第15話


 

 村を発って数時間。


 その間休憩なく走り続けてきたユリフィスとブラストは、ようやく魔物達の侵入を防ぐために作られた高い防壁に囲まれた街を肉眼で捉えた。


 ハーズの街。

 特筆すべき産業は特にないが、帝都と辺境都市を繋ぐ街という事で商人からは好まれている。


 ゲームでもサブストーリーが何個かあるだけの、ストーリー本筋には関わらない中規模の街である。


 ここまでの道中、魔物達の襲撃に何度も合いながら、二人は全くの無傷で着くことができた。


(だが、これだけ戦ってもなお、結局一つもレベルが上がらなかった。あの程度の魔物では経験値がさほど入らないか、それとも必要とする経験値の量が俺の場合、酷く多いのか)


 そもそもゲームと同スピードの速さでレベルが上がる事自体おかしいとは思う。


 一時間かそこらでレベルが10を超えたら、逆に序盤で登場してくるレベル10の中年盗賊は今までの人生一体何と戦っていたのだという話になるからだ。


 ステータスについて考察するユリフィスの耳に、隣で並走するブラストの声が届いた。


「……言ってなかったが、敵はクソ貴族だけじゃねえからな。教会もグルだッ」


「……何?」


 その名を聞いただけで、ユリフィスの魔力が怒りによって周囲に漏れる。


「おい、どうした?」


「……」


 教会とは、近年帝国で急速に広まりつつある【神正教会】の事である。


 原作が始まる四年後では本来、魔導帝ユリフィスと六人の忠臣たちによって滅ぼされている組織だ。

 何故ならユリフィスの婚約者であるフリーシアの死に関わっていたから。


 とは言え、彼女は自分の手で保護している限り安全なはずである。ユリフィスは感情を抑えて質問した。


「……民の心に寄り添うと評判の教会が、民を無下に扱う子爵に協力しているのか?」


「俺は神なんざ信じてねえから知らん。だが村にやってきた騎士の一人はとんでもなく強かった。ソイツは肩に天使の翼の刺青が入ってた」


「戦ったのか?」


「当然だろッ、恋人を黙って連れていかせる腰抜けに見えるか?」


 戦った結果、連れて行かれたらそれはブラストが負けたという事だ。


「本来なら今頃、俺は一人であのクソ貴族の屋敷に襲撃をかけてた……!」


「……なるほど。それを俺たちは止めてしまったわけか」


 街道で出会った時、彼はきっと怒りで支配されていたはずだ。


 ユリフィスが乗っていた馬車は公爵家の家紋が描かれているため、あの場で彼は貴族が乗っていると知って怒りが頂点に達したのかもしれない。


「だが、一人で挑んだところでまた同じ結果になる可能性が高かったはず」


「そうだとしても、恋人が死ぬより辛い目に合っていると思ったら、お前はじっと何てしていられるか?」


 気持ちが分かるだろうと、横目で暗に告げられユリフィスは即座に首肯した。

 恋人というか、婚約者が死んだ事をきっかけに世界を滅ぼしかけたのだから説得力が違う。


「……安心しろ。攫われたのが二日前なら、まだ着いて間もない。馬車が走るスピードは俺たちよりもずっと遅いし、夜の移動は控えているはず」


 原作でブラストは大切な誰かを失っている事は確かだ。


 一人で挑み、負けて目の前で失った。

 そう考えれば闇落ちしたことも腑に落ちる。


「ブラスト、お前の見立てだと俺とその教会の騎士はどちらが強い?」


「……お前だ」


「なら問題ないだろう」


 流石にラスボス以上のスペックを持つ輩がポンポンいたら叶わない。


 ユリフィス達はそれから会話を控え、街に入るための方法を考えた。


 正規のルートは当然正門に立つ門番にお金を払って入る事である。

 だが深夜の時間帯なので街の正門は解放されていない。


(まあ解放されていても正面から入るつもりはないが)


 ユリフィス達の身体能力であれば、防壁を登って街の中へ忍び込める。


 見張りの衛兵の目を盗んで、上手く音を立てないよう攀じ登った二人はすぐに大通りに出て領主の屋敷を目指す――わけではない。


「おい、あの大きな屋敷に向かうんだろうがよッ」


「待て、俺もお前も容姿や服装は目立つ。紅い眼も隠した方が良い」


 ユリフィス達は目立つ服装を着替える為に、ハーズの街にある貧民街に立ち寄った。

 





