降伏

 ようやくまともな呼吸を取り戻した眼鏡の女は、ロフィと俺の監視下でおとなしく座っていた。

「逃げようったって逃さないから」

「逃げやしないわよ」

 女の顔には笑顔の名残すらなく、俺らの顔を睨めつけている。ただ本人の言うとおり、抵抗の意思はなさそうだ。

「逃げないから、この外して」

「嫌でーす」


 気持ち悪い、と女が示すのはロフィが彼女を拘束する為に用意した手枷だ。これは一般にイメージするような金属の手錠だとか、手首を通す穴の空いた木製の板だとか、そんな代物ではない。

 手枷。手を拘束する枷だと思いきや違う。だ。手作りというか、手作られというか。


 ロフィは女を捉えるにあたり、その腕を後ろに回させてから片手で掴んだ。そして女を掴む自分の手首を斬り落とし、その切断面に手首のない自身の腕を当てがい新たな手が再生するのを待ってさらにそれを斬り落とし……と、まあ端的に言えば。自分の腕を素材にして、眼鏡の女が動けないようにがんじがらめにしている。傍観者である俺の目から見ても、結構気持ちが悪い。


 女は謝罪も罵倒もすることなく、ただ開き直り不貞腐れたような面持ちで愚痴を吐く。


『くそ、ほんとやってらんないわ。そろそろ引退しようと思ってた矢先にさ』


 俺はその発言に、彼女のしでかした事を一瞬忘れるほどに驚いた。


『あの……日本語……?』

『えっ、な……言葉、分かるの?』

 女の方も相当驚いている。誰も意味を理解できないと思っていたに違いない。


『違ったら悪いんだけど、もしかして日本人なのか?』

 初めて直接会った日本語の解る相手だ。状況は状況だが、思わず喜んでしまう。その俺の様子に、女は呆れつつ呟いた。

『……そうだけど』

『わー、マジか! 俺も俺も!』

『……緊張感ないのね、あんた』


 我ながら仰せのとおりだと思う。

 この女がどういう経緯で犯罪に手を染めたのかをまだ聞いていないけど、それとは別に聞きたいことがあれやこれやと増えていく。


『偶然ってあるんだなー』

『こっちの台詞よ。あんたの顔見て外界種なのはすぐ分かったけど、まさかあんたも原種オリジンとはね』

『あ。そういえば何で俺のこと外界種だって分かったんだ?』

 さすがに原種オリジンとは見抜けなかったようだが、屋敷に通された時点でノーテは俺を外界種として扱った。この女自身も言っていたとおり、それが分かっていたってことだ。


 訊ねると、女は俺の顔を顎で示す。

『簡単よ。、付けているんだもの。他の奴らには必要ない』

 はっとして、顔に手をやる。そうか、マスクだ。

 この世界の奴ら、病気も怪我も気にしない感じするもんな。ファッションで付ける奴がいるのかは知らないが、普通は誰も付けないんだろう。

 思わずいそいそと外す。どうりで用意する時になかなか売ってなかったわけだ。勉強になった。


『そういえば、名前は?』

 いつまでも眼鏡の女と呼ぶのもな、と。話ができるのならば、なおのこと聞いておきたい。

『何でもいいでしょ、そんなの』

『よくない。呼びにくいから』

 じっと見ていると、女は根負けした。


『……カズネ』

『カズネさんか。俺は』

『どうでもいい』

 あっ、そう。リアクションの薄さには少しせつなくなるが、まあでも聞けば答えてくれる性格なのが分かったかな。


「ねえねえ、まさかこの人ってネモの言葉解ってるの?」

 ああ、そうだ。あまりの衝撃にロフィを置いてけぼりにしていた。俺とカズネの会話は何も分かっちゃいないのだ。

 俺はロフィに向かって頷き、手でカズネを示した。

「こいつ、なまえ、カズネ。おで、はなす、ことば、わかる」


 びっくりするロフィ。そしてびっくりを通り越して吹き出すカズネ。おい何笑ってんだ。

