第3話
「――最期くらいは一緒にいさせてやろうではないか」
ヴァンフレイム帝国第二皇子の執務室で、部屋の主である目付きの鋭い黒髪の青年は愛剣の手入れをしながら頬を緩めた。
「慈悲深いアーネス殿下にユリフィス殿下もあの世で感謝している事でしょう」
「……もう殿下などと呼ぶな、汚らわしい。半魔は文字通り半分化け物なんだ。そんな存在を皇室に置いていた今までがおかしいのだ」
ヴァンフレイム帝国第二皇子アーネス・ヴァンフレイムは、そう言って傍に控えている部下の騎士を睨みつけた。
「……申し訳ありません、アーネス殿下」
静かに頭を下げる部下、禿頭の大男にアーネスは手に持った愛剣を傾け、刃の美しさを確認しながら静かに口を開いた。
「アレの婚約者が兄の手に渡るのは少々惜しいが。ともかくこれで父の汚点の後始末はできたわけだ」
「オーガでさえ数秒と持たない猛毒アモスの毒を使っているのです。今回は確実に始末できた事でしょう」
アモスと呼ばれる巨大な蝶の魔物の怖さは、アーネスも良く知っていた。
彼は皇子でありながら、帝国騎士でもある正規の軍人である。
この世界では他国の脅威以外に、魔物の被害を訴える国民の要請に応えて軍が出動する時も多い。
血統魔法という魔物と互角以上に渡り合える力を持つ貴族達は、しかし特権階級に生まれたという自負のみが膨れ上がってあまり実戦の場に出たがらない。
そういった他の貴族たちとは違い、アーネスは率先して軍に帯同し戦いに加わっているためアモスという魔物について人一倍理解していた。
その毒によって、目の前で人が死んでしまった経験もある。
元々半魔という性質上、身体が弱かったユリフィスならば確実に死に至るだろう。
「……だが一応医務官を連れてお前自ら本当に死んだか確認して来い。そして兄が領地視察から帰ってくる前に証拠は全て消しておけ」
「かしこまりました。確認なのですが、もしまだ息があった場合はいかがいたしましょう」
「異常な生命力を誇る竜族でもあるまいし、そんな事はあり得ないと思うが。生きていた場合は
優しい第一皇子は暗殺など絶対に好まない。
だからこそユリフィスを病死扱いしておけば、心を痛めるだろうが兄も納得してくれる。
この件を処理する事ができれば、半魔を含めたハーフという存在を認めない教会勢力と仲を深める良い機会になり得る。
帝国内でも信者は数多いため、そのメリットはあまりに大きい。
「兄にはない非情さの部分を俺が補い、帝国を支える。父以上に、俺たち二人ならこの帝国をもっと発展させる事ができるはずだ」
* * * *
(――と、兄は考えているだろう)
ユリフィスは第二皇子アネスの思考を想像しながら思案していた。
前世の記憶を思い出し、ゲーム知識を手に入れた今、登場人物がどういった性格でどういった行動をとるのか、ユリフィスは見通していた。
そして本来ならユリフィスは、彼の思惑通りに沿って自分を死んだ事にして、協力者の元に潜伏しながら静かに余生を過ごそうと決めるのだ。
だが、婚約者であるフリーシアの死をきっかけに再び表舞台に戻り、暴虐の限りを尽くす皇帝となってしまう。
顎に手を添えて考え事をしていたユリフィスの様子を、まだ頬の赤みが取れないフリーシアはちらちらと視線を向ける中。
ユリフィスは口を開いた。
「フリーシア、君に一つ頼みごとをしたい」
「……ひゃ、はいっ、何でしょうか、ユリフィス様」
緊張気味に返事をした彼女の態度を疑問に思いながらも続ける。
「宰相を呼んできてくれ。ただし、他の誰にも俺が意識を取り戻したことを悟られたくない」
「……宰相閣下を?」
「ああ」
「……分かりました。でもユリフィス様、一つだけ質問をお許しください」
「何だ」
