第4話

 その翌日のこと。

 今日は何も予定のない日だ。自分の部屋でゆったりと過ごしていたアデラに、侍女が来客を告げた。

「約束はしていないと思うけれど……。誰かしら?」

「それが……」

 侍女が告げたのは、まさかの婚約者の名前だった。

「レナードが?」

 彼がアデラに会いたいと、ひとりで屋敷を訪れたらしい。

 最近は手紙が来ても開封すらしていなかったので、彼が何のためにアデラに会いに来たのかわからない。

(しかもひとりで? どういうつもりかしら?)

 今までのレナードなら、アデラに会いにきても、必ずシンディーを連れてきたはずだ。

「約束していないわ。お断りして」

 だが、わざわざ彼に会う義務も必要も感じない。

 アデラは侍女にそう言ったが、レナードはアデラに会わせてくれるまで帰らないと言い張っているらしい。

(お父様がいない時間に来て、逆らえない侍女相手に無理難題を言うなんて。本当に迷惑な人ね)

 昔は、侍女に無理を言うような人ではなかった。優しかったのに、彼もシンディーに会ってから、随分変わってしまった。

(でも、今の彼が本性という可能性もあるわね……)

 婿入りする立場だったから、アデラには穏やかで優しく接していたのかもしれない。そうでなければ、義妹にアデラの悪口を言ったり、浮気をしたりしない。

 顔も見たくなかったが、これ以上侍女を困らせてしまうのも本意ではない。

 アデラは仕方なく彼を客間に通し、侍女を伴ってレナードのもとに向かうことにした。

「ああ、アデラ」

 久しぶりに対面したレナードは、侍女を伴って入室したアデラを見ると、疲れたように笑った。

「随分待たせられたよ。きちんと話が伝わっていなかったようだね」

 その声に含まれた、侍女を責めるような響きにアデラは眉を顰める。

 たしかに彼はまだアデラの婚約者で、いずれはこの屋敷の主になる立場かもしれない。

 だが、今のレナードに彼女たちを責める資格はない。

「……約束をしていませんので」

 冷たくそう答えると、レナードは驚いたようにアデラを見た。

「以前は約束などしなくても、すぐに迎えてくれたじゃないか」

「そんな覚えはございません。可愛らしい義妹とお間違えではないでしょうか」

 冷めた瞳のままそう答えると、レナードは、なぜか納得したように頷いた。

「ああ、あの噂を信じてしまったんだね。そうかもしれないと思って、急いで会いに来たんだ」

「噂ですか?」

「そう。私と義妹のシンディーが恋仲だという、馬鹿げた噂のことだよ。それを信じてしまったのだろう?」

 レナードの声は優しく、まるでシンディーと接しているときのような声だ。そう思うと、不快感がますます強まる。

「噂ではなく、事実なのでは?」

「……君まで、そんなことを言うのか?」

 いかにも傷ついたと言わんばかりの顔に、怒りを通り越して笑いさえこみあげてきた。

「ただの噂だというのなら、なぜ一度も私をエスコートしてくださらなかったの?」

 彼がエスコートしていたのは、いつだって義妹のシンディーだった。

「それは、シンディーが慣れない夜会で不安だというからだ。次は、必ず君をエスコートするよ」

 残念だが、そんな機会は二度と訪れない。

 何よりもアデラがそれを望んでいないのだから。

「もう結構です。約束も、破られてばかりでした。最後に会ったのがいつか、覚えていますか?」

「……それは」

 レナードは視線を泳がせている。

 思い出すことさえもできないのだろう。

「噂を聞いた友人たちには、納得されてしまいました。だからいつもレナードは義妹と一緒だったのかと」

「シンディーが、我儘を言うからだ。私はそんなつもりでは」

 レナードの言葉を遮って、アデラは初めて彼に微笑みかける。

「今までのことをすべて、お父様には話しました。これからどうするかは、お父様たちが決めてくださるでしょう」

「待ってくれ、アデラ。次は必ず……」

 レナードは、かなり焦っているようだ。

 狼狽えた様子で手を伸ばした。

(……嫌だわ)

 彼に触れられることを嫌ったアデラが身を引くと、ショックを受けたような顔をしてアデラを凝視する。

「あんな噂は嘘だ。信じないでくれ。もう二度と、シンディーを優先したりしない。だから……」

 あまりにも必死な様子に、首を傾げる。

 彼はシンディーが好きだったはずだ。

 あの日、彼の口からそう言っていたのだから間違いない。

 むしろこの状況を喜んでいると思っていたのに、どうしてこんなにも必死になっているのだろうか。

(ああ、そういうことなのね)

 あることに気が付いて、アデラは冷めた笑みを浮かべた。

 レナードは、オラディ伯爵家の次男だ。

 彼には、とても優秀な兄のテレンスがいる。テレンスは二年前から、勉学のために隣国のティガ帝国に留学していた。

 アデラも未来の義兄として何度か挨拶をしたことがあるが、人嫌いで冷たい性格だと聞いている。

 レナードとはあまり似ていないが、かなり優秀な人で、彼がいる限り、レナードがオラディ伯爵家を継ぐ可能性はまったくないと言っていいだろう。

 レナードは、いずれ家を出なくてはならないと決まっている。

 貴族の長男以外は、騎士団に入るか、神官になるか。もしくは他の貴族の家に婿入りするしかない。

 だが騎士は訓練が厳しく、神官は規律が厳しい。

 一番良いのは他の貴族に婿入りすることであり、アデラの家は、レナートの実家であるオラディ伯爵家よりも格上の侯爵家だ。

 レナードは、可愛らしい義妹との恋を楽しみながらも、何事もなかったようにアデラと結婚して侯爵家を継ごうとしていたのだ。

(最初からそういうことだったのね)

 彼の考えを悟り、アデラは溜息をつく。

 そう考えれば、レナードがこんなに必死になっている理由もわかる。

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