『あんた、何よその話し方。ふざけてんの?』

『いたって真面目だけど』

 仕方ないだろうが。まだここへ来て日が浅いんだから。

 俺の口調がよほどおかしかったのか、カズネはくすくすと笑う。今まで浮かべていた偽物の笑顔ではない。本来はこうして笑うんだろう。


『なあ、カズネさん。そういやあんた、どうしてノーテや他の連中を操ってたんだ?』

『今更なに? もう気付いているんでしょ。私が物品操作サイコキネシス使えるってこと。対象範囲は弊社製品に使われてる合成神経と人工皮膚の……っても分かんないだろうけど』

『ああ、うん』

『口の動きまで操るなら一体ノーテがせいぜいだけど、単純な操作なら複数同時でも難しくない。慣れてるもの』


 これは聞き方が悪かったな。今俺が聞きたかったのはそこじゃないんだが、それはそれで気になるからいいか。

『せっかくだし、他にも詳しく聞いていいか?』

『嫌だって言っても、あんた私が答えるまで聞き続けるでしょうが』


 即答された。よくお分かりで。

 だって気になるものは気になるし、今聞いておかないと後々すっきりしないし。

 カズネは逃げるつもりがないどころか、罪を誤魔化そうとすらしないように思える。話を聞くならチャンス。

 同郷ゆえに親近感はわく。とはいえ、彼女は犯罪者だ。その点に共感する気はない。しかしだからこそ、彼女の話を聞きたいと思ったのだ。


 まずは、と切り出そうとしたところでロフィに目をやると、つまらなさそうに腕を組んで不機嫌さをアピールしている。

「ちょっとネモ、また私のこと除け者にするのやめてよねー」

 なまじどちらの言葉も理解できてしまうが為に、ついついカズネに日本語で返してしまう。ロフィにとっては確かに面白くないだろう。

 俺はカズネに、この世界の標準語で質問に答えてほしいと求めた。


「で、あんた何を聞きたいの?」

『そうだな。まずは、さっきの続き。特定の素材が使われた義体をカズネさんが操れるのは分かった。けど、 物品操作サイコキネシスってやつは物理的な支配しかできないんじゃないのか、と思って。洗脳はどうやったんだ?』


 カズネの行動は演技だとしても、他の人々の様子は明らかに不自然だった。記憶に欠落もある。

 一方でグラフェンは身体の支配を奪われた間も抵抗してたし、彼に対して発動しなかっただけで、何か感情をも操る術があるのだろうか。

 単に興味があるというのも本音だが、この部分は解決しておきたい事件の謎の半分だ。


「——洗脳、なんて。そんなことしてないわよ。それだけは絶対にしない」


 カズネは俺の問いに、吐き捨てるように言い放つ。

『あ……そっか』

「ええ。でも、私の前で二度と口にしないで」


 どうやら俺は、何らかの失言をしたらしい。意図しないところで彼女のプライドを傷つけてしまったのかもしれない、と頭を下げた。

『すみません。俺、別にあんたを貶めようと思ったわけじゃなくて……』

「謝らなくていい。ただ、もう私にその話をしないと約束して」

『分かった』

 俺が頷くとカズネも頷き返す。表情こそまだ固いものの、怒りはしていない。


 少しの沈黙の後、カズネは独り言のように呟いた。

「最初は、瞼を下ろすの」

『え?』

「何よ、知りたいんじゃないの? 良い子のの作り方」


 棘のある言い方だが、なぜだか蔑みよりも哀しみを感じるような。そんな響きがあった。

 腰を浮かせてナイフに手を掛けるロフィを制して、俺は続きを促す。


「街を歩いていて、誰かとふとすれ違う。それだけで私には伝わる。この相手は操れるのか、どの部分が動かせるのか、ってね。刻印なんて見る必要もない。感覚で察せるの。あんたにも理解できる?」

