第3話
そういえば、彼はまだアデラの婚約者である。
このままでは、婚約者に裏切られた哀れな女に見えてしまうかもしれない。
実際、その通りなのだが、アデラにはもう彼に対する愛情は微塵も残っていない。
むしろ心の底から、どうでもいいと思っている。
そんなレナードのせいで、婚約者に裏切られた女性だと思われるのは、あまり気分が良くない。
(どうしようかしら?)
ここは両親にレナードの不義を訴えて、婚約を解消してもらうのが一番なのだろう。
だがどんな理由だろうと、一度決まった婚約を解消するのは恥だと思う者もいる。
アデラにも原因があるのではと、勘繰る者もいるに違いない。
それも不快だし、もしレナードが素直に浮気を認めなかった場合、長引いてしまったりする可能性がある。
これ以上、彼のために時間を割くつもりなどない。
それにあまりにも話が拗れてしまった場合、醜聞を嫌った父に、多少のことは目を瞑ってそのまま結婚しろと言われてしまう可能性もあった。
父はそれなりにひとり娘のアデラを大切にしてくれるが、世間の目を気にするところがある。
(レナードと結婚だけは、絶対に嫌)
何とか早急に婚約を解消する方法はないだろうか。
思案するアデラの目の前で、レナードとシンディーはふたりで楽しそうに笑っている。
(ああ、そうだわ)
ふと、ある考えが浮かんできて、アデラは微笑んだ。
これだけ人目の多い場所で、あんなにも楽しそうにしているのだ。
本当はあのふたりが恋人同士だったと言っても、誰も疑わないだろう。
だとしたら、それを事実にしてしまえばいい。
レナードが言い訳などできないくらい、完璧に。
彼もアデラよりもシンディーが良いと言っていたので、きっと本望に違いない。
「内緒の話だけどね」
声をひそめてそう言えば、周囲の友人たちが目を輝かせて近寄ってきた。秘密の話が好きなのは、この年頃の女性ならば皆同じ。
だから少しだけ、噂の拡散に協力してもらおう。
「本当は、あのふたりは恋人同士なの」
私は、ただ協力しているだけ。
そう言って笑みを浮かべる。
「え、そうなの?」
「たしかに、恋人同士にしか見えなかったけど」
「でも、兄妹よね?」
義理のね、と言ってアデラはますます声を小さくする。
「血の繋がりはないもの。彼は何とかシンディーと結ばれる方法を探しているの。たしかにレナードと婚約していた期間は長かったけれど、私たちは政略結婚。だから私は、真実の愛で結ばれたふたりを応援したいと思ったのよ」
友人たちは驚いたようだが、そういえば、と色々と思い出したようだ。
「夜会のエスコートがレナードじゃなかったのも……」
「ええ。彼は、真の恋人のシンディーをエスコートしていたでしょう?」
「三人で出かけていたのも?」
「もちろん。私は、ふたりのために同席していただけよ」
意外と友人たちは、レナードがアデラを放置していたことに気が付いていたようだ。
婚約者に放置されている女だと、ずっと同情されていたのかもしれない。
だがこの噂が広まれば、そんなこともなくなるだろう。
アデラはにこりと笑って言った。
「絶対に、内緒よ?」
噂は瞬く間に広がり、その速さはアデラが驚くほどだった。
内緒だと言われるほど、誰かに言いたくなるのかもしれない。
それを見越して彼女たちに話したのだが、本当に大切な話は絶対に話さないでおこうと思う。
でも、さすがに内緒だと念を押しただけあって、言い出したのがアデラだということは、誰も知らないようだ。
それもまた予定通りのことだ。
ついにその噂は、父の耳にも届いたらしい。
アデラはある日、父の執務室に呼び出された。
(ここが正念場ね……)
今の状況を父に理解してもらい、レナードとの婚約を解消してもらわなくてはならない。
もちろん、噂の出所がアデラだと知られないように。
アデラの父であるリィーダ侯爵は、あいかわらず忙しそうに書類の山に埋もれていたが、アデラが部屋に入ると、顔を上げて着席を促した。
「レナードと彼の義理の妹……。シンディーだったか。そのふたりの噂は知っているか?」
そう聞かれて、アデラは首を傾げてみせる。
「噂ですか?」
それはどんな噂なのですかと尋ねたアデラを、父は真意を見極めるように、黙って見つめていた。
「お前の婚約者であるレナードと、彼の義妹が恋仲であるという噂だ」
「……そんな噂が」
緊張で、答える声が震えてしまった。
でもそれが、信憑性を高めたらしい。父は手にしていた書類を机の上に置くと、溜息をついた。
「お前がそれに加担しているというのは、噂にすぎないのだな?」
「はい。私は今まで知りませんでした。……ただ、彼はいつも義妹を優先していました」
レナードとの約束は、いつもキャンセルされていたこと。
夜会のエスコートさえ、断られていたこと。
いつも従兄のエイダーにエスコートされていたことは、父も知っているはずだ。
さらに、たまにレナードと会うことができても、シンディーが一緒だったことを訴えた。
もちろん、すべて事実だ。
最後に、ここ一か月は会ってもいないことを伝えると、父は険しい顔をして考え込んでいた。
父の子は、アデラひとりだ。
だからアデラの夫が、このリィーダ侯爵家を継ぐことになる。
それなのに婚約者であるレナードは、義妹とはいえ他の女性を優先させ、アデラを放置していた。
もしこのまま結婚しても浮気をする可能性や、義妹がいる実家を優先させてしまう恐れがある。
「事情はわかった。戻っていい」
「はい、お父様」
険しい顔をしたままの父に退出するように言われて、アデラは素直に従った。
婚約は、家同士の取り決めだ。それを解消するのは簡単なことではない。
だから今は、父にレナードに対する不信感を持ってもらうだけでいい。
(さて、次は……)
アデラは自分の部屋に戻ると、一番信用している侍女を呼び出した。
彼女は口が堅く、諜報活動も得意としている。
「調べてほしいことがあるの」
その侍女に、アデラはある指示を出した。
「レナードの義母となった女性について詳しく知りたいの。どうやって伯爵と出逢ったのか。再婚することになった理由も」
シンディーの、媚びるような甘い声を思い出す。
彼女の母親も、シンディーと同じ種類の人間だとしたら、知られたくない過去があるかもしれない。
もしシンディーの母親に問題があって、離縁されてしまえば、ふたりは義兄妹ではなくなる。
そうすれば、堂々と結婚することができるはずだ。
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