第49話
その瞳に、夜の闇よりも深い影を感じて息を呑む。
こんな場所に連れてこられたというのに、狼狽えた様子は微塵もなく、ただ静かにアデラを見つめている。
その様子は、いつもの気弱で優しい彼とはまったく違う。
アデラは、その視線に縫いとめられたかのように、動けなかった。
そうしている間に、メリーサ達は部屋の前から立ち去って行ったようだ。
周囲から人の気配が消える。
でも、このまま朝まで放っておくとは思えない。どこかに見張りはいるのだろう。
それでも、いつまでもこんな場所に居られない。クリスを連れて、一刻も早くここから逃げなくては。
そう思い、何とか声を出した。
「……クリス殿下。お怪我はありませんか?」
そう尋ねると、クリスはアデラを見上げて頷いた。
「うん、平気だよ」
そう答える姿は、いつもの彼に戻っていた。
ベッドに横たわっていたクリスはゆっくりと起き上がり、アデラに向かって手を伸ばした。
「君は、大丈夫?」
「……っ」
そのまま手を取られそうになり、咄嗟に窓の外を眺めるふりをして躱した。
クリスに他意はなかったのだろう。アデラを励ましてくれるつもりだったのかもしれない。
けれどアデラは、クリスが恐ろしかった。
あのとき見た、闇を宿した昏い瞳が、怖くてたまらない。彼に触れられると、自分もその闇に染まってしまいそうな気がする。
(何を馬鹿なことを。今はここから逃げるのが先だわ)
怯える心を叱咤して、アデラは部屋の窓に手を掛ける。
「早くここから脱出しなければなりませんね。この窓から出られないでしょうか?」
「ここは二階だから危ないよ」
力を込めて窓を開こうとしたが、クリスに止められてしまう。
「明日の朝になれば、誰かが来るだろう。それまでおとなしくしていたほうがいい」
「……そう、ですね」
たしかにクリスの言うように、ここがどこかもわからない以上、むやみに動き回るのは危険かもしれない。
明日の朝、この部屋を誰かが訪れるのは、メリーサも言っていたので事実だろう。
その誰かはメリーサの手の者で、アデラとクリスが逢引している様子を見たと言いふらす役目だと思われる。
けれど、採掘場で崩落事故があったと聞かされて、急いで帝城を出てきたのだ。それを証言してくれる人もいるだろうし、テレンスもローレンもアデラを信じてくれる。
メリーサとブラインの底の浅い企みなど、最初から成功するはずがなかったのだ。
ならばクリスの言うように、明日の朝になってから動き出した方が良いのかもしれない。
彼と朝までふたりきりなのは少し気まずいが、同室に泊まっているのではなく、暴漢に拉致されて、ここに閉じ込められたのだから。
「でも……。テレンスが……」
そうわかっていても、アデラは一刻も早く帝城に戻りたかった。
戻って、テレンスの安否を確認しなくては、落ち着くことなどできなかった。
崩落事故はメリーサの嘘だったが、彼が戻っていないのは事実だ。
そしてテレンスが、もしアデラと入れ違いに戻っていたとしたら、帝城から出たと聞いて心配するだろう。
「やっぱり、テレンスのことが心配なので、私は先に帰ります」
ひとりで先に戻り、クリスにはここに待機してもらって、帝城から迎えを呼んだ方がいい。そう説明したが、クリスは首を横に振る。
「駄目だ。どうやってここから出るつもり? それにひとりで夜に出歩くなんて、危険すぎる。この辺は物騒だよ。それに……」
クリスはアデラを見つめて、痛ましそうに言った。
「採掘場で崩落事故があったのは、本当だよ。しかも、あの周辺がすべて崩れるほどの事故だった。残念だけれど、生き残っている人はいないと思う」
「え……」
クリスの言葉に、アデラは困惑した。
さすがのメリーサも、宝石の採掘場を爆破すれば大変なことになると言っていた。
だからあれは、アデラを帝城からおびき出すための嘘のはずだ。
けれどクリスは、崩落事故はあったと言う。
しかも、生き残りなど誰もいないほどの事故だと。
「テレンスが採掘場にいたとしたら、残念だけれど……」
クリスの言葉を聞きたくなくて、アデラは両手で耳を塞ぐ。
「テレンスは帝城に戻っているわ。そして、私がいないことを心配して……」
きっと無事に帝城に戻って、アデラの行方を捜してくれている。だから一刻も早く戻って、彼を安心させなくてはならない。
部屋の外には見張りがいるかもしれないが、それでもかまわないと、扉を開いて飛び出そうとする。
「えっ」
けれど、扉は固く閉ざされていて、びくともしない。
何度力を込めても、開かなかった。
「無理だよ。外側から施錠されているからね」
クリスはそう言って、アデラを見つめる。
よくよく考えてみれば、不審な点はいくつもあった。
馬車を守っていたはずの護衛はどこに行ったのか。
アデラが必死にクリスを逃がそうとしたのに、どうして彼もこの部屋に捕らえられていたのか。
窓を開こうとしたとき、ここは二階だから危ないと言った。この部屋が二階にあることを知っていたのは何故か。
それに、この辺りは物騒だとも言っていた。ここがどこなのか知らなくては、そんなことは言えないはずだ。
「どうして……」
彼の様子がまた変化していた。
闇よりも濃い、暗い色を宿した瞳で見つめられて、アデラは開かない扉を背に立ち尽くした。
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