証明

 改めて訪ねたノーテの屋敷。玄関先まで向かったのはロフィとグラフェン、少しばかり離れた位置に俺。メルクは門のすぐ近くに停めた車の中だ。緊急時に逃げられるようにとエンジンをかけたまま、俺らを眺めている。


 俺は敷地内に入る直前に、ロフィより謎の巨大な箱を渡された。持っていてほしい、と門をくぐるなり言われたものの、俺の背丈とほとんど同じサイズのそれをどう扱って良いか分からず、とりあえず床に置いて待機している。

 材質はよく分からないがひんやりとしている。今の季節には冷たいくらいだ。背負うにも抱えるにも邪魔な大きさで、そこそこ重い。

 俺に手渡す前、ロフィはそいつを軽々と肩に担いで走っていたような気がするが、見間違いだよな。そう信じてる。


「あのー、すみません。誰かいますか? 話をしたいんですけどー!」

 よく響く、ロフィの大声とドアノッカーの連打。挨拶の言葉こそ丁寧だが、態度には上品さの欠片もない。誰も出てこなければ扉を破る勢いだ。取立てってこんな感じかなあ。


 居留守をきめられると厄介だと思っていたのだが、扉の破壊を恐れてか、しばらくして小さな音を立てて鍵が開いた。

「お待たせしました。何かまだご用ですか?」


 出迎えたのは、あの眼鏡の女。

 よくよく思い返せば、先程の訪問時にノーテ以外で口を利いたのは彼女だけだった。

 使用人という立場だったから何とも思わなかったが、他の女性達は受け応えができる状態にないのかもしれない。


「ご用でしたら、わたくしの方から主人に伝えておきます」

「あ、そういうのいいからいいから。あなたのご主人様、ここまで呼んでもらえるかな? 来ないならこっちから行くけど」

 ロフィは眼鏡の女にそう頼む。もちろん、しっかりと圧をかけながらだ。


 警察という機関はこの世界にも存在しているっぽいので、冷静に考えれば押し入ると宣言している時点で通報されてもおかしくないところだが、眼鏡の女はそうしない。ということは、やはり探られたくない腹があるのだろう。


「どうするの。呼んでくれるの、くれないの?」

「……それは」

 眼鏡の女が言い淀んだその言葉に重なるように、エントランス奥に深海色のスーツが見えた。


「どうかしたのか……何だ、さっきの失礼な客人じゃないか」

「どうも。忘れ物を取りに来ましたー」

「忘れ物? そんなものはなかった。何か落としたならここじゃない。さっさと帰ってくれ」

 二度と来るな、と言外に聞こえる。こっちの礼儀が正しいかはさておき、他人に失礼って言う方も失礼だと思う。ノーテは完全に入口を塞ぎ、ロフィを中へと通す気はないらしい。


 さて、次はどうする気なのか。

 ともかくリアヴァッドを呼んでもらえばいいのかな。もし彼女が眼鏡の女に何かされているとしたら、話しているうちに相手にボロが出るだろう。メルクからアサヒさん、そこから例の婚約者に連絡を繋いでもらうと確実だ。

 ——と、俺はそんなことを考えていたのだが、ロフィはそういう性格ではなかった。


 少し距離のある場所に控えている俺には、ロフィが脈絡もなく突然しゃがみ込んだのが見えた。相手の目には消えたかのように映ったことだろう。

 身を起こさず、低い姿勢でロフィはナイフを取り出した。そのまま眼鏡の女の足先に向けてぶん投げる。


『は?』

 思わず声が出る。待て、攻撃的すぎないか?


 ナイフの一閃。だが、刃は足元へ届く直前で止められた。グラフェンが、足を振り上げて蹴り飛ばしたからだ。

 弾かれたナイフは宙を舞い、身を乗り出したノーテの顔面すれすれを通る。柄がぶつかり、細身のサングラスはナイフと共に床に落ちた。

 もしもあと数センチ落下地点がずれており、しかも刃先の方が向いていたなら……そう考えると血の気が引く。死なないにしても、絶対に痛そう。

 

 これにはさすがに眼鏡の女も驚いたようでさっきまでの笑顔を消し、庇いに出てきたノーテの後ろで怯えている。

「な、何なんですか!?」

「いや、それはこっちの台詞なんですけどー」


 ロフィはゆっくり立ち上がり、間延びした調子でそんなことを口にする。俺はこのロフィの主張には同意できなかった。グラフェンも同じだろう。ロフィの方を睨んでいるようだ。


「せっかく替えたばかりなのに……」

「ごめんごめん、怪我した? 痛かった?」

「無傷ですし、痛くもないですよ。たかが末端部位あしですから。ただそれとこれとは別です」

「だよねー、あはは」

 あろうことか笑い声すらたてるロフィ。ところで元々リアクションが薄いにしても、グラフェンが呆れるだけで驚いた素振りを見せないのも怖い。


「ところで」

 ひとしきり笑ってからふと真顔を浮かべ、ノーテと眼鏡の女に向き直るとロフィは訊ねた。


「なんでお偉いご主人様が、わざわざ使用人の盾になろうとしたの? 逆でしょ、普通」


 ロフィの言うとおり。ナイフが見えた瞬間に女は後ろへと引き、代わりにノーテが立ちはだかった。グラフェンが動かなければ、傷を負ったのは間違いなく彼だ。

 正直、ノーテという奴は相手が女性だから、という理由で部下の為に身を犠牲にするような紳士とは思えない。


 ロフィの詰問に、女はまたも目を逸らす。

「私が狙ったの、たかが足だよ? どうしてそんなことでいちいち庇うの? 怯えるの?」

「…………」

「自分で言わないなら私が言っちゃうよ? そこの眼鏡の彼女、外界種だよね。どうしてあなた達、二人でそれを隠してるの? 何か一緒にやってる後ろめたいこと、あるんでしょ」

