開花
死ぬ前には走馬灯が流れる。そんな話をよく耳にするけど、走馬灯って何だっけ。思い出的なものだったよな。今のところ、俺にはそれは見えていない。
あとあれだ、三途の川。渡ると現世に戻れないとかいう。それも現れる気配がない。
俺は死を前にして、そんな事を考えていた。
わははは、やけに余裕があるな。どうでもいい事を思い出すほどには、死ぬという実感がない。なさすぎる。
……おかしい。さすがにそろそろ死んでいないとおかしいって。おかしいよな。
銃に弾が入っていなかったとか? まさかそんなことはないだろう。銃弾が発射されたのも見たし……って、何で見えてるんだ?
じっと見ると、こちらに向けて弾丸が飛んで来ている。しっかりと、はっきりと。しかし、ゆっくりと。まるで歩くような速度で。
——どういう事だ?
冷静な自分と混乱する自分が頭の中で殴り合っている。そんな争いを止めるかのように、誰かから声をかけられたような気がした。
まるで心に直接語りかけるような、脳の奥に響くような。そんな声。
あぁ、この感じには覚えがある。
ちょうどこの世界にやって来た夜、霧に包まれながら誰かに呼ばれたような感じがした。その時と同じだ。
何か異常事態が起きている、という不安と恐怖。まるで手探りで闇の中を歩いているような状況で、出口を照らす光を与えてくれた。
あの時、こちらへ来いと俺を呼んだのは神様か? そんな存在が居るのかは分からない。けど、何か不思議な力が進むべき道を示してくれた。今もそれと同じ。
生きろ。走れ。死から逃げろ。
そうささやかれたような気がして、俺は駆け出した。
ロフィとグラフェン、そしえこちらへゆっくりかつ確実に進んでいる弾丸に背を向けて、メルクが待つ車に戻る。
後部座席の扉を開け、定位置に滑り込む。再び扉を閉めた時、すぐ近くの門に弾がめり込む音がした。
『セーフ……』
思わず日本語で呟く俺に、激しいクラクションが応える。真後ろから聞こえた声に驚き、跳び退いたメルクが押したらしい。
「ネモ!?」
「おどろかす、した。ごめん」
「え、どうして!? さっきまで君、向こうにいた……よね?」
「うん」
メルクは動揺しつつもじろじろと俺を観察して、はっとしたように言った。
「ネモって、もしかして。
——なるほど、そういうことか。
俺はコーデンスの言葉を思い出した。何だっけな、生命の危機に超能力が発現しやすいとか、どうのこうの言ってたよな。まさにそれだ。
「つかえる、なった。いま」
メルクに向けて頷く。
俺の体感としては、時の流れがゆっくりになったタイミングに合わせて一生懸命走っただけ。でも移動の過程を見ていない他人の目にはこう映るわけだ。
俺は
シュッと目的地に着く。そういう楽な能力だと思ってたが、全然そんな事ない。水面下でばた足してる水鳥と同じだ。普通に走るよりなんか疲れてるし、想像より体力いるんだな、これ。
漫画とかで出てくる超能力者が、力を使った後でやたら疲弊してるのって、もしかして案外こういう事なのかもしれない。
「ところでさ、ネモ。あれ、ノーテどうなってるの? ロフィ、彼を刺したよね?」
「うん」
「何で動いてるのか分かる?」
「うーん」
俺の得た力についてはひとまず後回し。
今は相手に集中すべきだ。
ノーテは俺の見る限り、頭でナイフを受けた。前にメルクが頭吹っ飛ばされた時、ロフィは言っていたはずだ。グラフェンだったら死んでた、って。
つまり、本来ならいくら俺より頑丈とはいっても、脳がやられたら死ぬはず。刺した本人であるロフィの反応からもそれが普通。
でも動いてるってことは……?
