解答

 俺のことを報告する、と宣言したメルクは、先ほど起動した機械に何かを入力した。液晶に直接触れて入力している。ほう。

 何を打ち込んでいるのかは分からない。おそらく電話番号かメールアドレスか、そんな感じの何かだろう。


 しばらくして画面にノイズがはしると共に、妙に音割れした声が機械から返ってきた。


[やあ、メルク。グラフェンとロフィも一緒かな]

「どうも、アサヒさん。今いい?」

[はは、もちろん]


 どうやら、この声の主がアサヒという人らしい。画面は砂嵐、声は雑音だらけで年齢どころか性別すらもよく分からない。

 ただ、車内の三人と同様にアサヒの言葉もきちんと理解できる。安心した。


「さっき、グラフェンとロフィが頼まれていた霧の調査を終えたところで」

[おや、すまないね。何か進展はあったかな]

「僕は同行してないから、詳しくは二人に」

 メルクがそう振ると、グラフェンは何も言わずにロフィを見た。そっちが話せ、とその瞳が語る。ロフィは後部座席から身を乗り出すようにして、画面に声をかけた。


「あ、もしもしアサヒさーん! おはようございます」

[おはよう、ロフィ]

「アサヒさんの言うとおり、私とグラフェンで変な霧の廃墟を調べたんですけど。特に変な物は見つからなくて」

[そうか]

「でもでも、代わりに変な人を見つけたんですー。たぶん外界種で、変な言葉を話すっていうか、何言ってるかよく分かんないっていうか。とりあえず、名前はネモっていうのは聞き出せたんですけど」


 外界種、ってそれさっきも言われたな。


 正確な意味合いは分からないけど、その言葉が出ると画面の向こうのアサヒは一瞬言葉に詰まった。


[外界種のネモ……今、近くにいるのか]

「一緒にいますよー。不思議なんだけど、向こうの言葉は何言ってるかこっち全然分かんないくせに、向こうは私達の言うこと分かるっぽくて」


 ロフィは俺の方を見て場所を譲り、画面の前に行け、と言うように指で示した。特に断る理由もないので従う。

 さて、問題はここからだ。


『すみません、アサヒさん? 聞こえていますか。ていうか、俺の言ってること、そもそも分かりますか』


 日本語で聞いてみる。

 頼む。朝日さんだか旭さんだかはよく分からんが、日本人か、せめて片言でもいい。ともかく日本語の分かる人であってくれ。

 通じろ、俺の祈り。


[『やあ、ネモ。聞こえているよ。キミが話す言葉も分かる』]


 通じた。ありがとう。この謎の世界には神とかそういうものがいるのだろうか。いるなら信じてやってもいい。ありがとう。


『日本語、分かるんですか』

[『なぜだか少しね』]

『すごく助かります。あの、俺この状況をさっぱり理解していなくてですね。ここはどこでこの人達は誰で、俺はどうしてこうなってるんでしょうか』

[『さあ』]


 いや、その返事はないだろうよ。


『あの……えーっと、状況がよく分からないながら、あんたが俺を探していた、みたいな。そんな感じだと思ってたんですが。違うんですかね?』

[『私がキミを、か。そうなのかな。どう思う? 私はキミを探しそうなのかね?』]


 何を言っているんだろうか、この人は。頭が痛くなるんだが。


『すみません。俺、あんたが言ってることが理解できないんすけど』

[『はは、すまないネモ。実を言うと、私もどうしてキミを探していたのかはよく分からない。そもそもキミを探していたのかも分からないんだし』]

『ほんとあの、ちょっと真面目に話聞いてもらっていいですか。他の人ら、話聞くことすらできないんで、あんただけが頼りなんですけど』

[『困るよ』]


 困るなよ、頼むから。


『あんたが俺を探して、この人達を派遣した。そういうことじゃないんですか?』

[『そういうことじゃないね。私は、通常十一番街にしか現れない霧が別の地区に現れた、と聞いて。それが妙に気にかかってね。もしかしたら私の記憶を取り戻す手掛かりになるのでは、と部下を派遣しただけだよ』]

