考察
最初の被害者の家に着いた時にはまだ青空に輝いていた太陽は、今やすっかり橙色に変わって真横から車の中を染めている。俺も、俺を囲んでじっと見つめる三人も、皆一様に夕焼け色だ。いたたまれない視線から目を逸らそうにも眩しくて、見つめ返すしかない。
「それで、言い訳を聞きましょうか」
普段以上に顔をしかめたグラフェンに詰め寄られる。
言いたいことはわかる。申し訳ないとは思っているんだ。
「どうして逃げたんです、いきなり」
「う」
言いづらいな……本当に言いづらいんだが、でも言うかあ。
「におい、むり」
臭かったんだよ、尋常じゃないくらいに。
「は?」
「ごめん、におい、むり」
体臭ではなく、香水なんだと思う。グラフェンも付けてるし、たぶんこれZ型界のマナーなんだろう。ロベリーも結構しんどかった。
しかしさっきの彼女、フィディはマジで無理。女性だし、そもそも他人の趣味にどうこう口出しする気はないんだけど、息ができないのは勘弁してほしい。
そんなこんなで、俺はすごすごとメルクの待つこの車へと逃げ込んだわけだ。こればっかりは許してくれ。
訴えが通じたのか、それとも同情か納得か。グラフェンはそれ以上の追及はしない。
くすくす、と笑い声が聞こえたので横を向くとロフィが慌てて口を塞いだ。
「ごめんごめん、ネモもやっぱりそう思ったんだ」
「私はこの数日で慣れたけどさ、わりと強烈だよね」
「けっこう」
「仕方ないでしょう。体質と文化の違いですよ」
そう一言断りつつも、いつもと比べてなんだか素直。様子からグラフェンも香水の強さについて自覚があるらしい。
「さっきの彼女が使っていた義体、
あ、やっぱり自覚あるんだ。
「ロベリーも香水は匂いの強いものを使用していたでしょう。覚えているか分かりませんが」
「おぼえてる」
さっきのフィディほどではなかったけれど、ロベリーも相当だった。妙に距離感も近かったし。
一方でグラフェンは初対面こそ気になったが、今となっては慣れたというか、慣れられる程度というか。メンテナンスの時に聞こえたけど、義体には種類があるようだし。素材が違うのかもな。
「グラフェン、バイオパーツ、ちがう、なのか」
「俺が使っているのは
ふむ。つまり義体を使い捨てにできるような金持ち連中には
あと他にも義体屋でなんか言ってたような。えーと、確か、そうだ。
「ハイブリッド。いってた、ロベリー」
「ああ。
へぇ、色々あるんだな。金銭面、身体面、広い意味での環境面。バランスを考えるのも一苦労だ。
コーデンスは大抵のZ型は義体を使ってると言ってたが、生身の本体があるのなら俺はそれで過ごすかもしれん。大変なので。
「ちょっといいかなぁ」
珍しく饒舌なグラフェンの話を黙って聞いていたメルクが、突如手を挙げる。
「僕だけそのフィディさんって女性に会ってないんでね、そろそろ情報共有してくれたら嬉しいかも」
「あっ、ごめんねメルク! 待っててね、ついさっき撮った写真あるから」
ロフィはそう言って、小さな鞄から取り出した写真をメルクに渡す。撮ったその場で写真にできるタイプのカメラを使ってるらしい。仕事用か私物かは分からないけど、こういうのはどこの世界の女子も好きなんだな。
写真を受け取ったメルクはその顔を見てからちらっとグラフェンを見た。
分かるぞ、言いたいことは。すぐに屋敷を出てしまったが、俺もたぶん初見で同じことを思った。
再び写真に目を落として、彼はやんわりと口にする。
「なんかこう、幼いというか。可愛らしい感じというか」
そう。子供っぽいというか。年若いというか。グラフェンよりはさすがに上に見えるのだが、俺の感覚では中学生か高校生くらい。まだ少女のような印象だ。
そんな外見なのに服は大人と同じで、なんだか母親の衣装を借りているかのよう。化粧も容姿に対してかなり落ち着いた印象で、それだけでなく、膝の上に重ねた白い指には似つかわしくないほどにくすんだ色のマニキュアが光っている。絶妙にアンバランス。
——あれ?