『ああ、なんとなく』

 カズネの言っている事は、つい数時間前の俺には理解できなかったろう。だが今の俺には解る。


 これはできる。これはできない。

 目の前に置かれた物を手に取ろうとするようなもんだ。掴めるか、掴めないか。腕を伸ばして確認せずとも、手の届く範囲は経験で知っている。

 もちろん微妙なラインってやつはあるけど、確実なものだけ取捨選択していれば失敗はない。


「身体だけじゃなくて、顔の筋肉まで私が支配できる。そんな人を見つけたら、家を調べて近付くの」

『怪しまれることなしに家なんて調べられるもんなの?』

「弊社製品の愛用者なんだから、自宅を調べるのはそんなに難しくないわ。彼女らZ型ターゲットは眠る時間は短いけれど、深い。毎日眠るかは分からないから、何日か通うことにはなるけど」


 言葉を切ったカズネはゆっくりと目を閉じて、それから開いた。

「私、何をしたように見えたかしら」

『え……』

 何を、って。目を閉じて、開いて。つまりはあれだ。

『ま、瞬き?』

 それ以外に何も思いつかないのでとりあえず答えてみる。カズネは頷いて、また目を閉じた。


「そうね。じゃあ、これはどう?」

 目を開ける。

『また、瞬き?』

「いいえ、違うわ」

『じゃあいったい……?』

 カズネは何が言いたいのか。瞬きじゃないとしたら、と考えてみても次の解答が出てこない。


『分からない』

「見たままよ。瞼を閉じていたところから、開いた。それだけ」

『……それは瞬きっていうと思うんですけど』

「違うわね。目を瞑っていたところは問題に入ってないもの。それなら、単に目を開けただけでしょう?」


 屁理屈がすぎない?

 ちょっと納得がいかない。俺が止めたからおとなしくしてはいるが、ロフィも苛ついている。

 と、いうか。

『それとこれと、何の関係があるんだ』

「あら、分からないの。もし私が問題を出すよりももっと前に、ずっと瞼を閉じていたら。あなたは瞬きなんて答えなかったと思う。たぶん目が覚めた、って言うんじゃない?」

 うーん。そう言われてみれば、まあ。ずっと目を閉じてるってことは、寝てるようなもんだからな。それは確かにそうかもしれない。


「いい? 要はね、瞼の開閉を何て呼ぶかはその時の状態によるの。開いたところから閉じて、また開けば瞬き。閉じたところから開くだけなら目覚め。じゃあ、目を閉じたところから、さらに閉じるのは?」

『はぁ?』

 知らんがな。そんなこと、普段の生活でしないし。

 ……いや待てよ、目を閉じてぎゅっと力を入れることはできるが、閉じたものをさらに閉じることはできない、ような。


『もしかして、?』

 自信はないがそう答えると、カズネはにやりと笑う。

「やるじゃない」

『合ってるのかよ』

「それじゃ、話を戻すわね」

 そうだった。突然の謎クイズで忘れていたけど、本題はそこではないんだった。


「夜になったら適当に頃合いを見て、相手の瞼を下ろす。目を閉じる感覚があれば、目をまた開ける。相手は何も思わない。瞬きするのにいちいち意識なんてしないもの。それを何度か繰り返す。目を閉ざす感覚がなくなる、つまり相手が瞳を閉じてしまうまで」