『記憶……?』

[『そう。私、記憶喪失なんだ。キミは私について、何か知っているかね?』]

 

 えー、っと……つまり。

 このアサヒという人は記憶がなく、ただなんとなくの直感で俺のいた場所の捜査を命じた、と。それで俺がむしろこの人について詳しいとすら思っていた、と。そういう。


『なんだよこの展開は。冗談かよ』

[『はは、だったら良かったのにね。力になれずすまない。だが、キミも私の力にはならなかったからお互い様だな』]


 画面越しに割れた笑い声が響く。俺はいよいよ頭が痛くなってきた。

 周りを見ると、俺達の会話についていけてないギャラリー達が怪訝な目を向けている。だろうな。俺は頭を抱え、一方で機械の向こうからは高笑いがやまないんだから。


「こいつ、だめ。おで、できない、わかる、なにも」


 状況の説明をしたいが、俺からは難しい。察してくれ。詳しくはアサヒの口から聞いてほしい。そして、俺の求める答えを持っていそうな奴を教えてくれたらなお良い。


「アサヒさん、ダメって言われてますけどー」

[うん。私、駄目だったよ。彼の知りたい情報のすべてはこちらにはないし、私の知りたい記憶の鍵を彼は持ってはいなかった]

「えっえっ、じゃあ仕事失敗ってこと? 私の報酬は?」

「それは払うから安心して良いよ、ロフィ」

「安心しました。それならいいでーす」

 アサヒの発言を受け、ロフィは満面の笑みを浮かべた。思ったよりもビジネスライクな性格なのかもしれない。


 で、結局。ここまできて俺は何も得ていない。これまでもこれからも何一つ分かってないんだが、俺はどうしろというんだ。


 すると、黙って話を聞いていたグラフェンがぼそっと呟くように聞いた。

「アサヒ、今言いましたよね。彼の知りたい情報のはない、と。つまり部分的には何か知っている。あるいは、説明に足る推測でもあるんでしょう」


 はっとした。確かにそうだ、そう言った。要領を得ない口調に騙されるところだった。向こうに騙す気はないのかもしれないが。


『アサヒさん、すべてじゃなくてもいい。何か知っているんですか』


 俺の方からも改めて問いかける。アサヒはパフォーマンスなのか、唸り悩んでいる。そういうのはいいから。


[そうだね、うん。まず、グラフェンが言うことは正しい。私はネモという個人についてはよく知らないが、外界種と霧の関係についての知識は少しある。グラフェン、キミなら噂くらいは知っているだろう?]


 グラフェンはロフィ、次いでメルクを一瞥してから俺の方を見た。そういえば、俺を最初に外界種とかいう名で呼んだのは彼だったな。

 俺から目を逸らしたグラフェンは、通信機に向き直ると、相変わらず不機嫌そうにぼそぼそと話す。


「ええ、まあ。聞いたことはありますよ、外界種の霧の話なら。ですが、あれは十一番街でしか発生しないものでしょう。他の地区に出るなんてことは聞いたことがない」

[そう、そこが私にも分からないんだよ。八番街での霧なんて聞いたことがない。だから興味が湧いたし、何か惹かれるものがあったんだ。そこで見つかったのだから、もしかしたらネモはどこかしら特別なのかもしれないね]

「特別、ですか」


 胡散臭そうにまた俺を見るグラフェン。気持ちは分かる。俺も、この状況での俺の立場がどういうものなのかよく知らん。特別とか言われても、なあ。


[いいかい、諸君。ネモはキミ達にとって、そして私にとって特別な存在となる……かもしれない。だから彼のことはしばらくの間、くれぐれも丁寧に扱って世話をしてやってくれないか]

