第6話
第二皇子アーネスは怒り心頭だった。
執務室で、彼は上げられた宰相直々の署名で書かれた計画書の中身を見て思わず額に青筋を浮かべた。
それは療養を目的とした、第三皇子の巡遊について綴られてある。
「……宰相は何を考えている。何故急に介入してきたのだ」
「……申し訳ありません、私には皆目見当も尽きません」
頭を下げるのは、禿頭の大柄な騎士であるゴドウィン・エルバンである。
「私がユリフィス殿下の様子を確認しようとしたときには、既に宰相閣下の息がかかった者たちの手で一命をとりとめていたようで」
「だからアレを殿下などと呼ぶなッ」
勢いよく執務机を叩き、アーネスは苛立ちを抑えるために奥歯を噛み締めた。
「……アレの後見人になった理由はなんだ? 擁立して皇位継承争いを起こすつもりなのか?」
だとしても国内外から蔑まれる半魔の皇子を皇帝に押す理由が分からない。
もしかしたら父――先代皇帝から頼まれていた可能性もゼロではないが、宰相という内務のトップが帝国を混乱の渦へと引き込むような行動は愚かとしか言えない。
属国とした弱小国家の中には、帝国が弱るのを今かと待ち、牙を研いでいる国々もある。
反乱が起きそうな時代に、国内で内戦している場合ではないのだ。
「……父の汚点の始末は至極簡単なものだったはずだ。アレも死を望んでいただろう?」
皇族なのに使用人から疎まれ、食事は一般的な平民にすら劣る酷いもの。
自由に城の中を歩けず、あの白天宮から動けない不自由さ。
そして違う種族同士の子故に、生まれ持った身体的な不具合。
(希望などない未来に、俺だったら嫌気がさして早々に死を選んだだろう)
「……だがこれで兄上も甘さを捨てるかもしれない。宰相がもし皇位継承争いを引き起こすつもりなら、逆賊として討つまでだ」
「その時は微力ながら殿下の剣となりましょう」
「訂正しろ。兄上の剣となるのだ。あくまで俺も兄上の剣でしかないのだから」
アーネス自身に、皇帝となる気など微塵もない。第二皇子という身軽な立場だからこそ、剣を握って前線で戦えるのだ。
優秀な頭脳を持つ兄を支える事が自分自身の役目だとアーネスは幼いころから疑っていない。
しかし、そんな彼の思考を変えるためにユリフィスは魔手を伸ばしていた。
「……殿下。私は先日宰相閣下直々に呼び出されました」
騎士ゴドウィンが神妙な面持ちで口を開いた。
「……何だと? まさか何か吹き込まれたか? 我々の結束を乱そうという姑息な手を――」
「違います。閣下は何も言わず、ただ帝国国内の詳細な地図を渡してきました」
「……地図?」
ゴドウィンは懐から羊皮紙を取り出した。
執務机に広げて確認すると、確かに帝国全領土が描かれた地図である。
だが、いくつかの場所に意味深に印がつけられている。
「……どういう事でしょうかと聞くと、閣下は一言『これは騎士団の仕事です』とだけ」
「ふむ。つまりアレの件とはまた別だと?」
「……この印が付けられた場所には一体どんな意味があるのでしょうか」
「気にはなるがな」
一応調べておくか迷うところではある。
とは言え、もはや敵となった宰相の思惑通り進むのも気が進まない。
しかし、騎士団の仕事という事は、もしかしたら事件が起きているのかもしれない。
そう思うと、アーネスは調べないわけにはいかない。
彼は魔物被害を訴える国民に対して、真っ先に軍を率いて駆けつける真っ当な正義感を持つ騎士でもあるのだ。
「殿下。これを見て一つ気づいた事があるのです」
どうしようか迷うアーネスの耳に、信を置く配下からの言葉が届く。
「……何に気づいた」
「……印がつけられた場所を見てください。辺境都市オルク。鉄鋼都市アーゼンベルク。水の都アクアス。そして魔法都市アルヴァン。全て、第一皇子殿下がここ数年で視察した場所であると」
「……」
アーネスは目で追っていく。
確かに記憶にある限りでは、兄が領地を視察した場所と印がある場所が一致するように思える。
「……偶然だ。そもそも、だから何だというんだ」
「それは私にも」
アーネスは再度地図に視線を向け、顔をしかめた。
(宰相は兄に疑念を抱かせるためにわざとゴドウィンの手を介して俺にこれを届けさせたのか?)
だが、清廉潔白な兄に問題などあるはずもない。
本当に事件や問題が起きているのだとしたら、それは兄とは全くの無関係に違いない。そう考えたアーネスは地図を睨みながら命令を出した。
「……とりあえず騎士を派遣する。領主に話を聞くのは勿論、街に出て聞き込みもしてみるようにと」
「かしこまりました。魔法騎士団から誰か見繕いましょう」
「ああ、頼んだ」
頭を下げたゴドウィンは、バレないように口角を上げた。
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