第15話

 あのときのアデラは、誰から見てもリーリアを突き飛ばしたようにしか見えなかったらしい。

 今まで心配してくれた友人たちまで、遠巻きに見ている。さらにクルトはリーリアに付き添ったきり、帰りは送ってくれなかった。

 しかも屋敷に戻ったあとに、父に叱られてしまった。

「二度目の婚約なのは、お前も同じだ。せっかく整えた婚約が、まだ破談になったらどうする」

 リーリアに謝罪の手紙を出すように言われて、アデラは拒否した。

「私は何もしておりません」

 たとえクルトにどう思われようと、やってもいないことで謝罪するつもりはない。父にはさらに叱られてしまったが、アデラはけっして頷かなかった。

 ようやく解放されて自分の部屋に戻った頃には、もう深夜過ぎ。

 アデラは着替えをすませると侍女を下がらせ、深く溜息をつく。

(やられたわ。まさかあんなことするなんて、思わなかった)

 見た目だけは、可憐で華奢なリーリアだ。

 そんな彼女を突き飛ばしたアデラは、さぞ悪女に見えたことだろう。

 しかしその中身は、シンディーを上回る狡猾さである。

「どうせ非難されるなら、本当に突き飛ばしてやればよかった」

 思わずそう呟いてしまい、自分の言葉に苦笑した。

 シンディーやリーリアやら、とんでもない女性とばかり関わってしまったからか、アデラも随分と、過激な思考になってしまっている。

 そもそも、クルトに婚約者がいたことは知っている。それを聞かされて、なぜリーリアを突き飛ばすことに繋がるのだろう。

(まさか私が、元婚約者に嫉妬しているとか? 政略結婚なのだから、そんなことをするはずがないのに)

 それを当然のように受け入れたクルトも、少し残念な人のようだ。

 だが父の様子からして、二度目の破談は許さないだろう。あのようなことが続くと、本当に謝罪させられてしまうかもしれない。

 それだけは、絶対に嫌だった。

 二度目の婚約だから、少し油断していた。

 明日、諜報活動が得意な侍女に命じて、クルトと元婚約者、そしてリーリアについて詳しく調査した方が良いだろう。

 アデラは嫌な記憶を振り払うように首を振り、ベッドに潜り込む。

 それにしてもクルトはともかく、父や友人たちにまで誤解されるとは思わなかった。

 シンディーのようにはいかないかもしれない。

 アデラは目を閉じながら、ひさしぶりにテレンスのことを思い出す。

 彼なら、どんな復讐をするだろう。


 翌日、クルトから手紙が届けられた。

 レナードからの手紙のように捨ててしまおうかと思ったが、まだ向こうの調査が終わっていない。

 少しでも情報を得ようと、アデラは手紙を開いてみる。

 そこには一応、帰りに送れなかった詫びの言葉が書いてあった。

 けれど大半はリーリアのことで、彼女は亡くなった婚約者の妹であること。自分にとっては、本当の妹のような存在であること。そして、彼女がアデラにとても怯えていることが、やや非難めいた言葉で書かれていた。

「……やっぱり読むだけ無駄だったわ」

 アデラはそう呟くと、手紙を閉じた。

 そんなに義妹が大切ならば、そのまま元婚約者の家に婿入りすればよかったのだ。

 それをせずにアデラとの婚約を選んだのは、クルトである。

(もしかして、先にリーリアとの婚約話が出ていたのかしら? それを後から私に奪われたのだとしたら……)

 少しだけ、そう考えた。

 でもさすがに父も、婚約が決まっていた相手から奪うような真似はしていないだろう。

 すべてリーリアの独りよがりで、クルトは騙されているだけなのか。

 それとも、彼もリーリアの仲間なのか。

 それによって、今後の対応も変わってくる。

(返事は、どうしようかしら)

 婚約者から手紙をもらったのだから、返事を書くのが礼儀である。

 だが向こうはきっと、リーリアに嘘を吹き込まれ、何を言っても信じてくれない。

 必死に誤解を解かなくてはならないと思うほど、この婚約に思い入れもない。

 そのまま、返事は出さなかった。


 すると翌日、クルトがリィーダ侯爵邸を訪れた。

 そこまでして文句が言いたいのかとやや呆れながらも、それでも一応、婚約者だ。対応しないわけにはいかないと、アデラは仕方なく、彼と会うことにした。

「リィーダ侯爵から聞いたよ。リーリアに謝ることを拒絶したらしいね」

 会うなりそう言ったクルトに、アデラは溜息をついた。

(やっぱり、適当な理由をつけて断ればよかった)

 もう彼には、何を言っても無駄だろう。

 それに父も、まさかそんなことをクルトに告げるとは思わなかった。

 普段は、アデラの言うことを頭ごなしに否定するような父ではない。

 リーリアは、よほど上手くやったのだろう。

 アデラは溜息をつくと、クルトを見た。

「やってもいないことで、謝るつもりはありませんから」

 いくら彼が信じなくても、このままでは一方的に責められるだけだ。

 アデラは何もしていないと伝えたが、もちろん無駄だった。

「やっていないはずがないだろう。君がリーリアを突き飛ばしたようにしか見えなかった」

「そうですね。まさか、あんなことをされるとは思いませんでした。私に突き飛ばされたように見せかけて、自分であんなに派手に転ぶなんて」

「君まで、そんなことを言うのか」

 クルトは失望したような顔をして、アデラを見た。

「……君まで?」

 そんな視線よりも言葉が気になって、ようやくクルトの顔を見る。

「そうだ。ルビーナもよくそう言って、妹を貶めていた」

「……なるほど」

 アデラは小さく頷いた。

 どうやらリーリアは、思っていたよりもずっと性悪らしい。

 彼の元婚約者はルビーナという名で、あのとき、クルトと深く愛し合っていたと言ったのは、リーリアの嘘だったようだ。

(もし彼女が婚約者だった頃のクルトに、今の私と似たようなことを言われていたとしたら、その相手を愛するなんてあり得ないもの)

 詳しい調査結果よりも早く、こんな情報を提供してくれたのだから、やはりクルトと会って良かったのかもしれないと思い直す。

「そもそも私が、リーリアさんを突き飛ばす理由がありません」

「それは、自分がうっかり姉のことを話してしまったからだと、リーリアが」

 そこがまず不思議だと、アデラは首を傾げる。

「あなたに婚約者がいたことは知っております。それを今さら伝えられたからと言って、どうしてリーリアさんを突き飛ばすことに繋がるのでしょう?」

「それは……」

 クルトは口ごもった。さすがに嫉妬したからだと、自分からは口に出せないようだ。

 それを見て、アデラは念を押しておく。

「私たちの婚約は、家同士で結ばれたもの。あなたに婚約者がいたからといって、それに嫉妬することはありません。それにお話を伺って、あなたと元婚約者の方が、それほど親密ではなかったこともわかりました。これ以上、この件で話し合っても無駄だということも」

 長年の婚約者の姉が言っても無駄だったことを、アデラが言って信じてもらえるとは思えない。

「もう手紙も贈り物も、夜会でのエスコートも結構です。婚約だけは私の意志ではどうにもなりませんが、なるべく関わらずに過ごしましょう」

 その方が互いに良いだろうと提案すると、クルトは言われたことが信じられないような顔をして、アデラを見た。

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