「ノーテ、しんでる、とか。すでに」
「え、そう……なの?」
「あやつる、されてる、とか」
俺は当初、あの眼鏡の女は
倒れたまま動けなくなっているグラフェンを見た感じ、あの女に意識を乗っ取られた様子はない。起きることはできなかったが、起きようとしはしてたし。明らかに抵抗はしていた。
だから、きっと。あの女の超能力は
「たぶん、サイコキネシス」
グラフェンが動けなくなった時、いきなり倒れ込んだ後で手脚を動かしていた。ってことは、あの女は手脚の動きを封じることはできないのだろう。
じゃあなんで起き上がれないのか。それは身体、具体的には胴体部分の自由が効かないからではないだろうか。グラフェン、その部分だけノーテの会社の製品使ってたはず。
グラフェンは言っていた。義体のうち、
ロベリーも言っていた。ノーテの会社がおすすめなのは、その商品に独自の素材が使われているからだ、って。
そして、コーデンスが言っていた。
要するに。
もしあの女が
「バイオ、ハイブリッド。そざい、きょうつう。ノーテ、せいひん、そざい、とくべつ。サイコキネシス、とくべつ、そざい、あやつる、できる」
俺は首の後ろを指で叩く。グラフェンのその位置には、ノーテの会社のロゴが刻まれていた。メルクはその動作を見て、俺が言いたいことを把握する。
「えーと、分かった! ノーテの造る義体の一部に使われている素材が、彼女の使う
「そうそう」
「了解!」
メルクは車の窓を開け、彼にしては大きな声で叫ぶ。
「聞こえる!? そこの眼鏡の彼女、おそらく
屋敷の方を見やると、玄関先には倒れたグラフェンしか残っていない。ロフィは俺とメルクが話している間、ずっとノーテを攻撃していたようだ。
ノーテの額の傷は遠くからでも分かるくらいに酷くなっている。おそらく、ロフィが同じ場所を何度も刺したっぽい。結構えぐいことする。
また、どこからか他の使用人達も集まり、ノーテを助けるように手当たり次第掃除道具やら調理器具やらをロフィに投げつけていた。中にはリアヴァッドもいる。制圧しようにも手荒な真似は躊躇われるのだろう、ロフィは防御に回っている。
「グラフェンは大丈夫なの!?」
忠告に対し、ロフィは振り向くことなく鋭く応じた。
「使ってる義体がまずいだけだ!」
推論の根拠をいちいち説明している余裕はない。メルクは端的にそう伝え、ロフィはそれを受け入れる。
「よく分かんないけど分かった! それならグラフェン、ノーテの足止め任せるね!」
そう宣言するやいなや。ロフィはノーテの横を掻い潜り、倒れたグラフェンの元へと駆けた。地に貼り付いたように動かない身体から彼の頭を力任せに引きちぎり、そのまま高く放り投げる。
「ちょ……待っ」
何か言いたいことがありそうなグラフェンの
グラフェンを止めたのは、俺が託されたまま放置していた箱。
あんなに中身が気になっていたのに、その存在すら忘れていた。何が入っているのだろう、と俺が思う間もなく、その蓋が内側から開く。
『あー、そりゃそこそこ重いわけだわ』
思わず独り言。
箱の中には首から上のない子供の身体が入って……訂正。子供サイズの身体が入っていた。
ソレは両手を前に突き出すようにしてふらふらと歩き、足元に落ちている自身の頭を拾い上げて首と繋げる。
そうだよな。
義体ってつまりは身体のスペアなんだから、どこかに本体を保管していてもおかしくないわけで。そして、あの箱がまさにその保管庫ってこと。中身を知って改めて箱を見れば、まるで棺桶のように思えてきた。
グラフェンはやれやれ、とでも言いたげに軽く首を回し、ロフィの指示に従ってノーテの方へと向かう。心なしかいつもの動きよりも幾分か足取りが軽やかなような。
敵に近付くも走る速度を緩めず、グラフェンは勢いのまま思いきりノーテの左膝を狙ってタックルをかました。
すかさずよろめくノーテの右脚を掴み、捩るように付け根から取り外す。ロベリーがやっていたのと比べると力任せ感があるが、それでも充分グラフェンのお手並みは鮮やか。
これで勝ったようなものだ。片脚を失ったノーテはもはや動けない。
と、思いきや。普通に動いている。むしろ走ることをやめて、完全に宙に浮いている。
「は?」
理解が追いつかない、という顔をするグラフェンにお構いなしで、ノーテは上空から銃を構えた。
「それは卑怯でしょう!」
いったん距離を取り、さっきまで入っていた棺桶を盾代わりにしてその陰に隠れる。この状態では近付くのは難しい。
「グラフェン、銃とかないの!?」
「義体の方に!」
「くっ」
ノーテが離れたとはいえ、ロフィの周りには多数の使用人達が群れている。ダメージを最小限にとたいした攻撃もできない以上は、再び倒れている方のグラフェンの元へ向かうのは難しい。
「あぁぁぁーっ! もういい! とりあえず元凶を叩けばなんとかなるよね!」
ロフィは吹っ切れたように声を張り上げる。
「ネモ! あなた達ってどこまで耐えられるの!?」
ど、どこまで、とは?
「優しめに首絞めるとか! そのくらいでも死ぬの!?」
「しぬ!!」
即答。たぶんロフィの力でやったらまず確実に気絶なんかじゃすまない。優しめとかそういうの意味ない。
眼鏡の女はロフィの宣戦布告を前にさすがに逃げるようだ。くるりと背を向け、屋敷の中へと駆けて行く。ロフィも取り巻きの使用人達を蹴散らし次第その後を追うことだろう。
まずい。まだ彼女には色々と聞きたいことがあるのに、ロフィと接触したら命が危ない。
なんとか、安全な方法で相手の自由を奪う方法は……あ!
『そうだ』
急いで車の外へと出て、回り込み助手席の扉を開ける。確かダッシュボードに入っているはず……!
目当ての物を手にした俺は、得たばかりの能力を発動する。
やり方さえ分かれば、なんとなくあの状況を再現できる。そう本能のようなもので理解していた。
ただ、思ったよりきつい。ついさっき力を使ったばかりなのもあり、二度ともなると体力の消耗が激しい。
俺は走った。できる限り速く、世界が動き出す前には目的地に着かねばならない。こんな
流れ弾が怖いのでノーテとグラフェンの戦場は迂回し、使用人達は傷つけないように避け、ロフィを追い越して、眼鏡の女の元へ。ようやく辿り着いた。
『ほんとごめん』
一応、謝っとくわ。悪気はある。
『どうぞ、召し上がれ』
俺は開いた彼女の口の中に、グラフェンお気に入りの菓子をめいっぱいねじ込んだ。
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