今、フィディの姿を見て。俺の頭にとある考えが浮かんだ。
「ロフィ、しゃしん、みたい。ぜんぶ」
「写真って、被害者達の?」
「うん」
気になったのは些細な点。小さな疑問。
確かめると、やっぱりだ。改めて被害者の姿を並べて見ると、俺のふとした思いつきは確信へと変わった。
「どうしたの、ネモ」
「けっしょく、いい。みんな」
「ん?」
「みつけた、きょうつうてん」
俺は写真をグラフェンに向けて見せる。判断できるのは彼しかない。
「バイオパーツ、つかってる。みんな、たぶん」
初めて写真を見せられた時、彼女らは今までに会ったZ型と雰囲気が違うと感じた。その時はそういうものかと思ったが、グラフェンの解説を聞いて分かった。
もし俺の予想が正しいのならきっと、彼女らはグラフェンやシヴと義体の種類というか、材質が違うのだ。
グラフェンは一枚ずつ写真を見ていき、最後に頷いた。
「言われてみればそうですね。被害者達は全員金持ちですから、と思えば当たり前のような気もしますが。確かに皆
やっぱりそうか。
それが分かったところで、という感じもあるが、少なくともこれで前には進める。
ロフィが嬉しそうに俺の頭をわしゃわしゃと撫でた。
「ネモ、お手柄! 偶然そうなのかもしれないけど、やっと新しく被害者の共通点が見つかったねー!」
事件の被害者の共通点。それは女で、Z型。そして
メルクはこれまでの話を聞き、助手席へ向けて言った。
「君の馴染みの義体屋にでも通信繋いでみるかい、グラフェン。ほら、この間ネモを連れて行った店のさ」
「ええ。この付近の屋敷の住人なら、被害者達がロベリーの顧客の可能性だってある。リアヴァッドに繋がる新しい情報が得られるかもしれません」
言うが早いかメルクは通信機を起動、そこにグラフェンが連絡先を入力してゆく。コール音が鳴ると間もなく、画面の向こうに手を振るロベリーの姿が見えた。
[はぁい、ご機嫌よう]
まだ会うのは二回目だけど、今日も今日とて賑やかな格好だ。リボンとフリル。俺には前回と色が違うことくらいしか分からない。
隣のロフィは興味津々で画面を覗き込む。
「へえ、義体屋さんって女の子だったの。なんか可愛いっていうか、美人っていうか。おしゃれだね。初めましてー」
どうやらロフィとロベリーは初対面らしい。唐突な褒め台詞に驚いたのか、ロベリーは一瞬ぱちぱちと目を瞬かせ、そしてまたいつもの笑顔に戻った。
どうもぉ、とささやかに会釈してすぐにグラフェンに向き直る。
[こないだ来てくれたばっかだけど、何か不具合でもあったかなぁ]
「いえ、脚は問題ないです。全くの別件で、尋ねたいことがありまして」
[ふぅん? 聞くだけ聞いたげよっかなぁ、今暇してるし。
「では……」
グラフェンはロベリーに、六番街で起きている誘拐事件について調査していることを伝えた。もちろんアサヒの名は明かさず、捜査の進捗も伏せてある。
ロベリーは説明を聞き終えると、顔色一つ変えずいつものように気怠げに微笑んだ。
[私もなんか聞いたことある、それ。でも珍しくもなんともないって思っちゃったなぁ。ここら辺、誰かが消えるなんてよくあることだし]
そしてあはは、と無邪気に笑う。全然笑い事じゃないとは思うんだが、他人の感性ってやつはマジで分からない。ロベリーの感覚がズレてるのか、この街における俺の常識がズレてるのか。
[探してる人、リアヴァッドだっけぇ? 聞いたことない名前のような気がするから、私のお客さんじゃないかも、たぶん]
期待していなかった、と言ったら嘘だ。だけどまあ、そんな気はしていた。
