第50話

 たしかにローレンは、メリーサとブラインが、こんな稚拙な計画を実行しようとしたのも、裏で操っていた人物がいたからではないかと疑っていた。

 メリーサがたとえ皇族の婚約者でも、スリーダ王国の元王太子が婿入り先を探していることは知らない。

 まして、彼と連絡を取る手段などなかったはずだ。

 だが皇太子であるローレンの従兄弟で、皇族の一員であるクリスならば、当然知っていたのではないか。

 テレンスのことが心配で、不審な点をいくつも見逃してしまったことが悔やまれる。

 ここは冷静に動かなくては。

 そう思い直して、アデラはクリスを見つめた。

 気弱で、決められた婚約にも我が儘放題の婚約者にも逆らえずいた。

 もしあの昏い瞳を見ていなければ、たとえ状況証拠からそうとしか思えないとしても、メリーサを唆したのがクリスだと考えることはなかった。

 彼もまた、誰かに嵌められたのだと思ったに違いない。

 けれど今の彼は何を考えているのかまったくわからず、恐ろしささえ感じる。

 アデラは自分を落ち着かせるように、そっと深呼吸をする。

 事故は本当にあったのか。そしてテレンスは無事なのか。そのことばかり考えそうになる心を、必死に立て直す。

 ここから逃げられないのならば、アデラにできることは、時間稼ぎと情報収集である。

「先ほど、崩落事故は人工的に引き起こされたものだと聞きました。メリーサ様の仕業でしょうか?」

 アデラはメリーサの仕業だとは思っていないが、クリスの本音を聞き出すためだ。

 震える声でそう言うと、クリスは頷く。

「そう、だろうね」

「私が彼女の横暴さを告発したばかりに、こんなことになるなんて……」

 もともとのきっかけは、服飾店でメリーサと遭遇して、彼女の横暴な態度を大勢の前で訴えたことだ。だから、そう嘆いてみせる。

 そうしてふらついたように見せかけて、扉の前から窓がある方向に移動した。

 クリスには気づかれないように、目を伏せながらそっと窓の外に視線を向ける。

 たしかに二階のようだが、建物はそこまで大きくないので、それほどの高さではなかった。

 周囲は暗く、ほとんど何も見えないが、遠くに町の明かりが見える。

 この窓から飛び降りるのはさすがに無謀だが、何とかして町まで逃れることができれば、帝城まで戻れるかもしれない。

「きっとアデラに対する恨みだけではないよ。原因は他にもあったと思う」

 そんなことを考えていると、クリスはぽつりとそう言った。

 それはアデラを慰めるというよりも、ただ心のうちにあった言葉を口にしたような、そんな言葉だった。

「それは、どういう……」

「たとえば、爆破されたあの採掘場。採掘された宝石は、たしかに素晴らしいものだ。ティガ帝国が得た利益も膨大なものになる。けれど貴重なものだからこそ、取り扱うことができる人間も限られている。その辺りのトラブルも多かったようだよ」

「……そうだったのですね」

 アデラは、クリスの思考を遮らないように、静かにそう返す。

 それは、イリッタ侯爵家で開かれたパーティでも聞いた話だ。

 とても貴重だからこそ、取り扱える者が少ないと。

 クリスは、メリーサもそのことに関する恨みを持っていて、あの採掘場を爆破したのではないかと言っているようだ。

 けれど、扉の外から聞こえてきた会話から、宝石の採掘場を爆破したのは、メリーサではないと確信している。

 あの言葉は、嘘に騙されて帝城から出てしまったアデラを嘲笑うようなものだったからだ。

「そんなに貴重だったのですね」

「そう。帝国内でも、数人の高位貴族にしか取り扱い許可が下りていないからね。アデラが会ったイリッタ公爵もそのひとりだよ。あと侯爵家がふたつと……。テレンスにだけだ」

「……」

 テレンスの名前を口にしたとき、クリスがわずかに手を震わせた。

 アデラはそれを見逃さなかった。

 宝石が発見されたとき、留学生だったテレンスもその場に居合わせている。

 しかもローレンによれば、彼が持ち帰らなかったらそのまま放置されていたという。

 その功績を認められ、皇太子のローレンから宝石の販売の許可を得ることができていた。パーティで集まった令嬢たちも、テレンスになら許可が下りるのは当然だと思っていた。

 でも、クリスは違うのか。

「それに宝石の採掘場のある場所は、厳密に言うと国有地ではない。あの場所はティガ帝国の皇太子である、ローレンの所有する領土だ」

「皇太子殿下に与えられる土地だったのですね」

 アデラは、ここに来る前に学んだティガ帝国の慣習を思い出す。

 ティガ帝国では皇太子には広い領地が与えられ、その領地をどれくらい発展させたのかで、皇帝になる素質を図るという習慣がある。

 アデラもこの国について学んだとき、それを知った。

 帝国産のあの貴重な宝石は、皇太子のローレンが与えられていた領地から発掘されたものだったのか。

 それならローレンがテレンスを特別扱いするのもわかったような気がする。

 宝石や採掘場は、ティガ帝国の国有財産となったが、宝石を取り扱う許可は、すべて彼に一任されていた。

「ローレンは、私には許可をくれなかったんだ。彼はピーラ侯爵を警戒していたからね。その娘の婚約者である私に許可を与えると、いずれピーラ侯爵家のものになってしまうのではないかと恐れていた。きっとメリーサはそれを恨んで、発掘場を爆破したのだと思う」

「そうなんですね」

 アデラは同意して頷いたものの、心は激しく動揺していた。

 たしかに、メリーサの動機にはなるかもしれない。

 でも今の言葉を聞くと、それを恨んでいるのはメリーサではなく、むしろクリスだ。

 メリーサが、宝石の販売許可を欲しがるとは思えない。彼女はあの宝石を身につけていた。きっとそれだけで満足している。

 経営や商品開発など、むしろ面倒くさがりそうだ。

 ローレンのことだから、宝石を取り扱える人間を限定したのも、その人達を選んだ理由も、きっと正当な理由があったのだろう。

 まだ出会ってから日は浅いが、ローレンは公平な人物だとアデラも思う。

 クリスにだって、メリーサとの婚約が無事に解消されたら、取り扱い許可を与えたに違いない。

(でも……)

 アデラは疑問に思う。

 宝石の販売許可を得られなかった。

 それだけで、あれほど昏い瞳ができるのだろうか。

 あの宝石が発見されてから、まだ数年しか経過していない。

 クリスの闇は、もっと昔から何年も掛かって積み重ねてきたものではないか。

 そしてローレンほどの人が、それに気付かないはずがない。

 思い返してみれば、メリーサがスリーダ王国の元王太子と通じていると聞かされたとき、彼は思い悩んでいるように見えた。

 知る者が限られた情報だ。

 ローレンはそのときにはもう、クリスではないかと疑っていたのかもしれない。

 そしてテレンスも、何度も帝城に赴いて、ローレンと話し合いをしていた。

 ふたりが、もっと前からクリスが黒幕ではないかと疑っていたのだとしたら。

 アデラの胸に希望が宿る。

 もしそうなら、テレンスはむざむざと崩落事故に巻き込まれたりしない。

(だってテレンスは、遅くなるかもしれないけれど、心配はいらないって言っていたもの) 

 部屋から出ないようにとも、言われていた。

 それなのに心配でたまらなくなって、メリーサとクリスに騙され、こんなところまで来てしまった。

 これは自分の落ち度だったと、アデラは反省する。

 ならば、自分で何とかしなければならない。

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