調理

 手際よく作業を始める店主の姿を眺める。概ねは普通の女性なんだ。だが、腕が四本あるんだよ。


 体型に対して妥当な、しなやかな腕が二本。その付け根、肩からは覆い重なるように太くごつい腕がもう二本。合計二対の四本。

 他人のことはほっとけ、とちょっと前にグラフェンに言われたばかりではあるのだが、こればかりは気になる。訊いたらまずいのかな。聞きてえ。


 悩んでいると、俺に代わってロフィが明るく声をかけた。

「あの、店主さーん! それ、すごくかっこいい腕ですね。大きい方は義体ですか?」

「そう。褒めてくれてありがとね、姉さん。結構便利で気に入ってるのよ、この腕。鍋が重い時はやっぱりこういうがっしりとしたのがあるに越したことないでしょ」

「ですねー! 下側の腕は自前?」

「こっちももちろん義体。サイズ感は自分の腕に寄せてあるけどね。盛り付けやら何やらは指が細い方が楽だからさ、使い分けてるの」

「すごーい!」


 二人の会話でなんとなく理解。ロフィの言う『義体』ってのはあれか、義肢のことなんだろうな。店主の腕は大きな方はもちろん、小さな方も義手というわけだ。そのわりにはどちらも動きがスムーズなような気もするが、そのへんはこの世界の技術力か。

 しかし、無理やり義手を装着してるように見えるけど、そもそもはたして四本腕って便利なんだろうか。俺には分からん。


 なんてことをつらつらと考えていたら料理が運ばれてきた。

 グラフェンの前に置かれた品は、形状としてはホットサンドに似ている。ただしパンの部分は妙にどす黒い。フレンチトーストのようにこう、味のついた液体に漬け込んでいるようだ。半分に切られた断面から見える中身の素材はよく分からないが、これもやはりどす黒く、その周りに赤白黄と鮮やかな粉がこれでもかとまぶされている。


 一方、俺の手元の小さなバスケットには、ナゲット風の何かが幾つか積まれていた。ナゲット、と言い切れないところをご理解いただきたい。食物だと知っているからこう思えるいるんだが、突然目の前に予備知識なくこれを置かれたら困る。

 何だろうなこれ……炭のような質感なのにちょっとぷるぷるしていて、添えられたソースは乾いた絵の具のようにほぼ固形。


 正直、本能が言っている。これはきっとヤバい。けれども期待に満ちた周りの目が、ここで逃げるのを許さない。

 店主はクールながらも期待に満ちた様子で俺の感想を待っている。ロフィもにこにこだ。なんならグラフェンすら俺を見守ってる気がする。そんな中で、料理から頑なに視線を逸らすメルクの態度が不穏で仕方がない。


 俺は心を決めた。

 ナイフとフォークでナゲット仮の端をちょっとばかし切り取る。スーパーの試食コーナーで出てくるくらいの量だ。これなら食べ慣れない味付けでもいけるのではないか。


 いざ!

 俺はフォークを口に運ぶ。ナゲット仮を舌にのせ、そして——そのまま床に勢いよく吐き出した。


『うぇ……っ、何だよ、これ!?』


 水、水はないか! 必死に助けを求めると、メルクが俺の荷物からペットボトルを投げて寄越す。ありがてえ!

 水を口に含み、そのまま地面に吐く。マナーが悪くてすまないが、緊急事態なので勘弁してほしい!


 何度かその行動を繰り返してペットボトルが空になった頃、俺の口内はやっと落ち着きを取り戻した。

 俺は俺自身の危険察知能力の高さに感謝する。一つ丸ごといってたら死んでいたかもしれない。ショックで。


「う、ごめん。おで、これ、だめ」

 頭を下げて、バスケットをグラフェンの方なそっと寄せる。残ったナゲット仮、結果的に口付けてないから代わりに食ってくれ。俺はもう無理だ。

「あじ、こい。おで、たべる、できない」

 濃いというか、これはもはや暴力。料理が下手だとかそういうレベルではない。砂糖と塩を間違えるなんてそんな可愛いもんじゃない。


「やっぱり、ネモもそうかぁ」

 メルクが苦笑いでこちらを見る。その表情は、まさか。

「メルク、これ、たべた、なのか」

「うん。前に来た時にグラフェンに誘われて食べたんだけどね……僕もダメだった」

「Sがた、たべない、きいた」

「食べなくていいだけで、食べられないわけじゃないんだよ僕ら。グラフェンがすごく美味しいって言うからさぁ、挑戦してみたんだ。後悔したよね、すぐに」

 それを聞いて全てが繋がった気がする。店主を前にメルクが縮こまっているのはそういうわけか。当時の彼もたぶん、俺と同じことをしたんだろう。


「それにしてもさ。ネモっていきなりここで暮らせとか言われても冷静だし度胸あるなーって思ってたけど、こんなに取り乱すんだね」

 ロフィは頬杖をついて興味深そうに俺を見つめる。他人事のように言うが、元はといえばあんたがグラフェンと俺の味覚が似てるかもとか言い出したのが元凶なんだからな?