 アサヒの言葉に対し、グラフェンはもちろん乗り気ではなさそうだ。メルクとロフィは決めかねているように思える。


「私は別に良いけど、ネモの生活費はどうするの? 彼、お金持ってないよね」

[そのあたりは私が工面するよ。かかった費用についても言ってもらえたら、仕事の経費と一緒に振り込んでおく]

「それなら私は異論なーし。拾っちゃった手前、捨てるのもかわいそうだし」

「僕はどっちでも。けど断る理由はないからみんながそれで良いなら」

 ロフィとメルクが同意したのを見て、残るグラフェンも渋々ながらに首を縦に振った。

[ありがとう諸君。『これからよろしく、ネモ』]

 アサヒは三人に感謝を述べる。俺からもありがとう。ひとまず見知らぬ地での孤独な生活は免れそうだ。


[それでは改めて、ネモが秘めている可能性について考えていこう。先述の霧の話はキミからネモにしてもらえるかな、グラフェン]

「絶対に嫌ですね」

[はは、言うと思ったよ。早々こんな調子で悪いね、ネモ。グラフェンは人見知りだから許してやってくれ]


 アサヒの形容にロフィとメルクは笑いを堪えている。当のグラフェンはそっぽを向いた。なるほど、人見知りなのか。それなら仕方ないな。

 とは、さすがにならない。


『待ってくれ、アサヒさん。あんたが色々と教えてくれたらいいんじゃないのか。伝えられる範囲でいいから』

[『うーん、私、説明するの下手だからなぁ』]

 あ、それはなんとなく分かる。


[『そうだ、私は良いことを思いついたよ。こういう時に頼りになる知人がいるんだ。三人も顔見知りだから、彼に繋いでもらうといい』]

『その人、日本語分かる?』

[『たぶんね。私程度には話せるはずだ。そして私より説明が上手だろう』]


 アサヒは俺にそう告げると、今度は現地語で三人に向けて命じた。

[キミ達、アルシーヴェルクに連絡してやってくれないか。彼ならネモに納得のいく説明をしてくれるだろう]

「あー、シヴさん! そっかそっか、あの人なら物知りだもんね」


 ロフィがはしゃいでいる。他の二人も腑に落ちたような顔をしているので、どうやらその男は信頼のおける人物のようだ。


「良かったね、ネモ。シヴさんはすごく博識でね、四番街の図書館で司書やってるんだよ。私達三人の年齢を合わせたよりも長生きしてるから、色々教えてくれるんじゃないかな」


 三人の年齢の合計、っていうと。ざっと五十代後半から六十いってるかってとこかな。俺の親父が生きてたらだいたいそのくらいか。

 話が早いと助かるんだが、果たしてどうだろう。


 考える俺の前で、気付けばメルクはアサヒとの接続を切って別の連絡先を入力し始めていた。

 数度のコール音の後、アサヒとの通話時は砂嵐だった画面がぼんやりと光る。映し出されたのは本に囲まれた部屋の中だ。


「もしもし、シヴさーん! おはようございます、寝てますかー?」


 率先してロフィが話しかけると、画面の向こうからガタガタと物音がした。音質はクリア。さっきのアサヒの音割れは何だったのか。こっちのスピーカーのせいじゃなさそうだし、向こうが安いマイク使ってんのかな。

 なんてことを思っていると、画面の中央にある椅子に男が腰掛けた。


 皺のない白衣に、野暮ったい眼鏡。髪は癖毛で顔色は悪い。寝起きだとか、そういう感じじゃない。グラフェンもそうだが、この顔色は不健康という域を超えているような気がする。体型も健康とは言えなそうで、柔らかい表現をすればかなりふくよか。

 でもそんなことは置いておく。俺が気になるのはそこじゃない。


[おはよう、ロフィちゃん。ごめんね、寝てた。着替えてたからすぐに出られなくて、それもごめん。どうかしたかい?]


