第29話

 テレンスが訪ねて来るのは、午後からだ。

 それなのにアデラは落ち着かず、何度も窓の外を見つめてしまう。

 父は、あっさりとアデラの新しい婚約を認めてくれた。

 それを早く、彼に伝えたい。

 そう思と、どうしても心が騒ぐ。

 落ち着かない様子のアデラを、侍女たちも優しく見守ってくれていた。

「お嬢様。お茶でも如何ですか?」

「……ええ。ありがとう」

 侍女が淹れてくれたお気に入りのお茶を飲むと、少し気持ちも落ち着いてきた。

(初めての婚約でもないのに……)

 相手の到着が待ちきれないなんて、と自分でもおかしくなってしまう。

 でも、テレンスに父はもうこの婚約を認めてくれたのだと、はやく伝えたい。

 アデラと結婚すれば、テレンスにも家族ができる。

 この国に、彼の居場所を作ってあげたい。

 彼の過去を聞いた今、その気持ちがとても強い。

 テレンスに対して、そう思う日が来るとは思わなかった。

 

 やがて予定通りの時刻に、テレンスがリィーダ侯爵家を訪れた。

 彼も少し緊張しているのか、いつもよりも表情が固い気がする。

「テレンス」

 彼を出迎えたアデラは、逸る気持ちを抑えきれず、やや小走りで駆け寄る。

 いつもなら、淑女らしくないと嗜める侍女も、それを微笑ましく見守ってくれている。

「お父様は、私たちの婚約を認めてくれたわ。だから、大丈夫」

 そう告げると、テレンスは戸惑ったアデラを見る。

「まだ何も説明をしていないが……」

 彼にしてみれば、弟と同じオラディ伯爵家の自分では認めてくれないと思っていたようだ。

 けれどアデラが、問題のある他国の元王太子の婚約者候補になってしまい、アデラを守るためにも、一刻も早く新しく婚約する必要があることを説明して、父を説得するつもりだったようだ。

 けれど父は、そんな事情を知らなくても、テレンスを認めてくれた。

 彼本人には、何の不満もないと言ってくれたのだ。

 考えてみれば、父はアデラのエスコートをテレンスに頼んだくらいなのだから、その言葉は本当だろう。

「お父様が心配だったのは、私たちの相性だけ。それもちゃんと大丈夫だと伝えたから」

「……そうか」

 テレンスが、目を細めて笑う。

 そんな気の抜けたような柔らかい表情は、初めて見る。

 昔はいつも無表情で、冷たい眼差しをしていた。そんなテレンスが、今はアデラに色んな顔を見せてくれる。

 それが、とても嬉しい。

「だが一応、今の状況を伝えておかなければ。少し、面倒なことになってね。アデラにも説明したい」

「面倒なこと?」

「ああ。詳しい話は後でするが、スリーダ王国の元王太子の訪問が決まった。結局、どの国からも芳しい返事が得られず、自分で婿入り先を探してこいと放り出されたようだ」

 それで、この国にも来るらしい。

「……迷惑な話ね」

「まったくその通りだ」

 彼がこの国に来る前に、アデラの婚約を正式に整えてしまわなくてはならない。

 どの程度、この国の噂話がスリーダ王国に伝わっているか不明だが、アデラは一度目の婚約が解消となり、二度目の婚約も時間の問題だと言われていた侯爵令嬢だ。

 廃嫡されて国を追い出される元王太子の相手には、ちょうど良いと考えられているかもしれない。

 ふたりで父が待つ応接間に向かう。

 微笑ましそうにふたりを見つめていた父も、テレンスがそのことを説明すると、顔が険しくなった。

「いかにスリーダ王国の王族といえ、国を追い出されるような元王太子を迎え入れるつもりはない。ふたりに問題がなければ、すぐにでも公式に婚約を発表しよう」

「本当に私で良いのでしょうか?」

 憤る父に、テレンスが確認する。

「もちろんだ。レナードよりも誠実で、クルトよりも優秀だ。それに、ティガ帝国にも通じていて、皇太子殿下とはとくに親しかったと聞いている」

「はい。皇太子殿下には、留学中にお世話になりました。帝国でしか採れない貴重な宝石も、私個人になら販売しても良いという許可をいただいております」

 アデラは、思わず自分の髪飾りに触れる。

 オラディ伯爵家から、婚約解消の慰謝料として渡されたこの宝石は、とても貴重なもので、ティガ帝国でしか採れない。どんなに高くても欲しいという人は世界中にいるが、今のところ帝国内でしか販売していない。

 それをテレンスには売ってくれるというのだから、ティガ帝国の皇太子は本当に彼を気に入っていたのだろう。

「それは……」

 さすがに父も、それほど親しいとは思っていなかったようで、かなり驚いた様子だった。

「採掘量も安定してきたので、これからは輸出も考えているとのことでした。そうなれば、この国での販売は、私に一任していただけるそうです」

 そしてテレンスが婿入りすれば、貴重な宝石を販売できる権利はリィーダ侯爵家のものとなる。

 それが、どれだけの利益をもらたすのか、アデラには想像できないくらいだ。

 けれど父の高揚した様子を伺うに、膨大なものとなるのだろう。

「その権利を、オラディ伯爵家に残さなくてもよかったのか?」

 父の問いに、テレンスは頷く。

「はい。私個人に、ということでしたから。それにオラディ伯爵家を継いでくれるソルーとフローラも、自分たちの手には余るので、必要ないとのことでした」

 あのふたりならそう言うだろうと、アデラも納得する。

 巨額の金が動くのなら、それを妬ましく思ったり、騙して利益を得ようといる者は必ずいる。

 静かに暮らしたいふたりには、たしかに不要なものだ。

 きっとこれは、テレンスの切り札だったのだろう。

 父がアデラとの婚約に反対した場合、リィーダ侯爵家に利益をもたらすことで、許可を得ようとした。

 だが、その前に父は認めてくれた。

 テレンスには予想外だったようだが、アデラはそれでよかったと思う。

 爵位も手放し、何も持たないはずの自分を受け入れてくれたことを、テレンスはきっと忘れないだろう。

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