 俺は悲しい気持ちでフォークを眺めるしかできない。食える物は見つからないし、飲む物すらも失ってしまった。

 溜息をつく。しんどいな。

 うなだれていると、店主がカウンターから出てきて俺の隣に立った。すみません、料理無駄にして。俺の謝罪の気持ちが伝わったのか、彼女はじっと俺を見る。

「ねえ、兄さん。答えたくなきゃ無視して良いけど、あんたもしかして外界種?」

「え、あ。おで……」


 答えていいものなのか分からずに言いよどむ。外界種、珍しいって言ってたし。この世界における立場がどんなものなのか不明な以上は言うべきではないのでは。

「聞こえなかった? もう一度訊くけど、兄さんさ。あんた外界種?」

「う……」

 どうしようかと考えていると、店主は一枚のメニュー表を俺の前に差し出した。グラフェンが最初に見ていたしっかりしたものとは違う。

 俺に渡されたのは、手書きで記された簡単なものだ。それを見て目を疑う。見知らぬ文字が並ぶ横に、走り書きでが書かれている。


「これ、もじ、にほんご、なのか」

「なんだ、やっぱりあんた外界種なのね。最初から言いなさいよ。言葉は練習中みたいだけど、それだけ喋れるなら充分。注文どうするの? 食べないの?」

「たべる」

 急かされつつ、メニューの中の日本語を指差す。『ベーコンエッグトースト』ってカタカナで書いてあるんだが、本当にこれ出てくるのか?


 注文を確認した店主は頷くとカウンターに戻った。疑いながらも様子を見る。きちんと、干し肉と卵を用意していた。

「なんで、にほんご」

「最近ウチにバイト入ったのよね、外界種のさ。さっきのはその子考案のメニュー。もしその文字読めるやつが来たら振る舞ってやってくれ、ってレシピまで書いてんの。真面目でしょ?」


 そうして待つことしばし。

 出てきたそれは、確かにベーコンスライスにスクランブルエッグだった。何の肉で何の卵かは分からないけども、見た目は完全にそう。こんがりと焼き目のついたパンも添えてある。先刻の件があるにも関わらず一切の不安がない。それほどまでに見慣れた朝食が再現されていた。

『いただきます』

 震える手でフォークを運ぶ。


 あぁ、泣くかと思った。いや泣かないけどな。でもそのくらいの感動はある。

 俺は別に特定の信仰はしていない人間なんだが、この時ばかりは神仏に祈りを捧げたい気分だった。ありがとう、バイトの人。


「うんうん……! 良かったね、ネモ!」

 俺の代わりにロフィがなぜだかちょっと涙ぐんでいた。長い戦いだった。グラフェンは呆れた顔で俺が押し付けたナゲット仮をもぐもぐしている。


 店主は俺の様子を見届けてから、ベーコン一切れにスクランブルエッグを添えてメルクの前に差し出した。

「ほら、兄さん。あんたもどうぞ。特別にサービスしてあげる」

「えっ……いや、その。僕は遠慮しときたいかなー、とか言って……」

「不味かったら残していい」

 店主は鋭い目でメルクに圧をかけた。メルクも対抗しようと毅然とした態度を取ろうとはするが、目力では敵わない。

 その気持ちは分かる。数分前の俺がそうだった。ついフォーク手にしちゃうよな。

 メルクはついさっきの俺の動きを真似るように、卵の欠片をそっと口に放り込む。


「あ……れ? 嘘、美味しいんだけど何で?」

「バイトが入ってから知ったんだけどね、外界種とS型って味覚近いんだってさ。この辺にはS型って数人しか住んでないし、S型向けの飲食店はほぼない。食に興味ある人はみんなウチの常連になってんの」

 店主は口角を上げてにやりと笑う。

「これでウチの店の料理食べて後悔した、って言ったの取り消しな」

「うわ、聞こえてた」

 メルクは一瞬ばつが悪そうな顔を浮かべ、すぐに平謝りした。店主の笑みがいっそう増す。


『ごちそうさま』

 俺はそんなやり取りを眺めながら料理を完食。美味しかったです。人生で一番美味いベーコンエッグだった。


 普段食べないらしいってことでレストラン探しの難易度は高いのかもしれないけど、S型向けの食事ならいけると分かったことも、かなりの大きな成果といえる。

 この店に来て良かったよ、犬もいるし。

 俺はいつの間にか店主の足元で寝そべっている二匹を見て和んだ。撫でたいが我慢だ。


「いぬ、なまえ、しりたい」

 せっかくなので訊ねると、店主は不思議な表情を浮かべる。周りの三人も似たような顔をしていた。あれ?