 ロフィは言った。彼の年齢はだいたい俺の親父相当のはず。それなのに。

 画面に映る男はにこにこと笑う。彼の年齢は、どう見ても四十を超えているようには思えない。


「あのねシヴさん、お忙しいところ悪いんだけど。外界種のさ、しかも原種オリジンの言葉とかって分かったりするー?」

[ん? 外界種の言葉だって?]

「そうそう、こちらネモ! 私達の言葉は分かるっぽいんだけど、私達が彼の言葉分かんなくて。聞きたいことがあるみたいだから、シヴさん言葉分かるなら代わりにお願いしまーす」


 アサヒに続いて二回目の紹介だからか、さっきよりも丸投げ感が否めない。いいけどさ。

 ロフィに紹介された俺は、ひとまず画面に向かって頭を下げておく。


『どうも、ご紹介にあずかりましたネモです。あの、俺の言葉分かりますか?』


 シヴは答えない。ただただ眼鏡の奥で細い目を見開き、画面の中で硬直している。

 あれ、もしかして言葉が通じてない?


『あー、日本語やっぱダメです?』


 参ったな。さっきのアサヒともう一回繋いでもらって、三者通話みたいなこととかできないんだろうか。

 そうメルクあたりに頼んでみようとした時、スピーカーから突如雄叫びが聞こえた。


「シヴさーん!? えっえっ、何? いきなりどうしたの」

「どうしたじゃないよロフィちゃんんん! わ、わわ、え、本当? ドッキリか何か? え、ほんとの本当に外界種の、原種オリジンじゃないか! この時代に!? 嘘なの? 本当だろうね! やったー!!」


 えっ、怖いんだが。何だよこの人。対面じゃなくて良かった。これ、普段からこのテンションなのか? 見るとメルクだけでなくグラフェンすらも目を丸くしている。どうやらイレギュラーはイレギュラーらしい。


 シヴは興奮して椅子から勢いよく立ち上がり、そのまま椅子を吹っ飛ばしたようだ。それを拾ってくるのを待ってから、俺は恐る恐る再度交流を試みることにした。


『あ……っとぉ、えーと? 俺の言葉は、その。通じてるんすか、ね?』

[『分かる! 分かるよぉ! 感動だなぁ、今まで勉強してきて良かった! これはねキミ、歴史的瞬間と言っても過言ではないんだよ! なんて幸運なんだろうか! 僕が! キミのような存在と! こうして、会話しているぅ!!』]

『え、あ。そう、ですか。良かったです。あの、ちょっと落ち着いて』


 アサヒも会話にならない人だったが、このシヴも大概だぞ。音割れしてないのだけが救いだ。もしもアサヒの使ってたマイクで今の音量で喋ってたら、俺達の鼓膜は大変なことになっていただろう。


『あの、俺何でこんなとこにいるか分かってなくて。なんでも変な霧の中で発見されたらしいんだが、あんたそれについて何か知ってるか? 俺が最後に歩いてた場所にも確かに霧は出ていたけど、それとこれとが関係あるのかすらさっぱりだ。それからほら、あんたらがさっきから言ってるあれ、外界種ってやつ。それもよく分からない』


 シヴのノリに付き合うのも疲れるので、とりあえず聞きたいことをまとめて一気に捲し立ててみた。聞きすぎか、とも思ったがどうせ聞くんだし。まあいいだろう。

 初めこそハイになっていたシヴだが、俺が話している間はうんうん、と相槌を打ちながらきちんと聞いてくれた。


[『そうか、分かった。そういうことなら僕の知ることの一部をキミに語ろうじゃないか。あぁ、記録の番人として誇らしいよ』]

『よろしくお願いします』


 まだ酔ったような振る舞いは残っている一方、シヴはだいぶ穏やかさを取り戻してきた。これなら会話になりそうだ。ありがたい。


[『それでは、改めてようこそネモくん。キミの為に、この世界における歴史の授業を始めるとしよう』]

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