

 抵抗しようとするたびに拳の一撃が叩き込まれて意識が遠くなる。

 そして意識が遠くなるたびに激痛で意識が覚醒する。


 その繰り返し。


 怒りの形相で拳を振るうブラストだが、腹部や胸部に刻まれた傷痕からは絶えず血が零れ落ちている。


 それでも立って、意識を保ち、攻撃を続けるその執念。


 鬼神のような壮絶な姿にジゼルは恐怖した。


「化け、物が……」


 弱弱しい掠れた声が耳に届き、ブラストは攻撃を止めて敵の姿を見下ろした。


 顔は原型が分からない程酷く膨れ上がり、血で染まっている。苦し紛れに拳を受け止めた腕はおかしな方向に曲がり、足はがくがくと震えていた。


 既に十字剣は騎士の手の中から零れ、立っていられず膝から崩れ落ちる。


 もはや虫の息だった。


「俺たちをそう呼ぶてめえは……これから創る世界に必要ねえ」


 そう言ってブラストは床に落ちている十字剣を拾ってジゼルの首筋に当てた。

 怒りを内に秘めた紅い瞳で見下ろす。


 そんな彼を見て、ジゼルは震えあがった。

 魔物相手に恐怖したのは、これまでの生涯を通して一度だけ。


 マンティコアという魔物がいた。


 醜悪な老人の顔と巨体を誇る獅子の肉体に、尻尾が蠍のような毒針を持つ正真正銘の化け物である。


 魔物にも性格があって、マンティコアは残虐非道で嗜虐心が非常に強いのが特徴である。


 ジゼルは十歳の頃、目の前で逃げる母を爪で引き裂かれ、果敢に立ち向かった父を尻尾の毒針で貫かれた。


 そして、辛うじて息をしている父と恐怖で動けないジゼルの前で、マンティコアは当時八歳だった彼の妹を頭から食べた。


 その時の恥は今でも忘れられず、胸にしこりとなって残っている。


 ジゼルは愛する家族の死に、ただただ恐ろしくなって逃げた。

 仇を討とうと怒りに任せて立ち向かうでもなく、後ろを決して振り返らず逃げた。


 村人はジゼルを残して皆殺しにされた。

 のちに駆けつけた領主軍だが、既にマンティコアは全てを捕食し終わって逃げた後である。


 ジゼルは子供ながら途方もない罵詈雑言を領主に浴びせた。


 事が起きてから助けに来るのでは遅いのだと。


 家族の死によってジゼルは気付いた。

 自分から積極的に魔物を狩らなければならないという事実に。


 だからこそ、狩る相手を決して恐れてはいけないと自戒してきた。


 魔物に恐怖するという事は、あの全てを失った弱い自分に戻るという事だ。


 半魔は魔物と変わらない。ジゼルの中ではそれが真理である。


 固有魔法を得て、教会の中で地位をつけても結局はあの日から変わっていなかった。

 自分への失望と無力感を感じ、ジゼルの瞳から透明な雫が流れ落ちる。

 

 そんな今わの際の教会の騎士の様子を見て、ブラストは何か感じ入る事があったらしい。静かに口を開いた。


「……俺の親はな、大鬼という魔物を討伐しに行きながらも逆に捕まって、強制的に孕まされた女騎士らしい。彼女は生んだばかりの俺を当時同僚だったハリスに預けて、自殺した」


「……」


「……俺達半魔も、魔物の犠牲者だ。お前と同じでな。好き好んで魔物と子を作る奴がいると思うか? 望まれて生まれてきたと思うか? 少なくとも俺は違う」


「……」


「それが何で分からねえんだ。馬鹿が」


 ブラストは十字剣でジゼルの首を斬り飛ばした。


 最期に何を思ったか、ジゼルはかすかに目を見張った状態だった。

 憎しみのあまり、背景を見ようとしなかった青年は、最初で最後の機会で半魔というものについて理解したのかもしれない。

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