第16話
「君は、本気でそんなことを?」
「はい。その方がお互いに都合が良いようですから」
アデラは表情を変えず、静かにそう言った。
たしかにどんなに険悪な関係だったとしても、表向きは仲睦まじく見せるのが貴族だ。
二度目だから、冷静にこんなことを言い出せたのだと思う。
手紙や贈り物はともかく、エスコートもしないとなると、この婚約は上手くいっていないと示すようなもの。
アデラにもクルトにも、不利益でしかない。
だが、どんなことがあってもリーリアを庇い、アデラを責めるだろうクルトと、これ以上一緒にいることはできなかった。
(本当は婚約を解消できたら一番良いけれど……。父は、二度目の婚約解消は許さないでしょうね)
あれほど人前で浮気をしていたレナードでさえ、相手は義妹なのだからと、様子を見ていたくらいだ。
そしてリーリアも、シンディーのように簡単に証拠を掴ませるようなことはしないだろう。
婚約解消できず、このまま結婚することになっても、仮面夫婦などいくらでもいる。
クルトは婿入りしてリィーダ侯爵家を継ぐのだから、領地運営さえしっかりとしてくれたら、それで良い。
アデラの方がリィーダ侯爵家の直系でも、どうせ女性は領地運営に関わらせてもらえないのだから。
「……わかりました」
クルトは固い声でそう言うと、立ち上がった。
「あなたが望むなら、そうしましょう」
挨拶もせずに立ち去る姿を見送って、アデラも自分の部屋に戻った。
クルトは伯爵家の次男で、アデラは侯爵家の娘だ。
アデラが何も言わなかったら、婿入りすることが決まっている以上、どんなに自分を嫌っていても、レナードのようにエスコートもせずに放っておくことはしないだろう。
(レナードも伯爵家だったけれど……。彼の場合は、何も考えていなかったから)
身分の差。そして婿入りする立場など、考えたこともなかったに違いない。
アデラもまた、父の決めた婚約者だからと、ふたりが決定的な言葉を言うまでは我慢をしていた。
でも、今回は違う。
アデラは自分からクルトを拒絶し、彼もその提案を受け入れた。
今後は、婚約者のエスコートなしで夜会に参加することになる。
おそらくクルトは、当てつけのようにリーリアを連れて来るかもしれない。
レナードが酷すぎたせいで、婚約解消してもそこまで落ちなかったアデラの評判も、この間の夜会のことも含めて、かなり低下する可能性がある。
それがわかっていても、リーリアの言葉だけを信じ、一方的にこちらを責めるクルトと、これからも行動をともにしたいとは思えなかった。
それから数日後に、ようやくクルトと亡くなった元婚約者のルビーナ。そしてリーリアの調査結果が届いた。
「……これは、想像以上ね」
分厚い報告書を読みながら、アデラは溜息をつく。
リーリアがアデラに名乗ることはなかったが、ルビーナとリーリア姉妹は、ロトリガ子爵家の娘だった。
クルトとルビーナは、十歳で婚約したらしい。
次男とはいえ、シダータ伯爵家の次男が子爵家に婿入りすることが決まったのは、ロトリガ子爵家とシダータ伯爵家の間で、相応の取引があったからのようだ。
(シダータ伯爵家は、地方貴族だもの。領地の名産品を王都に運ぶにしても、各領地を通るための通行料はかなり負担だったはず。そして、ロトリガ子爵家の領地は、シダータ伯爵家と王都との間にある)
おそらくその取引も、通行料免除の話だろう。
この国の場合、街道は各領主がしっかりと管理し、安全を保障する代わりに通行料を取っていて、それが収入源になっている領地も多い。
そんな条件があって結ばれた婚約だったが、クルトとルビーナの仲も、最初はそれほど悪くはなかったようだ。
けれど、もともと丈夫ではなかったルビーナが体調を崩してしまい、クルトが席を用意してくれた観劇に行けなくなってしまった。
クルトは、妹なら誘っても問題がないと考えて、リーリアを連れて行ったようだ。
それが、すべてのきっかけだった。
クルトを気に入って、自分のものにしたかったのか。それとも、姉に対する嫌がらせだったのかは、わからない。
それからのリーリアは、姉のためだと言って、体調が良くなっても彼女を寝室に閉じ込め、クルトと出かけるようになっていく。
当然、ルビーナは抗議していた。
けれどリーリアは日頃から、姉につらく当たられているのだと、クルトと両親に訴えていたらしい。
愛らしい容姿に、相手の望むことを口にするリーリアは、両親にも可愛がられていたようだ。
(気遣ってくれる妹にそんなことをするなんて、と逆に叱られてしまって、訴えても無駄だと諦めてしまったのね……)
ふさぎこんでいるうちに、体調はますます悪化して、とうとうルビーナは亡くなってしまう。
婚約者にも両親にも信じてもらえず、失意のまま亡くなった彼女のことを思うと、心が痛くなる。
同じ目に遭ったアデラとしては、とても他人事とは思えない。
(でもその後、代わりにリーリアと婚約するといった話は出なかったようね。その理由は?)
答えを求めて、報告書を読み進めていく。
すると、シダータ伯爵家の領地の名産品は、他国での需要が多くなり、王都ではなく国外に輸出することが増えたようだ。
そうなれば通行料免除の話も、シダータ伯爵家では不要となる。
ロドリガ子爵家でも、隣り合う領地のビエーラ子爵家と共同事業の話が出ていて、リーリアは、そのビエーラ子爵の子息との婚約の話が出ているようだ。
けれどビエーラ子爵の子息はクルトよりもさらに年上で、リーリアはその婚約を嫌っているらしい。
(それで、姉の遺言だからと言って、彼に近付いているのね)
クルトが侯爵家のアデラと婚約しても諦めず、こうしてアデラを排除するために画策しているのか。
さすがに亡くなってしまってからも利用されている、ルビーナを不憫に思う。
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