第2話

 


 まるで深海の底にいるような気分だった。


 真っ暗闇に包まれた世界で酷い頭痛と戦いながらユリフィスは悪夢を見ていた。


 幸せを願って身を引いた結果、大切な人を失った夢。

 そして知った。


 によって、自らが生きる世界がファンタジーRPG【アビス・ファンタジー】の世界と全く同じであると。


 悲劇性が高いストーリーと鮮明なグラフィックによって深みが増したゲーム作品【アビス・ファンタジー】。


 魔導帝ユリフィス・ヴァンフレイム。


 それが、このゲームに登場するラスボスの名前である。

 世界を破滅に導こうした最悪の皇帝。


 愛する者を奪われたユリフィスは、闇落ちして二人の兄を殺害し帝位を簒奪。

 結果六人の忠臣達と共に、世界中に戦火を撒き散らした。


 強い憎しみによって、人族の絶滅を掲げた帝国軍は悪逆の限りを尽くしたが、一人の少年の元に集った英雄たちの手で世界は何とか救われた。


 それが、【アビス・ファンタジー】の大まかなシナリオである。


 勿論、この世界がゲーム通りに進むのかは定かではない。

 だが、あまりに世界観や登場人物の容姿と名前が一致し過ぎている。


 未来の出来事だと仮定して動いた方が後悔は少なくて済むはずだ。


(……だとしたら全てを知った今、な)


 唯一自分が大切に想う者にも悲劇が訪れると分かっていて、このまま何もしないわけにはいかない。


 ユリフィスは微睡の中にいながら、背中に感じる柔らかい感触から状況を理解した。

 おそらくベッドの上に横になっているのだろうと。


 起きる上で、周囲に人がいない方が都合が良いが、話し声などは聞こえない。ただ誰かの気配は感じ取れる。


 そんな折、水が滴る音が聞こえ、直後に冷たく柔らかいものが額の上に置かれた。


 毒の影響か、前世の記憶を思い出した影響か分からないが、まだ軋むように痛む頭部を冷やされ、心地よさを感じる。


 白天宮の中で、ユリフィスを気遣ってくれる者は二人しかいない。


「――フリーシアか?」


「……へ?」


 目を閉じたままユリフィスはあてずっぽうで名前を言った。

 少し間を置いて、静謐で美しい声が耳朶に響きユリフィスは心の中で笑みを浮かべた。


「当たったか」


 目を開けると、傍には銀色の髪に宝石のように綺麗な碧眼を持つ美少女が椅子に座っていた。


 純白のドレスに、頭部には銀のティアラが乗っており、透明感溢れるシミ一つない真っ白な肌は透き通るようで、まるで雪の妖精のように綺麗だと改めて思う。

 

 その優し気なタレ目が驚きで見開かれ、次の瞬間その大きな瞳から一筋の雫が垂れる。


「……これは……夢、でしょうか?」


「……確かめてみれば分かる」


「……た、確かめる?」


「ああ」


 ユリフィスは真っ白い餅のように柔らかなフリーシアの頬を優しくつまんだ。


「ひ、ひたい、です……」


 ユリフィスはすぐ手を離すと、フリーシアは顔を真っ赤にして恥ずかし気に俯いた。

 頬を摩りながら、おずおずと少女は口を開いた。


「……あ、あの……ユリフィス様。きゅ、急な接触は……心臓に悪いので……」


「……悪い」


(思わず触れてしまった。普段はこんな事しないんだが……)


