第30話

 その翌日には、アデラとテレンスの婚約が正式に発表された。

 ふたりの婚約を決めたのが王太子で、もともとテレンスが爵位を譲る準備をしていたこともあって、大きな混乱もなく、婚約届も無事に受理された。

 アデラにとっては、三度目の婚約である。

 けれど一度目は婚約者の浮気。

 二度目は、婚約者を以前から狙っていた者に陥れられたとして、むしろ運が悪い令嬢だと同情されているようだ。

「同情されるのは、あまり嬉しくないけれど……」

 それでも、傷物令嬢だと噂されるよりはましかもしれない。

 王城に向かう馬車で、アデラはそう呟く。

 今日は王城で夜会が開かれ、アデラとテレンスは婚約披露も兼ねて、ふたりで出席することにしたのだ。

「気にすることはない。私だって二度目だ」

 複雑そうな顔をしたアデラに、テレンスがさらりとそう言う。

 彼が最初の婚約を、そんなふうに話せることになったのが嬉しい。

「そうね。二回も三回も、そう変わらないわね」

 アデラは頷くと、改めて今日の装いを確認する。

 テレンスの瞳に合わせた水色のドレスに、この間とは違って、銀細工のアクセサリー。あしらった宝石は、もちろんティガ帝国の名産のものだ。

 そしてこのドレスは、テレンスからの贈り物である。

 すっきりとした大人びたデザインはアデラに似合っていたようで、母や侍女から絶賛された。

(たしかに、最近の流行りはレースとかフリルだったから……。私には、あまり似合わないのよね)

 ドレスがシンプルな分、アクセサリーはかなり豪奢なもので、そのバランスも絶妙だ。

 これなら、テレンスの隣に立っても恥ずかしくないかもしれない。

 アデラは目の前に座っている、美貌の婚約者を見つめる。

 美しい光沢を放つ銀色の瞳。透き通った水色の瞳。

 顔立ちもかなり整っている。表情をあまり変えないこともあって、精巧な人形のようだ。

 けれど婚約してからは、アデラの前では笑ってくれることも多い。その自分だけに向けられる笑顔が、とても好きだった。

「そう言えば、クルトとリーリアの婚約も無事に決まったようだよ」

 テレンスの言葉に、アデラは我に返る。

「そう……」

 リーリアがあれほど嫌がっていた婚約も、向こうから断られたようだ。

 王城の夜会であんな騒ぎを起こしてしまったのだから、それも当然だろう。

 クルトにしてみても、以前の婚約者のこともあり、これから婚約者を探すのは難しい状態だった。

 お互いに後がない状態で、それしか方法はなかったのだろう。

 すべてをテレンスに任せた前回とは違い、そうなるように仕向けたのはアデラだ。

 アデラの復讐はここまで。これからどうなるかは、今後のふたり次第である。もしこれからしあわせになれるようなら、それでもかまわないと思っていた。

「今日、ふたりも夜会に参加するのかしら?」

 もう二度と会うことはないと思っていたけれど、彼女たちはこれからも貴族であり、夜会などでは会うかもしれない。

 けれど、テレンスは首を横に振る。

「いや。リーリアの方は、王城の夜会で騒ぎを起こしたことにより、一年間、夜会への参加が禁止になったようだ」

「そうだったの」

 あれだけの騒動の罰としては軽いように感じるが、貴族令嬢としてはかなり不名誉なことだ。謹慎期間が終わっても、恥ずかしくて参加することなどできないだろう。

 クルトも、さすがにそんな状況でひとりだけ参加することはないだろう。

 社交ができないのなら、貴族社会から締め出されたのも当然である。それなのに貴族として生きなくてはならないのは、なかなか大変かもしれない。

 これから苦労するだろうが、リーリアはそれだけのことをしてまで手に入れようとしたクルトと、ずっと一緒にいられるのだから、本望かもしれない。

「だから今日は、アデラを煩わせるようなことは起こらない。ひさしぶりに、ゆっくりと楽しめばいい」

「ダンスは大丈夫?」

「ああ。今回は問題ないよ」

 あれから数日で、しっかりとダンスの練習もしてきたと彼は笑った。

「楽しみにしているわ」

 帝国風のダンスにも興味がある。今度、アデラがそれを練習してみても良いかもしれない。

 そんな話をすると、ふとテレンスが思い出したように言う。

「そういえば、ティガ帝国のローレン皇太子殿下が、一度婚約者を連れて挨拶に来いと言っていた」

「え?」

 思ってもみなかった言葉に、思わずテレンスを見つめる。

「婚約者……って、私よね?」

「他に誰がいる?」

「……そうよね。でも、私がティガ帝国に?」

 テレンスが長年留学していた国で、爵位を譲渡したあとは、移住することになっていた。それがアデラとの婚約で取り消しになっている。

 テレンスを高く評価していたというティガ帝国の皇太子は、アデラをどう思っているのだろうか。

(もしかして、婚約の取り消しを求められるとか……。ううん、それはないわね)

 それなら、テレンスがこんなに落ち着いているはずがない。

 アデラは思考を巡らせる。

 ティガ帝国は大陸で一番の大国で、あのスリーダ王国でさえ、帝国には敵わない。

 もしティガ帝国の皇太子殿下が、ふたりの婚約を祝福してくれたら、さすがにスリーダ王国でも口を挟むことはできないだろう。

(そのために、呼んでくださったのかしら……)

 そうだとしたら、とても有難いことだ。

 アデラの考えが伝わったかのように、テレンスは笑みを浮かべる。

「私の婚約を祝ってくださるそうだ。最初はこちらに来ると言っていたが、警備の関係上、私たちが向こうに行く方が良い」

「そうね」

 あれほどの大国の皇太子が、他国の貴族に過ぎないふたりの婚約を祝ってくれるなんて、ありえないことである。

 しかも、そのためにわざわざ訪問する予定だったという。それだけ、テレンスと良い関係を築いていたのだろう。

 だがティガ帝国の皇太子の訪問となれば、かなりの準備が必要となる。その間にスリーダ王国の元王太子が来てしまう可能性があった。それなら、アデラとテレンスが向こうに行った方が早い。

 この国のほとんどの貴族令嬢は、国外に出ることはない。アデラは自分もそうだと思っていたが、どうやらティガ帝国に行くことになりそうだ。

 急いでティガ帝国の礼儀作法や習慣、そしてダンスも覚えたほうがいいだろう。

 明日から、かなり忙しくなるだろう。

(その前に、王城での夜会ね。無事に終わりますように)

 最近は夜会の度に騒動があって、ゆっくりと楽しむ余裕もなかった。

 せめて今夜は、何事もなく無事に終わってほしい。

 そう願いながら、アデラは近付いてきた王城の明かりを見つめていた。

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