「私は……安心しても良いのですか?」
「勿論だ」
ユリフィスは間髪入れずに頷きを返した。
「……私はそのお言葉を信じます。では」
安心したように微笑み、婚約者は椅子から立ち上がった。
そして礼をしてから部屋を出ていく彼女の後ろ姿を見送った後。
少し間を置いて、騎士と白衣を纏った医師が入ってきた。
仮にも皇子の自室にノックもせずに入室したことから、用件は明らかである。
(来たか)
「……これは……」
禿頭の騎士は至って冷静だったが、隣で老齢の医師が起き上がっているユリフィスの姿を見て驚き叫んだ。
「馬鹿な! 生きているッ⁉ 一体どういう事ですかッ、ゴドウィン殿! 見たところ毒の影響などないように――」
「そのようですな」
ゴドウィンと呼ばれた騎士は、腰に下げた剣の柄に手を添えた。
「……では計画の変更と行きましょう」
「な、なるほど。実力行使ですか……では私は外に出ていた方が――」
「いや、ここにいた方が良い」
ユリフィスは無言でただ二人を見つめる。
「その方が始末しやすいですから」
そう言って、騎士ゴドウィンは老齢の医師の腹を鞘に収まったままの剣で殴った。
「……ぐッ⁉」
予期せぬ衝撃に目を見開いた後気絶した医師には視線を向けず、ゴドウィンはユリフィスに向けて片膝をついた。
「殿下。まさか計画に不備がありましたか?」
「……いや、計画自体に間違いはない」
騎士ゴドウィンは第二皇子の最も信頼厚き忠臣。
それは表向きの仮面で、本来の彼は第三皇子ユリフィスの唯一の協力者といえる人物である。
彼がアモスの毒と、人を一時的に仮死状態にするテトロの実の果汁をすり替えた事で、本来ユリフィスは仮死状態となり、このまま魔剣城を離れて隠遁するつもりだった。
表向きには死んだ事になり、ユリフィスはゴドウィンの生家であるエルバン伯爵家に匿われる手筈となっている。
だが、それでは原作と全く同じ展開になってしまうだろう。
婚約者であるフリーシアは第一皇子の元に渡り、そして結果的に彼女は命を落とす。
そんな未来は断固として受け入れられないのだ。城を離れたかったのは、魔剣城にいるのが窮屈だったからというのもあるが、彼女の幸せを願っての事でもあった。
「……やはり彼女を他の誰かの手に渡したくはない」
「殿下。恐れながら、その件は納得されたはず。一度貴方は死なねば一生命を狙われる事になります」
「いや、そうとは限らない。俺が生きたまま、命を狙われずとも済む方法が一つだけあるんだ」
ユリフィスは生真面目に膝をついたままのゴドウィンに立つ事を促し、一つ指令を出した。
「――
それは原作知識を得た事による大きなアドバンテージである。
彼の弱みを、ユリフィスだけは知っている。
「……宰相に隠し子などいるのですか?」
「ああ。貧民街にしては大きな孤児院にいる。宰相が陰ながら援助しているんだろうが、そこにドワーフの血を引くハーフの少女がいるんだ」
「……それが本当だとすれば致命的な醜聞ですな」
その通りだとユリフィスは首肯した。
他種族との子は禁忌とされている。これが公になれば、宰相は罪に問われ罪人となるだろう。
貴族の中には、何十年と宰相職に就く彼を嫌う者も少なからずいるのだ。
(使える手は何でも使わなければ)
ユリフィスは子を使って言うことを聞かせようとする自分の行いを悪だとは思っている。
だがそれ以上に、優しさだけでは何も守れないこの世界で、自分の破滅を回避したいのだ。
(これはその第一歩だ。今から傍に置いておいた方が良いに決まっている。何せ彼女は宰相の娘というだけではない。原作で俺を殺す英雄の一人なのだから)
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