第21話



「――ジゼルッ、ジゼルはいないのか⁉」


 珍しく寝室から出てきたベリル子爵は、協力関係にある教会の騎士の名を叫んだ。


 未来を視る彼の魔法は凄まじく有用で、全面的に信頼していた。だから全ての対処を任せて、悠長に二度寝した子爵は朝起きて初めて事の大きさを知った。


 思わず卒倒するかと思った程だ。


 昨夜、屋敷に侵入してきた賊二人によって子爵側は壊滅的な被害を受けた。

 一階のエントランス部分は地下に続く穴が空いているし、壁にも罅が目立つ。


 建物だけではなく、人的被害も甚大だ。


 自らに仕える騎士達の大半が骨を折るなどの重傷を負ったが、それほど回復液ポーションを備蓄していなかったので供給が追い付かない。


 まずはベリル家の一族の者から使うので、到底数が足りなかった。


 更に楽しみにしていた人質として各地から集めた見目麗しい女性たちの姿が忽然と消えているとくれば、子爵が怒髪天をついてもおかしくなかった。


「おい貴様らッ、ジゼルはどこにいるッ⁉」


 非戦闘員であるメイドや執事たちには怪我一つない。彼らに子爵は尋ねるが、皆一様に首をぶんぶん横に振る。


「クソッ、役立たず共が!」


「お、おやめくだ……きゃぁッ!?」


 メイドの顔を殴り飛ばし、子爵は再びジゼルの名を呼ぶ。


 この件の責任をどう取るつもりか、それを問いただすべく。

 だが、そんな暇などなかった。


 民衆は、子爵の館を襲撃しながら逃げる二人組を見ていた。


 囚われていた女性たちが逃げ出すところを見ていた。


 多くの騎士達が怪我で動けないところを見ていた。


 今まで子爵の圧政に逆らうたびに見せしめとして魔法を浴びせられ処刑されてきた。

 だが、家族や友人がそうして命を散らす姿を見るたびに、恐怖するのと同じくらい心の中で炎が燃えていた。

 

 憎悪という黒い炎が。


 それに、子爵は全く気付いていなかった。


「――し、子爵様ッ、大変ですッ!」


「何だ、もしやジゼルが見つかったか?」


 比較的軽傷で済んだ騎士の一人が、もう一人の騎士を背負った状態で子爵の前に跪いた。

 背負われている方は、顔中が腫れあがって相当な数殴られたのだと分かる重傷である。


「それどころではありません! この場から今すぐ逃げた方が良いかとッ」


「はぁ? 何を言っている? 私はこの街の主だぞ。考えて物を言え」


「……我々二人は軽傷で済みましたので、仲間の分の回復液ポーション調達の為に街にいる商人達にありったけの回復液の在庫を持ってくるよう要請したところ、彼らは皆一様にして売却を拒否しました」


「……な、何だとッ?」


 それはつまり、領主への協力を拒んだ事と同じである。


「……抑圧されていた今までの不満が爆発したような……我々は歩いているだけで領民から暴力を振るわれました。騎士というだけで睨まれ、コイツは囲まれて何十回と殴られました……」


 身体中を震わせながら口にした騎士は、その場で子爵を伏し目がちに批判した。


「貴方は……やりすぎた。動ける騎士はほとんどいません。貴方の一族の者達も今は寝込んでいる状況です。領民たちは声高に貴方からの解放を訴えて大広場に結集し始めています」