[で、あと私と他の被害者達の面識を知りたいのかなぁ? お客さんの顔覚えるのは得意じゃないけど、印象的な子とかお得意さんなら顔みたら分かると思うけど]
「そうですね。もし
[はぁい。お役に立てるか分かんないけど、写真転送して]
グラフェンが通信機に写真を読み込ませ始めたので、この機械にはテレビ電話だけでなくスキャナー的な機能もあるらしい、と俺はまた一つ賢くなった。画像添付するとなると、メールも使えるのかな。パソコンに近いものなのかもしれない。
[大丈夫でぇす。確認してみるね]
あ、そうだ。
「まって」
画像を受け取るやいなやロベリーが退席しようとするのを、俺は慌てて止めた。
「はなす、コーデンス」
ロベリーが調べている間に、どうせなら聞いておきたいことがある。
俺が呼びかけた声に応えて物音が聞こえた。画面に白髪の老人が映る。
[よう、若造。あれからどうだ? 超能力は使えるようになったか]
「だめ、しんちょく」
俺がそう答えると、コーデンスはわはははは、と大声で笑う。通信機の音割れが耳に痛い。
[ははは、聞いてはみたがそんな気がしてた]
「おで、いつ、つかう、できる」
[知らねェよ]
だろうな。
ロフィに急かされたこともあり、何か手助けとなるようなことができたらと思ったのだが。さすがにそう簡単にはいかないか。
[よく言われるのははあれだ、生命の危険だとかそういう状況で発現する奴が多いらしいぞ]
「コーデンス、そうだった、なのか」
[おう。もうずっと昔……
コーデンスは少しだけ言葉を詰まらせたようだったが、深くは聞けなかった。
この世界の人々にとっては短命な種族でも、俺にとっては人生の先輩だ。これまでに紆余曲折あったのだろう。
[ま、俺の話なんざどうでもいいだろう。いきなり呼んで、俺に何を話したいんだ?]
「しゅるい、ききたい」
[種類だァ?]
「ちょうのうりょく、できる、いろいろ。なに、できる、なのか。しりたい」
これまでにいくつか知ったものはある。
コーデンスから直接見せてもらった
幼少期にはよく超能力スペシャルみたいな特番をテレビで見ていたから、聞いたことがあるものも多い。ただしその手のジャンルに詳しいわけではないので、なんとなく分かる程度だが。
「アポート、サイコメトリー、プレコグニション、テレパシー、テレポーテーション。しってる。ほか、なに」
[ほう、結構知ってるな。その他か。俺もなんでも知ってるわけじゃねェが、
「うん」
[あとはそうだ、一番よく見るのは
今挙がったものはだいたい聞いたことがあるので想像がつく。
「むずかしい、なのか。サイコキネシス、つかう」
[いや、使いこなす難易度が高いって意味じゃねェ。使い途があるかどうか、そこが運命の分かれ目だ]
と、いうと?
[あれだ、ほら。たとえば俺の
俺が怪訝な顔をしていると、コーデンスは補足をしてくれる。面倒見がいい。
[一方で、
ほう? 分かるような、分からないような。首を傾げる俺に、コーデンスはもどかしい様子で唸る。
[あー、つまりだな……そうだ。おまえさん、ボウリングって分かるか?]
ボウリング、って。あのボウリングだろうか。ピンを並べて球を投げて、倒れた本数で競うアレ。
意図が分からないまま、とりあえず球を構えて投げるパントマイムを披露してみる。すると、画面越しにコーデンスが拍手で応えた。
[それだそれだ! 昔、やたらとそれが得意な奴がいたんだ。だけど俺にゃどう見てもそうは見えなかった。球は遅ェし角度も半端でよ。しかしあんまりに上手くやるもんだから俺も気になって、酒の席でコツを聞いてみたわけだ]
「うん」
[そいつは
……いや、その。マニアックすぎないか?
