第20話



 柔らかくて、甘い匂いに包まれている。

 暖かくて酷く落ち着く。


 何となく、前世の母を思い出した。


「……」


 誰かの気配が傍に感じられる。

 安心する気配だ。


 ユリフィスは目を開けた。


 すると頭上で誰かがはっと息を呑んだ。

 ぼんやりとした視界が段々とはっきりしていく。瞳に映るのは、銀髪タレ目の美少女である。


(やけに柔らかくて気持ち良いと思ったら……)


 どうやら彼女の太ももにユリフィスの頭が乗っており、膝枕されているようだった。

 

 フリーシアは前かがみになってユリフィスの顔を覗き込んでくる。

 年齢不相応に豊満な胸が目の前に差し出され、ユリフィスは思わず眼を反らす。


 加えて彼女のサラサラの髪が頬に落ちてきて、少しくすぐったい。


「……心配、しました」


「……悪い」


 頭を優しく撫でられる。

 潤んだ瞳で、辛そうに眉根を寄せる己の婚約者と視線を通わせる。


 普段は少し触れただけで頬を真っ赤にする癖に、こんな時は照れないのかと心の中で苦笑する。


 彼女の細い指がユリフィスの髪を梳いていく。


 膝枕されながら、優しく頭を撫でられている今の状況にユリフィスはふと疑問を抱いた。


 何がどうなってこんな状況になっているのか。一瞬夢かと思ったが、撫でられる感覚は紛れもなく現実のものだ。


(確か俺は……ブラストとベリル子爵家の屋敷に侵入して……それから……)


 フリーシアに優しく頭を撫でられると、何だか思い出すのも億劫になってしまう。

 このままの体勢から動きたくない。


 柔らかい彼女の太ももに、ユリフィスは頬を摺り寄せる。


「……だ、大丈夫です。そのままま眠っていてください、ユリフィス様。血は止まりましたが、傷は深いようですから」


 ようやく照れくさそうに頬を染めた姫君と視線を合わせながら、ユリフィスは自身の身体に意識を向ける。


 全身に感じる倦怠感と少し熱っぽい頭。


 そしてじくじくと痛む背中に、思わず顔をしかめる。


 ちなみにこの世界には回復液ポーションという外傷を治す薬品があるが、聖水を材料としているため人族にしか効果がない。


 魔物にとっては毒なので、半魔であるユリフィスやブラストには害にしかならなかった。


 とは言え、痛みは我慢できない程ではない。それならば状況の把握くらいはできる。


「……いや、そういうわけには。ここは?」


 まずユリフィスが寝転んでいるのは清潔なシーツが敷かれたベッドの上だった。


 周りに視線を飛ばすと、流石に城には劣るが中々の内装を誇る空間である。

 床はカーペットが敷き詰められ、高級そうな家具が並んでいた。


「ハーズの街で一番高級な宿屋です。本来は領主の屋敷に向かう手筈でしたが……皇子を迎えられる状態ではないと」


「まあそうだろうな」


 結構暴れ回った自覚はある。

 それはともかく、フリーシア達が街に着いているという事はアレから数時間は経っているわけだ。


 ブラストに運んで貰ったのだろう。


「……ブラストの恋人は無事か?」


「……はい」


「そうか。他の人質になっていた女性たちは?」


「……今、ガーランド様の部下の騎士様方が街の中を巡回して保護して回っているそうです」


「……良かった」


 ユリフィスが小さな声で呟くと、フリーシアは唇を噛み締めて再び宝石のような碧眼に涙がためた。


「ユリフィス様……貴方様が血だらけで運ばれてきた時、私は呼吸が止まるかと思いましたっ……」

 

「……」


「だ、だから私を連れて行った方が良いと言いました……私の血統魔法なら守れました……」


 ユリフィスは眼を閉じた。


「俺はこの傷を受けた事に後悔なんてしてない。君を連れて行かなかった事も」


「……弱い私は……足手まといですか?」


「違うさ。そもそも危険な場に出る事自体おかしな話だ。君はお姫様なんだ。安全な場所にいていい」


 そう告げると、フリーシアは涙を堪えて目頭を押さえた。


「そ、それではこれからずっと……ずっとずっとユリフィス様が傷を負われる姿を見続けなければいけないのですか?」


「いや、そうじゃない。俺が傷を負う事など早々ないんだ。だから安心していい」


 彼女はユリフィスの生命線だ。


 まだ原作で彼女を死に追いやった第一皇子と教会勢力が健在なのだ。ユリフィスの闇落ちイベントは、完全に回避したとは言い難い。


「で、でも今回は大きな傷を受けました」


「……今回が特別なんだ。本来、俺は無敵なんだ」


 ラスボスだからなと心の中で付け足すユリフィスに、フリーシアは涙を手巾で拭いて困った子供を見るような暖かな眼差しを向けた。


「……そんな理由で……私が納得すると思っているのですか?」


 力なく小さく笑ったフリーシアに、ユリフィスは仏頂面で告げた。


「本当なんだけどな……」


「……もう。困った婚約者様です」


 また頭を優しく撫でられる。


 ユリフィスは起きて、もっとブラストやガーランドとこれからの事について話をしなければと思った。

 

 だが思っただけで、実行には移せない。


「……一緒に戦えない分、今は貴方様の傍にいます。せめてもう少しだけ休んでください、ユリフィス様……頑張りましたね……」

 

 眠くて眠くて。


 ユリフィスは睡魔に身を委ねた。

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