「……つまりなんだ。このハーズの街を支配する私に対して領民風情が反逆しているとでも?」


 子爵は怒りを通り越して馬鹿馬鹿しくなった。


 血統魔法を持つ貴族に逆らう事は死を意味する。

 今までずっと知らしめてきたはずだった。


「――大変ですね、子爵」


 そんな折、他人事のようにふらりと屋敷内に現れたのは子爵が探していた教会最高戦力が一人、【浄剣】の二つ名で知られる騎士ジゼルだ。


「……ジゼル、貴様今までどこへ行っていたのだッ⁉」


「どこへって……屋敷を襲撃した賊二人を追っていたのです。ただ、私の方も怪我のせいで見失ってしまいましたが」


 そう言った神官服を着た青年は、多少の土埃で衣服が汚れているものの怪我など負っているようには見えなかった。


「……ふざけるなッ! この件はあのお方に必ずや報告するぞ。お前の無能ぶりもな」


「……ふふ」


 ジゼルはくすりと笑った。


 思わず吹き出したような笑みである。


「何がおかしい!?」


「いえ、無能に無能と言われるとは……まあ報告するならどうぞ、ご勝手に。ただあの人は元々こうなる事を望んでいましたよ」


「……どういう意味だ」


「領民を強引に攫って無理やり手籠めにしたり、魔物の被害を放っておいたり。これらが周囲に漏れなかったのはあの人が尽力されてきたから。何故そんな危険な橋を渡ってまで貴方を庇っていたと思うのです」


「……わ、私が忠臣だからだろう」


 瞬間、ジゼルはおかしくてたまらないと言わんばかりに腹を抱えた。

 屋敷内が静まり返る中、ひとしきり大笑いした後、ジゼルは氷のように冷たい無表情で告げた。


「あの人はあんたで遊んでいたんだ、子爵。どの程度の圧政で民衆は反乱を起こすのかという題目で。あんたはさしずめモルモット、いやピエロか」


 さっと血の気が引いていく。


 子爵は乾いた喉に唾を送り、掠れた声で尋ねた。


「……なんだ、それは」


「この世界では、革命なんてほぼ起こらない。各地に君臨する王や貴族達――いわば支配者側の者は皆、過去に偉業を達成した魔法使いの一族。当たり前だが、弱者は強者に従うしかない。だからかつて支配者側が倒されたのは、歴史を振り返ると一例のみだ」


 同じ貴族が貴族を成敗する。そんな話はあっても、平民側が貴族を倒した話はない。

 ジゼルは続きを語る。


「ある日、それが見たいとあの人は言い出した」


「……は?」


「その顔、意味が分からないという顔だね」


 まさに子爵の心情はそうだった。


 意味が分からない。

 子爵は、そんな事を見て何になるか理解できなかった。


「あの人がこの実験を思いついたのは、退屈しのぎの為という側面もあるが、


「固有、魔法だと……」


「偉業を達成した者に与えられる神の祝福。僕は僕の家族を皆殺しにしてくれた魔物を探し出してぶち殺したら、この『未来を視る』という素晴らしい魔法を手に入れたわけだけど……」


 偉業というのは、個々人で千差万別である。

 これをしたら必ず固有魔法が与えられる、というものはない。


 だが、歴史上ほとんどない支配者への反逆というのは、間違いなく偉業に換算できる。


「有用な固有魔法を手に入れる事ができれば手元に置く。手に入れる事が出来なければそれはそれ。反逆されなかったら民衆が苦しいだけで我々やあの人には何ら害はない」


「……ま、待て、ジゼルッ。貴様どこへ行くッ」


 子爵は背を向けた教会の騎士に近づいた。


「どこの物好きな輩か変なお膳立てが入ったが。偉業達成の瞬間を見るんです。魔法も持たない平民が、貴方を殺すという偉業を。その為に正門を開けておくつもりです」


「……う、裏切りなど許さんぞッ! 私の血統魔法で――」

 

 その瞬間、首だけ振り返ったジゼルの瞳が蒼く光り出した。


 魔物の特徴である紅の眼とは正反対な蒼。


 子爵は悟る。彼の固有魔法が発動しているのだと。何度もこの力に助けられてきたから知っている。

 手を突き出したまま不格好な姿勢で固まった姿を嘲るように見つめた後、ジゼルは鼻を鳴らして去っていく。


 あとには、守ってくれる者が誰もいなくなった哀れな貴族のなれの果てが、浅い呼吸をする音が屋敷に響いた。


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