第5話
十代という異例の若さで宰相に任命され、そのまま三十年以上に渡って権力の椅子に座り続ける大貴族、エルドール・ブランニウル。
次期皇帝の第一皇子や第二皇子すら寄せ付けない帝国の心臓。
軍備拡張を訴え、帝国軍を最強と謳われるレベルにまで押し上げた彼は宰相でもありながら、ブランニウル公爵家の当主であり、別名『戦争公』とも呼ばれている。
帝国が近年、戦争によって属国を増やして勢力を拡大してきた事は彼の罪であり功績でもある。
若くして恵まれた才能を発揮した大貴族家出身の彼の人生は、まさに順風満帆そのもの。
しかし唯一の不運を上げるとするなら、それはきっと愛した女性が亜人族である
「――殿下、緊急の要件と聞き、参上いたしました。立ち入る事をお許しください」
「……構わない」
ベッドに寝転がりながら、ユリフィスは眺めていた空から目を離して扉の方へ視線を向けた。
「……帝国宰相ともなると多忙だろう。半魔の俺に対して随分と早く会いに来てくれたな」
宰相の職場は帝国が誇る魔剣城だ。
ユリフィスが住むのは今は亡き皇帝から与えられた純白の宮殿、白天宮。
同じ敷地内にはあるが、それでも馬車での移動は必須である。
「王女殿下があまりに切実に訴えるもので」
カイゼル髭を生やし、獅子を彷彿とさせる金髪の髪をオールバックにした壮年の男性は、ユリフィスに対して鋭い視線を向けている。
豪奢な衣服に包まれた肉体は、線は細いがしっかり鍛え上げられているように見えた。
見た目的には三十代程にも見えるが、既に五十歳を超えているはずである。
そんな姿から、まるで理性のある猛獣のような、そんな雰囲気を感じ取れる。
「その彼女は……?」
「いらっしゃらない方がユリフィス殿下にとって都合が良いかと思いまして」
「……なるほど」
ユリフィスはその言葉で理解した。確かに彼の隠し子を拉致して言う事を聞かせようだなんて、優しい婚約者には聞かせたくない。
そんなユリフィスの思惑を宰相エルドールは見事に見抜いているわけだ。
「……娘を拉致しようとしたが、バレていたか?」
「娘? 私は独身ですが殿下」
顔色に変化はなく、不自然な緊張も見られない。
腹芸は流石に得意なのだろう。
「なら何故すぐ俺の元に来たんだ。俺はお前から話しかけられた記憶が一度もない。お前自身がこの白天宮に来た事もな」
「宰相という役職上、半魔である貴方を気にかければどうなるか。それを考えての結果です」
つまりブランニウル公という名に傷がつく。
言っている事は最もである。
「だがとぼけるならそれはそれで構わない。真実はどうあれ、俺の目的は彼女を盾にしてお前の力を借りる事だ」
「……一人の罪なき帝国臣民が、貴方の誤解で亡くなるなど少々胸が痛みます。具体的に何をお望みなので?」
「まず宰相であるお前が俺の後ろ盾となる事。これで第二皇子や他の貴族たちが俺に手を出せなくなる」
「……私の立場も危うくなりますな」
嘆息しながら呟く宰相の様子を無視してユリフィスは続けた。
「次に俺は毒による後遺症で身動きができない。だから療養のために帝国内のいくつかの領地を回りたいと考えている。この帝都から離れたいが、その為の人員と馬車を用意して欲しい」
毒によって弱っている。そう思わせておいた方が第二皇子らの油断を誘えるというのが表向きの理由。
本当の理由は、帝国各地にいるゲームでユリフィスに仕えていた六人の忠臣たちを救うためである。
彼らにもまた、凄惨な闇落ちイベントが用意されているのだ。
原作で自分のために命を投げ出した六人の配下に、多少なりともユリフィスは情を感じていた。
「殿下、私の前でその設定は必要ありませんよ。ただ、今まで病弱だと偽ってきた甲斐があって、アーネス殿下は多少なりとも信用されるでしょう」
「……ごほごほ」
ユリフィスは思い出したように咳をしてみせた。
だが宰相は鼻で笑い、冷たい瞳でユリフィスを見つめてくる。
いたたまれなくなったユリフィスは、頬を搔きながら視線を反らした。
確かにユリフィスは別に病弱でも何でもない。
半魔ではあるが、彼は生まれてからずっと健康そのものである。
体が弱いというのは作り出した設定だ。
自分は無害であると兄たちに示さなければ、いつ殺されるか分からなかったために興じた策だった。
「気を取り直して三つ目。フリーシアを連れていきたい」
