第33話

 まさか彼にそんなことを言われるとは思わず、アデラはすぐに答えることができなかった。

 ゆっくりとその言葉の意味を考えて、理解できたと同時に頬が熱くなる。

(愛する? テレンスが私を?)

 本当なのだろうか。

 でも彼が、普通の家庭に憧れていたと聞くと、胸が痛くなる。

 最初はレナードとの婚約を解消するために、テレンスに協力してもらえたらと思って手紙を出しただけだった。

 けれど帰国した彼と再会して、同じ境遇の彼に親近感を覚えるようになった。

 ティガ帝国に移住してしまうことを、寂しいと思っていた。

 そして婚約者となり、彼の過去を知った。

 アデラのテレンスに対する想いは、少しずつ変化してきている。

 冷酷で、人と関わるのが嫌いだと思っていたテレンスは、誰よりも人の温もりに、愛情に飢えていたのだ。

 しあわせにしたい、と強く思った。

 空っぽの器のような今のテレンスを、愛情で満たしてあげたい。

 アデラは自分が、ドライな性格であることを知っている。

 だから、ただのパートナーにこんな想いを抱くことはない、

 ならばアデラもきっと、彼を愛するだろう。

「テレンス。困ったわ。私はもう、あなたに惹かれているみたい。愛さないようにするのは、無理かもしれないわ」

 少しおどけた感じで伝えると、テレンスは驚いたように目を見開いて、そのまま硬直したように動かなくなってしまった。

 アデラからの愛を、まったく期待していなかったようだ。そんな彼の姿に切なくなる。

 本当は、愛すれば愛されたくなるはずだ。

 それなのにテレンスは、自分は愛されるはずがないのだと、最初からその可能性を捨ててしまっている。

 アデラはテレンスの背に腕を回して、そっと抱きしめた。

「ふたりでゆっくり頑張っていきましょう。いつか、あのライド公爵夫妻みたいになれるように」

 外交官としても夫婦としても、並び立つ存在になれるように。

 これから年月をかけて、愛情を育てていきたい。

「だから婚約破棄なんてしないでね。四回目は、さすがにご免よ」

「するはずがないだろう。アデラはもう、私のものだ」

 自分から抱きしめたのに、包み込むように抱きしめ返されて、どきりとする。

 もしかしたらテレンスは、独占欲が強い人間なのかもしれない。

 でも、それでもかまわないとアデラは思う。

 最初の婚約者のレナードも、二番目の婚約者のクルトも、アデラを蔑ろにしてばかりだった。

 アデラだって、誰かの一番になりたい。

 大切されたいと思ってしまう。

 だから、テレンスくらい独占欲が強い方が安心する。

 もしかしたら相性が良いのかもしれない。

 そう思うと嬉しくなって、アデラは微笑んだ。


 それから、五日後。

 アデラは礼儀作法も言葉も、何とか必死に詰め込んで、出発の日を迎えた。

 ティガ帝国までは、馬車で三日ほど。

 途中で何度か町に立ち寄り、宿泊する予定だ。

 侍女と護衛も同行するので、なかなか大人数になるが、父は護衛をもっと増やしたい様子だった。

 王弟派や、スリーダ王国の動きが気になるらしい。

 それなりに愛されているとは思っていたけれど、父の愛情はアデラが思っていたよりも深かったようだ。

 心配してくれるのは嬉しいが、他の国に向かうのだから、過剰な護衛は避けたほうが良い。

 その代わりに、王太子が馬車を用意すると言ってくれた。

 王弟派がまだ諦めていないようなので、少しでも危険を避けるためだ。

 けれどティガ帝国の皇太子が、迎えの馬車を寄越してくれることになった。

 こちらで呼び寄せてしまったのだから、ということだったが、たしかにティガ帝国の馬車ならば、スリーダ王国でも手が出せない。

 これで道中の心配いらないだろう。

 アデラは馬車の中にも資料を持ち込み、必死に勉強をしていた。

 帝国の馬車はとても大きくて快適で、振動もほとんどない。

 それでも、今まで寝る間も惜しんで勉強をしていたせいで、いつの間にかうとうとしていたようだ。

 ふと目を覚ましてみれば、テレンスの肩に寄りかかっていた。体には、彼の上着が掛けられている。

「あ……」

 眠ってしまうつもりはなかった。

 慌てて謝罪しようとしたが、そっと抱き寄せられる。

「ティガ帝国までは、まだまだ遠い。もう少し休んでいたほうがいい」

「うん、ありがとう」

 背中を包む上着と、頬に触れるテレンスの肩から感じる温もりが、とても心地良い。

 アデラはそのまま目を閉じて、再び眠りに落ちていく。

(温かい……)

 危険を伴う移動だということを、忘れたわけではない。ただ、たとえ襲撃があったとしても、テレンスが一緒なら大丈夫だという、そんな安心感があった。

 目が覚めたときには、周囲はすっかり暗くなっていて、テレンスがもうすぐ町に着くと教えてくれた。

 今日はその町に泊まるようだ。

 ここの領主の貴族から屋敷に招待されていたらしいが、その貴族は王弟派との繋がりが噂されていたため、父が断っていた。だから今日は、町にある貴族用の高級宿に泊まることになる。

 警備もしっかりとしているし、王太子が貸し切りにしてくれたようなので、ゆっくりと休むことができるだろう。

(貸し切りだなんて、贅沢ね)

 一介の貴族の娘にここまでしてもらうと、さすがに申し訳ない気持ちになる。だが王太子もまた、王弟派を抑えるために、アデラを守ってくれているのだから、有難く使わせてもらったほうがいいのだろう。

 テレンスとは隣同士の部屋で、部屋の中でもふたりの侍女が、朝まで一緒にいてくれる。

 馬車の中でゆっくりと眠ったので、テレンスと夕食をとったあとは、部屋にこもって勉強の続きをしていた。

 翌朝は朝食を終えてから、出発する。

 侍女はリィーダ侯爵家から連れてきた顔馴染みばかりだし、テレンスが何かと気遣ってくれる。

 だから、初めての長旅にも関わらず、快適に過ごすことができた。

 旅も順調だった。

 ティガ帝国の皇太子が馬車を、そして王太子が宿の手配をしてくれたお陰で、何事もなくティガ帝国に辿り着くことができた。

 ここから皇太子のいる帝都まで、さらに二日かかるらしい。

 けれど初めて見る外国の景色にアデラは夢中になり、勉強をすることさえ忘れて、ずっと馬車の窓から外を見つめていた。

 自然豊かな祖国とは違い、建物が多く、国境近くの町でさえ、多くの人が暮らしていた。

 街道も広く、きちんと整備されていて、荷馬車も多い。

 ティガ帝国は多民族国家なので、その装いも様々だ。

「この国に、テレンスはずっと留学していたのね」

 宿泊した町もとても興味深く、テレンスに頼んで、少し町の中を馬車で回ってもらった。

 外交官の妻となれば、この町にもこれからは何度も訪れるかもしれない。

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