「……それは」

「ここまできたら私達が何の為にあなた達のところまで来たか、って大方予想ついてるだろうけど。その事が関わってたりして」


 ノーテも女も答えない。

 グラフェンはポケットから紙の束を取り出した。これまでに撮ってきた被害者達の写真だ。広げて見せると、女の表情がみるみる固くなる。

「心当たりがあるか、と訊こうかと思いましたが。質問するまでもなさそうですね」


 グラフェンは写真を手離してばら撒くと、そのまま床に跳ね落ちたナイフを拾ってロフィに投げ返す。

「女の方をお願いします。俺はノーテの方で」

「えー、どっちも私一人で充分じゃない?」

 宣言して煽るくらいには腕に自信があるんだろう。先程のロフィの動きを思えば当然か。


「ねえねえ。あなた達、二人してこんなにもたくさんの人を攫ってさー、何がしたかったの? 元気に話せるうちにそれだけ聞いておきたいな、私」

 ロフィはなんだか物騒な表現で優しく尋ねるも、やはり相手は黙ったままだ。反論もなければ、否定もしない。

「答えてもらえると、嬉しいんだけどなー」

 相変わらず煽りまくるロフィ。いつ動くのか分からず、離れた俺まで緊張する。逃げた方がいいのかな。


 ——しかし、妙だ。

 俺の勘がさっきから、やけに何か違和感を訴えている。そんな気がする。


「ねえねえ、聞いてるの?」

 ロフィの何度目かの問い。相手の無反応に苛立っているのが伝わる。

 でも、そんな中で俺は違和感の正体を掴みたくて仕方がなかった。

 こんな、冗談と本気のラインがよく分からない奴らの喧嘩なんて、巻き込まれる前に身を隠したい。それなのに、何かが気になる。好奇心による疑問ではなく、本能が危険信号を捉えているかのような、そんな感覚。


 何か変だ。何か……見落としている?

 いや、違う。見ていないんじゃなくて、その違和感を確実に目にしている。今もそう。そのはず。

 俺はしっかりと目を凝らして、眼鏡の女とノーテを見た。違和感を持ったのはつい先程。具体的には、ロフィが攻撃を仕掛けてから……?


『あ、分かった!』

 気付いた。そうだ。

 ノーテの奴、さっきからずっと。それだけじゃなくて、きっと最初に訪れた時から、一度も。

 瞬きを、してない!


 えっそういうもの? Z型の体質? 違うよな、グラフェンも瞬きはしてる。

 ということはつまり、なぜかノーテは瞬きできる状態にない。身体の自由がきかない、ってあれだよ。言葉を発せない使用人達と似たような状況。

 ってことは、まさかだけど。


 これ、ノーテと眼鏡の女って、共犯じゃないのでは……?


 思えば、たまたま今までの被害者が女性だっただけで、男性を洗脳できないっていう事実があるわけじゃない、よな?

 もし俺の予想どおりなら。


「グラフェン! にげろ!」


 叫ぶが、間に合わなかった。

「——!?」

 グラフェンは背中から地面に倒れ込む。手脚をばたつかせるも、起き上がることはない。

「な、えっ? なになに!?」


 一瞬気を抜いたロフィに、ノーテが襲いかかる。

 懐から銃を取り出し、引鉄に指を掛けたところで、反射的にロフィはその頭にナイフを振り下ろした。


 ノーテの眉間に、深々とナイフが刺さる。

 しかし——彼は倒れるどころか、何事もなかったかのようにそれを頭から引き抜く。


「えっ、何ほんと!? 気持ち悪っ!」

 メルクの頭が吹っ飛んだときは平気でも、これは気持ち悪いんだな。ちょっとその感覚はよく分からない。


 理解が追いついていない敵に、ノーテはさっきまで自分に刺さっていたナイフを向ける。躊躇なく心臓を狙って振りかぶった。

 動揺で反応がやや遅れたとはいえ、ロフィはその切先が胸に届く前に腕を突き出してナイフを止める。

「ロフィ!」


 手のひらを貫くナイフ。それをものともせずに、振り切るような仕草でロフィは手を動かす。

 右手の半分、指先側がぼとりと落ちた。


「わ」

 結構痛そうなのに、全然焦る様子のないロフィ。見ていると、間もなく彼女の手は元通りになった。

 メルクの時とは違う。彼女の指は依然として床に転がったまま。

 それとは別に、斬られた断面から、まるで植物のように手のひらの半分と指が生えてきたのだ。


 ほう、T型ってそんな感じなんだな。

 ——なんて、他人事のように傍観していたのが良くなかった。


 ロフィに気を取られていた間にノーテは銃口を構え、引鉄に力を込めていた。標的はロフィじゃない。非戦闘員の傍観者。

 そう。俺。

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