 夢で見た事が尾を引いている。


 彼女が死ぬ夢。失った喪失感を思い出したら、何となく触れたくなってしまったのだ。


 ユリフィスは無表情ながら反省した。

 フリーシア・アークヴァイン。


 アークヴァイン王国の第一王女であり、ヴァンフレイム帝国第三皇子ユリフィスの婚約者である。


 そしてゲームでは原作が始まる頃には故人となり、ユリフィスが闇落ちする原因となる。

 ただ作中通して、非常に重要な人物である。


 フリーシアの頬の赤みが取れた頃、二人は会話を再開した。


「看病してくれていたのか?」


「……その、病が悪化したと聞いて……何か少しでも力になれればと」


「なるほど、君にはそう伝わっているのか」


 自死の強制という真実を流石に婚約者に伝える事は憚られたらしい。


 ユリフィスは額に置かれた冷たく湿ったタオルを取りながらベッドから上半身を起こした。

 それから部屋にある時計を見ると、針は早朝の時間帯を指している。


 大分長い時間意識を失っていたらしい。


「お、起きて大丈夫なのですか?」


「……ああ。もう大丈夫」


「……だ、大丈夫って……ユリフィス様、熱も高くて、それに魘されて苦しそうでした」


 心配そうに眉根を寄せる婚約者の様子に、ユリフィスは心が温かくなる。

 一方で、メイド長が言っていた事が少々気になった。


「フリーシア。君は俺が死んだら皇太子の第二妃として迎えられるらしい」


「……え?」


「……初耳なのか?」


 呆けたような表情を浮かべたフリーシアにユリフィスは首を傾げた。


「君は喜んでいると聞いたが?」


「そんな事聞いてもいないし、私は喜んだりしませんっ」


 今までずっと優しい口調を崩さなかった彼女だが、珍しく怒ったように語気を強くした。


「……初めて君に怒られた」


「お、怒ったわけではありません……」


 首を左右に振って否定しつつ、いつもの雰囲気に戻ったフリーシアの様子を見て、少なからずユリフィスは安堵した。


「……俺は半魔だ。普通の人間なら喜んで婚約解消するだろうが」


「……それが普通なのだとしたら、私は普通じゃなくて構いません。貴方様は何も悪くないのに、差別されてしまう世界が正しいだなんて思いたくありません」


 悲し気に目を伏せたフリーシアは、膝に乗せている手をぎゅっと握りしめた。


「初めて会ったときから、君だけは決して俺を蔑まなかった。その理由を聞いてもいいかな?」


「……ユリフィス様は……私の兄に似ているんです」


「……兄?」


 ユリフィスは心の中でなるほどと酷く納得した。


 彼女の兄とは会ったことはないが、今では結構詳しい。

 

(何せ前世の自分は彼の人生の一部を追体験していたようなものだしな)


 そしてきっとこのまま何もしなければ、未来で世界の命運をかけて争う仲になっただろう。


 アークヴァイン王国の第一王子こそが、【アビス・ファンタジー】の主人公なのである。


「……ユリフィス様は、アークヴァイン王国の第一王子の噂をご存じですか?」


「生憎と俺には他国の内情を教えてくれる親しい友人は皆無だ」


「あ、す、すみませんっ……」


「いや、素直に謝られるのも何か違うな」


 心底申し訳なさそうに謝るフリーシア。

 事実ではあるが、冗談として流して欲しかったところである。


 気を取り直して、ユリフィスは続きを促した。


「まあいい。俺に似ているというのは容姿や性格か?」


「……い、いえ、それは全く。ただ生まれ持っての立場が酷似しているのです」


 つまり彼も迫害や差別を受けてきた、という事なのだろう。


「……兄は生まれつき、魔法が一切使えませんでした」


「……魔力がないのか?」


「いえ、魔力自体はあるらしいのですが……魔力を操る才能と言いますか」


「……」


「王族であるにも関わらず、血統魔法が使えない。これが意味する事が何か分かりますか?」


「……つまりは出来損ない。欠陥品扱いを受けたのか」


「……はい」


 この世界の魔法は誰でも使えるわけではない。まず魔法は二種類に分けられている。

 血統魔法と固有魔法。


 簡単に言うと血統魔法は先祖の魔法を代々受け継ぐ事によって、その先祖の親族のみが使える魔法である。

 皇族や貴族に当たる者たちは全員先祖が魔法使いであり、その先祖が使った魔法を現代に引き継いでいるわけだ。


 逆に後者に当たる固有魔法。

 これは一握りの才溢れる者に神が与える才能と言われている。


 彼らが偉業を成した時、固有魔法は突然使えるようになるらしい。


 ユリフィスはきっとレベルアップによって技を覚える感覚なのだろうとゲーム的には思うが、この世界に生きる人々からすると魔法とは偉業を達成しないと得られない崇高な力である。


 ちなみに固有魔法を持つ英雄が子孫を残すと子に遺伝して、血統魔法となる。


 つまり二つの魔法は結局一緒なのだ。


「魔法とは……いわば弱者と強者。言い換えれば平民と貴族の境界線です。兄は本来国王となる第一王子でしたが、その扱いは見ていられないものでした。魔法が使えなくても、兄には良いところがあります。他の人よりも秀でているところがたくさんあります。でも、誰もそれを見ようとはしません」


「……それが俺と似ている理由、か」


「……はい。でも兄には母がいました。私も微力ながら支えていたかと思います。しかし、帝国にきて、初めてユリフィス様と会った時、貴方様の傍には誰もいませんでした……」


「……」


「……兄は泣いてばかりいましたが、ユリフィス様は一度も泣いたところを見た事がありませんでした。強い人だと思う反面、いつも寂しそうに窓の外を見つめるユリフィス様を見ていると、胸の奥が締め付けられるというか……」

 

 とにかく苦しい気分になるんですと、フリーシアは発育が良い大きな胸元に手を添えて最後早口で言った。

 頬を赤くして視線を彷徨わせている己の婚約者の話を聞き、ユリフィスは一度目を閉じた。


 ゲームの自分のように、失ってから行動を起こすのでは遅い。


 彼女から身を引けば、幸せになれると思っていたのに。


「……だとしたら俺も覚悟を決める」


「……はい?」


「これからはずっと一緒にしよう。本当は君を誰かの手に預けるなんて考えたくなかった」


 その為に何をすべきかユリフィスは既に先を見据えている。


「え、今の……プロポーズ? え、あ、あの、え?」


 頭から湯気が出る勢いで耳まで真っ赤に染めて上の空のフリーシアを他所に、ユリフィスはそろそろお邪魔虫を部屋に入ってくる頃合いだと気を引き締めた。




 

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