* * * * *







「あー、子爵はもう寝入ってしまったよね?」


 深夜にも関わらず、ベリル子爵の寝室を無遠慮に訪ねてきた神官服を着た青年に、警備の騎士は怯えた様子で頷く。


「……そっかぁ、ちょっと忠告しに来たんだけどな」


「そ、それは本当ですか、ジゼル様⁉」


「うん」


「で、ではすぐにお取次ぎいたします」


 警備の騎士が部屋にノックをして入るのを見送りながらジゼルは欠伸を嚙み殺した。部屋の中では怒声が響き、必死な様子で騎士の謝る声が聞こえてくるが気にしない。


 そのままジゼルは背中に背負った十字剣の柄を触りながら待っていると、どうぞと呼ばれて入室した。


 その瞬間、むわりとした汗の匂いと部屋の中に焚いた香の匂いが交じり合い、何とも言えない気持ちになる。


「――私の機嫌はすこぶる悪いぞ、ジゼル」


 天蓋付きのキングサイズベッドの上で、横に広いブ男が乱れた寝間着姿でジゼルを迎えた。


 彼の両脇には二人の女性たちが裸で寝ており、その肢体には暴力を振るわれたような跡がそこかしこに見受けられた。


「大丈夫です、子爵。僕が視た未来の内容を聞けば眠気なんて吹き飛ぶでしょう」


「……どんな未来だというのだ。私はあのお方の後ろ盾を得ている。教会最高戦力であるお前たち【世界を正す者達スティグマ】も力を貸してくれる。恐れるものなどいないだろう」


「……そうでもありません。もうすぐ謎の二人組が屋敷に襲撃をしかけてきます」


「何?」


「……目的は昨日到着した人質の娘のようですね」


「誰の事を言っている。多すぎて分からんぞ」


「貴方が一番気に入った赤髪の娘ですよ」


 子爵は慌てた様子で首を左右に振った。


「アレは使い捨てではなく私の妻にするのだッ、誰だ、私の妻を奪おうとする不届き者はッ⁉」


 その為に栄養がつくよう豪勢な食事を与え、村での生活で付いた汚れを綺麗さっぱり取ってから最高の状態で頂く予定を立てていたのだと子爵は激怒した。


 子爵は好きな物は最後に取っておくタイプである。


「正体までは。ただ近く帝都を出発した第三皇子がこの街に立ち寄るのでしょう? 彼の手の者という可能性もありますよ」


「……馬鹿なッ、第三皇子は忌むべき半魔の者。そのような化け物とつるむ物好きなどおるまいよ」


「聡明な子爵なら既にご存じのはず。中央では宰相位に長年就く帝国の心臓と名高きブランニウル公が彼の後ろ盾となりましたよ。何故か帝都の大聖堂建設計画が中止になりましたし、宰相閣下は本気で魔物の手先となり果てたようです」


「……さ、宰相閣下が? あ、いや、も、勿論知っておったとも」


 視線を泳がせる子爵を特に追及はせず、ジゼルは続けた。


「子爵家の方々も借りますよ。魔法がないと少し厳しい」


「……襲撃者とやらはお前でも骨が折れるのか?」


「そうですね。しかし欲しい物が分かっているなら、やりようはある。人質を殺されたくはないでしょうから」


「……分かっておると思うが、あの娘は私の十六番目の妻にするのだ。万が一にも殺したりするなよ……?」


「分かっていますよ、子爵。貴方から頂いた多額の寄付金に恥じない働きをお約束します」


 金を払って武力を貸す。


 まるで傭兵のようなシステムで、教会は各地に【世界を正す者達】を派遣していた。

 その目的は未だ見えない。


「全く迷惑な賊共がッ、この領を治める貴族たる私の妻を奪おうなどと言語道断だ」


「……怒りを買いすぎたのやも知れません」


「怒り?」


「……ええ、領民たちが他領地へ逃げるのを禁ずるために行っているこの人質政策ですが、当然評判は最悪ですので」


「馬鹿なッ、平民共は貴族の命令を聞くのが当たり前ではないかッ! 更に娘が貴族の妻に取り立てられる可能性があるなら、泣いて喜ぶ栄誉のはずッ!」


 誰が私に怒りを抱くのか、とベリル子爵は興奮状態で叫んだ。豚のような肉体を持つためか、肩で息をしている。

 だがその瞳は真剣そのものだった。


 帝国建国から数百年。


 魔法使いの一族は、貴族となってノブレスオブリージュの精神の元、平民たちを導いてきた。

 

 だが時の流れは堕落をもたらし、選民思想に染まり切った怪物を生み出す事となった。

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