(おで、おかしい、いった、なのか)


 こっそりとロフィに訊ねると、ロフィもそもそも戸惑っているようだった。おかしい事なんて言っていないと思うんだが。

「なんで、犬に名前……?」

 ……言っていたらしいな。ロフィの呟きにグラフェンやメルクも同調を示している。店主もだろうな、と見ると、彼女だけは別のことに驚いているようだった。


「驚いた。外界種って、本当に犬に名前付けんのね。バイトが言い出した時には冗談だって思ってたけど、今度あの子に謝らなきゃ」

 俺の方が衝撃だ。ただ冷静に考えてみれば、もしこの犬が俺の知る犬程度の寿命だとしたら、長生きなこいつらにとっては名を付けるほどの時間を共に過ごす存在ではないのかもしれない。

 俺は幼い頃に取った蛍を思い出していた。あの日の俺は、名前を付けることはしなかった。


「いぬ、なまえ、ない、なのか」

「あるわよ、バイトが付けたから」

 店主はそう言って犬をそれぞれ指差す。

「いかつい方が『ブルー』で、ほっそりしてる方が『シアン』っていうの。毛並みが青いのが由来だってさ。青のこと、外界種の一部が使う言葉でそういうんでしょ?」

 確かにそう言われれば、独特な毛の色は青っぽい。けど、たぶんその由来はそこじゃない。ブルドッグが『ブルー』で、ダルメシアンが『シアン』……適当すぎないか?


 と、そこで俺はふと思った。そのバイトとやらは確実に日本語話者だ。ならそいつに通訳を頼めば万事解決するのでは。

「おで、あいたい、ばいと、がいかいしゅ」

「ん? ウチのバイトに会いたい、って言ってんのあんた?」

 頷く。これですべてが上手くいく。色々聞けるし相談できるし、あとたぶんそいつがいれば食に困らない。助かる。


 ただ、俺の期待に反して店主は眉間に皺を寄せる。

「ごめんね兄さん。間の悪いことに、今日はバイトもう上がっちゃったんだよね。それに明日からはしばらく連休でさ」

「れんらく、できない、なのか」

「連絡先知らないのよ。というかもしかしたら、あの子通信機持ってないかもしれない。だって外界種の言葉しか話せないんだもの」


 日本語しか話せないってことか? いや待てよ、そんなはずはない。もしそうなら、犬に名前を付けた際の由来なんて伝えられるわけない。

「ことば、しらない。どうして、できる、はなし」

「ウチのバイト、精神感応テレパシー使えるから。触れてたら意思疎通きくのよ。逆に言えばそうしないと何言ってるのかさっぱり」

 超能力がどうこう、ってシヴの言ってたやつか。なおのことそんなんそいつに会いたいんだが。


「いつ、くる、しごと」

「半月後くらい? 明日からしばらく同居人と旅行いくんだってさ」

 うーん半月か。それなら通信機直してシヴに連絡取った方が早いか? 三人の方を見ると、彼らも同じようなことを思ってそうな様子。だよなあ。


「兄さん、そんなに外界種に会いたいの?」

「あいたい」

「それならウチのバイト以外に一人、知り合いいるけど」

 身を乗り出したい気持ちを抑える。それならそっちでもいい。悩みを分かち合えるなら誰でもいい。

「待ってて、地図持ってくる」


 カウンターに消えた店主はすぐに地図を手に戻ってきた。ロフィが見せてくれた広域版とは違う、六番街の細かな地名が記されたものだ。店主は市街地の一画を示す。

「この辺りにある義体屋に外界種の男がいるから訪ねてみたらいいんじゃない? 店の名前は確か……」

 思い出せずに詰まる店主に、地図を見ていたグラフェンが顔を上げて声をかける。

「待ってください。俺知ってますよ、その店。そういえば用心棒が外界種でしたね。すっかり忘れてました」

「えーグラフェン、外界種の知り合いがいるならなんで教えてくれないの? ネモの生活のことで頼りになりそうじゃん」

「だから、忘れてたんです」


 非難するロフィにグラフェンは開き直る。そのまま俺の方をちらりと見た。表情に変化はないけど、申し訳ないとか思ってるのかな。

「言っておきますが、アンタの世界の言語で会話が成立するかは怪しいです。外界種といえども俺の知る相手は原種オリジンではないので。ただ、行って損はないでしょう。どうせ通信機の修理工を探すところでしたし、市街地には向かう必要があるんですから」

 グラフェンは自身の失態を誤魔化すように早口で捲し立てる。メルクとロフィを確認すると、どちらも彼の提案に同意を示していた。なら、目的地は決まりだ。


 ある程度の日持ちする食料と水を店主から買い取ると、俺らは再び車に乗り込んだ。軋む車体が市街地を目指してエンジン音を響かせる。

 気が付けば日は沈み、景色はすでに闇の中。多くの疑問を残しながらも、ひとまずゆっくりと俺の新生活初日が終わっていく。

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