第10話

 ミュゼットは久々に台所に立ち、酵母の瓶を開けた。

 冬の足音が近づく近頃は、酵母の育ちが遅い。しかし、酵母が使えないわけではない。酵母で元種をつくり、小麦粉や材料を混ぜて生地をつくり、作業台で生地を捏ねた。

 何の因果かジョフロアは新聞の連載小説を書き、杉崎湊人の代わりを努めた。巡り合わせなのか、ミュゼットは読者となっていた。

 ミュゼットはわけもわからず急かされるようにパンをつくり、柔らかい生地を目指して酵母を育ててきた。多分それは、ミュゼットが自身の経験を活かして、田中歌子と湊人が交わした約束を果たすためだ。そう信じて、ミュゼットは歌子と湊人の約束のパンを再現する。

 翌日、発酵が終わり焼成を待ちながら、ふたりで新聞を読む。連載小説は今日も掲載されている。原稿はまとめて提出したから問題ない、とジョフロアは言っていた。

「第2王子のこと、書かれていない」

 第2王子行方不明の続報は、ない。外出しても、捜されている風も、ない。

「第2王子など、存在しない」

 ジョフロアが呟いた。

「東の果ての国と関係を結び支配するために、その国の女を側室としてかどわかし、子を産ませて人質としたのだ。第2王子など、体裁を整えるための口実だ」

 自虐するような口ぶりに、ミュゼットは返す言葉がなかった。

 焼き立てのパンを試食すると、ジョフロアは、目を丸くした。

「うん、こんな感じだ……美味しい。でも、中身があった。甘いクリームみたいなものが」

「カスタードクリーム?」

「そんなに柔らかくなかった。チョコレートとも、バターとも違う。砂糖は入っていたと思うが……」

 ジョフロアは腕を組み、台所の天井を仰いだ。

「実際に僕が食べたわけではない。せめて、食材がわかれば」

「今度は、ジャムを入れてみるよ。水分をとばして、固めにして」

「きみは本当に、パンをつくることが好きなんだな」

「夢のせいだよ」

「それだけじゃない。調理法レシピを考えるきみは、生き生きとしている。発想も豊かだ」

 直球で褒められ、ミュゼットは照れ隠しに俯いた。

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