 瞳を閉じる。言い換えれば眠っているのを確かめてから、犯行に及ぶってことだ。

『それで、寝ている相手を外に連れ出すのか』

「まあね」

『途中で起きたら?』

「起きないように薬は飲んでもらうわ。私のところにいる間はずっと、眠っていてもらわないと」

 なるほど、繋がった。

 カズネはさっき言っていた。Z型は睡眠時間こそ短いが、眠りは深い。多少のことでは起きないんだろう。

 それこそ、多量の睡眠薬を自分で摂取しても、全く気付けないくらいに。


『それって、身体に悪くないのか』

外界種わたしたちとは身体の構造が違うもの、死にやしないわ。ノーテは……最初から、死んでいたのを動かしていただけ。あいつが死んだのは、薬を盛ったからじゃない」

『本当に?』

「……ええ。でも一応体調に難ありって人はすぐ逃がすし、健康そうに見えてもある程度したら帰してたし。実際、問題はなかったでしょう?」

『健康被害は、な』

 そもそも他人を拉致してる時点で問題なんだよなあ。


「ほら、これで満足? あんた達の疑問に答えてあげたけど」

『まだだ』

 方法に関しては分かった。ただ、他にも聞きたいことがある。

『俺が分からないのは——』


 その先、次の問いは車のクラクションで消された。また止められるのかよ。

 音のした方に顔を向けると、車からメルクが手を振っている。


「お待たせ。遅くなってごめんね」

 車に戻るとメルクはそう謝った。こちらこそ、アサヒへの報告を丸投げして申し訳ない。

 グラフェンはまだカズネに腹を立てているようで彼女の方を見もしない。まあ、気持ちは分かる。

 

 メルクに手招きされ、俺とロフィは定位置に、カズネはひとまずその間に座ることになった。

「で、アサヒさんは何て?」

 座席につくなりロフィは問う。

「この人、警察に突き出す? 通報はしたの?」

「はい、ちょっと落ち着いてね。もちろんさすがに通報はしておいたから、そのうち警察は来ると思うけどね」

 メルクは答えると、カズネの方に視線を向けた。


「君が集めた女性達、いつ頃意識が戻るんだい?」

「睡眠薬が切れたら何事もなかったかのように起きるわ。明日にはいつも通り」

「ほらほら、見てこの開き直り! ね、警察に突き出そっか」

 ロフィは強めに提案を繰り返す。ノーテの口を借りたカズネに馬鹿扱いされたのをまだ根に持っているんだろう。


 メルクはロフィの提案に対し、苦笑いでやんわりと告げた。

「彼女の身柄は、ここでは引き渡さない」

「えっ、どうして!」

「アサヒさんは優しいからね。彼女に選ばせてやりたい、ってさ」

 改めて、カズネの目を見ながらメルクは尋ねた。


「四番街、五番街、それから十番街。服役するならどこがいい?」

 並べられた三つの地区にカズネは少しだけ驚いた表情を浮かべ、すぐに哀しそうに微笑んだ。

「……本当に、優しいのね。そのアサヒさんって人」

 候補地の違いは俺には分からない。けれど、それは彼女にとって不利益の少ない選択肢なのだろう。


「十番街がいいわ」

 カズネがそう告げると、メルクは小さく頷きエンジンをかけた。ゆっくりと車が動き出す。目的地はきっと彼女が望む街だろう。


『なあ、聞いていいか。何の為に、あんたはあんなことを?』

 遠ざかるノーテの屋敷を眺め、俺はずっと気になっていたことをようやくカズネに訊ねる。

『危険なのを分かっててさ。それでも、なんでわざわざ他人を攫ったんだよ?』

 動機。それだけがどうしても、引っかかっていた。


 カズネは小さな声で、それも日本語で。俺だけに答える。

『誰かの影に紛れるため。それだけよ』

『紛れる、って?』

『そのままの意味よ。種族、性別、年齢。同じような外見の集団に属すること。それだけで、生きていくのが楽になる』

『そうしないと、生きていけなかった……のか?』

 カズネは目を伏せた。哀しそうな笑顔に少しだけ、嘲りを込めて。


『独りぼっちのつらさを知らないなんて。あんた、とっても幸福なのね』

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デッドマンズ・ガーデン 〜世間の奴らがほぼ不死なので頑張って生きてる普通の俺を褒めてくれ〜 無印九 @entry_number_Q

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