「……城に置いておくよりも安全だと?」
「勿論だ」
自分にとって大切な人を敵である帝国側に置いておくはずもない。
いずれ彼女を死に追いやった第一皇子が魔剣城に帰還するだろう。
彼女の死に関わった者達を、ユリフィスは絶対に許すつもりがなかった。
「最後に宝物庫にある魔道具の中で一つ欲しいものがあるんだ。第二皇子には魔剣を貸し出しているはず。俺も一つ欲しい」
それはゲーム上では魔剣城に保管されていた。
持っておけばきっと役立つはずだ。
「……この四つの条件を呑んで欲しい。そうすればお前の娘の身の安全は保障しよう。ハーフの娘がいるなどという情報も決して漏らさないと誓う」
すると宰相は長いため息を吐きだした。
色濃く失望の宿る眼差しは、無理難題を告げる第三皇子に向けられる。
「……論外ですユリフィス殿下。交渉とは互いに利をあって初めて成立するもの。聞けば私にばかり負担のある条件のようです。例え本当に貴方の言うようにその子が私の娘であったとしても、この条件では呑む事など決してない」
私は父親である前に貴族家の当主であり、宰相なのだと彼の瞳がそう言っている。
「ユリフィス殿下が何を持って私の子だと確信したのか分かりませんが、今ここで貴方を始末して、この件をなかったことにもできる」
「……そんな事をしたら俺の配下が娘を殺す」
「貴方の手の者はそんなに優秀なのですか? この帝都に数十年と根を張る私の力を甘く見てもらっては困る」
虚勢を張っているだけだと、ユリフィスは知っている。ゴドウィンはああ見えて魔法騎士団副騎士団長の実力者。
宰相の手の者がどれだけ有能でも、今はまだ弱い彼の娘を手にかける事はそう難しくない。
だが、ユリフィスだってそんな事は望んでいなかった。
(要は宰相自身、この件を理由に脅され続けるつもりはないんだろう)
彼が納得できるだけの利を提示して、味方に引き込む必要がある。
「なら利を提示してやろう」
「……貴方に叶えられる程度の事で、私に利をもたらしてくれるとは到底思いませんね」
「……その通り、今の俺には条件に釣り合う報酬を提示する事は無理だ。だから後払いになる。だが必ず創ると約束する」
「……つくるとは何をでしょう」
一拍を置いて、ユリフィスは息を吐いた。
次に吐き出す言葉には相当重い覚悟がいる。
どれだけの血が流れるか分からない。
(だがきっとゲーム上の俺も、本来は復讐の炎に身を焼かれて戦うよりも、未来を創るために戦う事を望んだはずだ)
別にユリフィスは愛する者を連れて隠遁する事もできる。ゲームのストーリーに関わらずひっそりと生きる事も選択肢の一つだった。
しかしそれではいつかまた、ゲーム上で辿ったユリフィスのような存在が生まれ、世界に絶望して闇落ちし、第二のラスボスが生まれる可能性を残してしまう。
魔王を生まないためには、世界を根本から変えなくてはいけないとユリフィスは思うのだ。
「俺のような半魔や、亜人族とのハーフたちが当たり前のように生活できる国。差別のない新国家を俺が創る」
宰相は大きく目を見開く。
「……配下を集めて、俺は戻ってくる。それまで待っていて欲しい。この帝国を俺の物にする為に」
「……十四年しか生きていない、半分人間ですらない貴方にそんな大それたことが可能なのですか?」
言葉自体は嘲っているように聞こえるが、冷たかった雰囲気を弛緩させた宰相は呆れたように笑みを浮かべている。
「できるさ。俺にしかできない事だ」
ユリフィスはベッドから起きて、片腕を持ち上げた。
そして魔力を込めていく。
普通の人間だったその肌が、爬虫類じみた純白の鱗に覆われていく様を見て宰相は言葉を失った。
「……貴方の母親に関して、陛下は決して口を割りませんでした。竜族の血、だったのですか」
「ああ」
自分自身に世界に対して戦えるだけの力がある事は、ゲームで知っている。
「だが、残念ながらこの思想に反対する者は消えてもらう事になるかもしれない。宰相、お前はどちら側だ?」
「……」
無言で平服した彼に、ユリフィスは交渉成立を確信して拳を握った。
恐らく断られる事はないだろうと思っていた。
彼が戦争を推し進めた理由は、今言ったような世界を創るためだとゲーム知識で知っていたからだ。
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