第2話
それなのにレナードは、そんなアデラの協力に感謝するどころか、むしろ不満を口にしている。
「わたしだったら、お義兄さまにそんな想いをさせたりしないのに」
思いがけない婚約者の言葉に衝撃を受けたアデラに、シンディーの思い詰めたような声が聞こえてきた。
「どうしてわたしは、お義兄さまの妹になってしまったのかしら。アデラさまが羨ましい。わたしだって、お義兄さまと……」
泣き出しそうなシンディーの声に、わずかに媚びるような艶が混じる。
無邪気で、少し幼い感じさえした彼女の様子が変貌していた。熱を宿した瞳でレナードを見つめている様が、目に見えるようだ。
彼もそれに気が付いたのだろう。
「シンディー」
低く押し殺した声で、レナードは義妹の名前を呼ぶ。
今まで妹として扱ってきたシンディーが、急に女の顔を見せたのだ。
戸惑っているのかもしれない。
(レナード……)
アデラは、祈るように両手を組み合わせていた。
血の繋がりはないとはいえ、シンディーは彼にとって新しい家族なのだ。そんなことを言った義妹を窘めてくれる。
そんな誘惑に負けたりしない。
そう信じていたのに。
「シンディー。本当に、僕もそう思っているよ」
レナードの声が、信じられないような言葉を紡ぐ。
わずかに上擦った彼の声は、まるで熱に浮かされているようだ。
「アデラではなく君が僕の婚約者だったら、どんなによかっただろう」
「ああ、お義兄さま」
シンディーの声には喜びだけではなく、勝ち誇ったような色があった。
「ふたりきりのときは、レナードと呼んでほしい」
「レナード……」
抱き合うような気配が聞こえてきて、アデラは身を翻した。
もうこれ以上、ふたりの会話を聞きたくない。
「アデラ様?」
忘れ物を持たずに戻ってきたアデラを見て侍女は驚いたようだが、アデラは無言でそのまま迎えの馬車に乗り込む。
様子がいつもと違うと気が付いたのか、慌てて追ってきた侍女は、何も聞かずにいてくれた。
レナードと喧嘩でもしたのかと思っているのだろう。
実際にはそんなかわいらしいものではない。
馬車に揺られながら、アデラはレナードに対する気持ちが、急速に冷めていくのを感じていた。
新しい家族ができて、レナードも大変だろうと気遣っていたつもりだった。
急に年の近い義妹ができてしまって戸惑っているかもしれないと、ふたりのデートにシンディーがついてきても、一度も文句を言ったことなどない。
レナードの義妹ならば、いずれ自分にとっても義妹になるのだからと、なるべく優しくしてきたつもりだ。
だが、彼はそんなアデラを不満そうだったと言う。挙句に、彼の父親にそのことを訴えたと思っていた。
最後には、自分が義兄の婚約者になりたかったと告げる義妹に同意して、彼女を抱きしめたのだ。
そんなに義妹がいいのなら、もう好きにすればいい。
アデラはそう結論を出すと、目を閉じた。
もう彼を婚約者だなんて思いたくない。
関わりたくもない。
一緒に出掛けることも、夜会でエスコートをしてもらうのも嫌だった。
(どうしたらいいのかしら……)
こちらから断ればいい話だが、彼と違って理由がないアデラは悩んだ。
(顔も見たくないほど嫌いだからって、言えたらいいのだけれど……)
レナードと会わずにすむ方法を考えていたアデラは、あることに気が付いて思わず笑みを浮かべた。
簡単なことだった。
どんなときも義妹を優先するレナードは、こちらからわざわざ連絡しなくとも、勝手に断りを入れてくるだろう。
今までだって、ずっとそうだったのだから。
アデラとのデートにシンディーを連れてきて、仕方なく三人で一緒にでかけることもあった。
媚びるような艶を含んだシンディーの声を思い出して、不快になる。
こちらから誘うことをやめれば、ほとんど関わることもない。
(まぁ、断る手間が省けてよかったわ)
屋敷に着く頃には、そう思うようになっていた。
夜会のエスコートも、最初から従兄のエイダーに頼んでおけば、慌てずにすむ。
約束の前日になって、明日はレナードがきちんと来てくれるだろうか。またシンディーを連れてくるのではないかと気に病むこともなくなる。
どうせ約束を守らないことの方が多いのだから、レナードも最初から約束をしなければ良い。でも、最初から約束を破るつもりはないというアピールのつもりか、前日まではアデラをエスコートすると約束するのだ。
当日になってから来られなくなったという連絡があり、慌ててエイダーに頼む。それを何回、繰り返したか。
(エイダーには、悪いことをしてしまったわ)
これで、従兄のエイダーにも最初からエスコートを頼める。
そう思えば、良いことばかりだ。
(どうして今までは、あんなにレナードに振り回されて来たのかしら)
穏やかで優しいと思っていたが、優柔不断で流されやすいだけだったのだと、アデラもようやく気がついた。
今後はもう、そんなこともなくなる。
アデラはすっきりとした気分で屋敷に戻り、お気に入りの紅茶を淹れてもらって、ゆったりと過ごしていた。
そして予想していた通り、レナードと約束した日の前日になると、断りの手紙が届くようになった。
最初は言い訳ばかりの手紙を眺める余裕もあったが、最近では開くことさえ面倒になって、机の上に置きっぱなしになっていた。
風に飛ばされようが、どうでもいい。
侍女に頼んだので、きちんと処分してくれるだろう。
そのうち約束もしていないデートを断る手紙が届き、それにはさすがに笑ってしまった。
もうひと月以上顔を合わせていないことに、レナードは気が付いていないのだろうか。
約束していませんと返事を書こうかと思ったが、それも何だか面倒になってやめた。
そんなことよりも友人と出かけ、お茶会をしているほうがずっと楽しい。
友人たちに町で評判になっているスイーツの店に誘われ、軽い気持ちで頷いた。
まさかその店で、レナードとシンディーに遭遇するとは思わなかった。
「ねえ、アデラ」
友人のひとりが、そっと声を潜めてアデラに話しかけてきた。
「どうしたの?」
新作のスイーツを堪能し、優雅に紅茶を飲んでいたアデラは、首を傾げてそう問いかける。
彼女は言いにくそうにしていたが、やがて決意したように言った。
「向こう側に座っているのは、もしかしてあなたの婚約者の……」
そう言われて振り返ると、そこにはレナードとシンディーの姿があった。彼らは周囲から注がれる好奇の視線をまったく気にせず、まるで恋人同士のように戯れている。
「あら」
まさかこんなところで会うとは思わなかったが、アデラとしては、彼らが何をしていようと一向にかまわない。
でも周囲の友人たちが、気まずそうに自分を見ていることに気が付いた。
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