[言いてェことは分かるぜ。日常での用途が皆無だからな、せめて『球』の方なら護身用にでもなったろうに。そいつァ結局イカサマがバレて賭けの相手から袋叩きにあった]
それは自業自得だな、ご愁傷様。しかしなんとも、なんかこう。限定的というにも程がある。
「サイコキネシス、たいしょう。きまる、どうやって」
[俺は当事者じゃねェから聞いた話だが、
そう言うとコーデンスは一度言葉を切り、画面の目の前で空を掴む。再度開かれた手には一枚のハンカチが握られていた。
[こいつは『ハンカチ』であり、『布』であり、『綿』だ。もし誰かが
あー、そういうこと。なるほど理解した。
今挙げられた例で考えると、『ハンカチ』と『布』なら圧倒的に後者の方が対象範囲が広くて有用だ。『綿』はその流通量によるな。どうでもいいけどこの世界には綿花があるんだな。
と、俺は脱線しかけた思考を振り払ってコーデンスに向け頷く。
「ボウリング、ピン。ほか、うごかす、できない、なのか。にている、なにか」
[似てる物なんかあるか?]
えーとそうだな、ボウリングで並べられそうな形の細長い物だろ?
「ビールびん、こけし」
[瓶は分かるが、もう一つのは何だそりゃ? よくは知らねェが、使い手が互換性のある同一存在と認識したらいけるだろうな。つまり肝心なのは、魂がそいつをどう捉えるか、ってことだ]
うん。じゃ、無理だな。少なくとも俺の認識では厳しめ。でも幼い頃から瓶でボウリングして遊んでた奴とかならいけるかもしれないってことだな。
「ありがとう、わかった」
コーデンスから聞ける話はこれくらいだろうか。正直に言ってしまうと、どれもぴんとはこなかった。そんな俺の心中を見透かしたように老人は笑う。
[ま、そのうちだ。また話したけりゃ…]
そこで言葉を止めて振り返ると、部屋の奥、コーデンスの後ろにロベリーが立っていた。いつの間に戻ってきたのだろう。話に夢中で気が付かなかった。
[お待たせしましたぁ]
仕事が早い。そう感心しているとロベリーはコーデンスと席を代わり、手にした顧客リストらしきファイルを見ながら話し始めた。俺もすぐに画面の前から退く。
[結果なんだけどね、もらった写真の中に私の店のお客さんもいたよ]
「それ、本当ですか」
身を乗り出すようにして、グラフェンは画面に映るロベリーを凝視する。ロベリーはその視線に一瞬だけ真顔になった後、いつものように笑みを見せた。
[私嘘つかないよぉ。あ、でも二人だけね。ニースとアムレア。全員がお客さんてわけじゃあないし、私はこの件に関しては全然心当たりがないから]
ぱたぱたと大げさに手を振ってロベリーは取り繕うが、無論疑ってはない。グラフェンも同様だ。
「そちらの顧客に関してだけでいいので、覚えていることは? 厄介事に巻き込まれていたとか」
[思い出そうとしてはみたんだけど、特にこれってのはないかなぁ]
「そうですか……まあ、そうですよね」
グラフェンだけでなく、横で聞いていたロフィやメルクも露骨にがっかりしている。
だよなあ。共通点から何か見えてくるかとは思ったが、やはりグラフェンの言っていたとおり金持ちゆえの嗜好が重なっただけの偶然なのかもしれない。結局は振り出しか。
そんな俺らの様子を見かねたのか、ロベリーは頬杖をついてやれやれ、といった表情を浮かべた。
[けどさぁ。もしかしたら他の店のお客さんも改めて調べていけば分かることありそう、とかっていうなら、近隣の同業者は辿れるかもよ? 接合痕ってね、結構販売店ごとの癖が出るの。
「えっえっ、助かるかも! 何か分かるかもしれないし、お願いしてもいいのなら!」
いきなり割り込んできたロフィに気圧されながらもロベリーは微笑みを返す。任せろ、と言わんばかりに手を振って、その手のひらを上に向けた。
[毎度ありがとうございますぅ。情報料の振り込み、よろしくねぇ]
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