5

 翌日、陽向は連絡を取っていた千宙と再会した。千宙のアルバイトが始まる前に、近所の喫茶店に集合する。カウンター席で、右側に陽向、左側に千宙。

「そんな不機嫌な顔しないでよ」

 ストローでアイスティーに口をつけ、千宙が呆れた顔をした。

「そもそも、なんでこいつがいるんだよ」

 大袈裟に苦い顔をしながら、陽向は千宙の向こうに顎をしゃくった。彼女を隔てたその席には、何故か当然のように葛西祐司がいる。自分のアイスティーを一口飲み、彼はへらへらと笑う。

「示し合わせてないのに同じもの頼むなんて、千宙ちゃんとは気が合うね」

「おまえふざけんなよ」

「ちょっと陽向、落ち着いてよ」

 千宙に促され、陽向は渋々自分のアイスココアにストローを挿した。喉に絡む甘味に、失敗したなと思う。

「祐司くんも陽向のこと心配してたんだから。もう一回会いたいって言ってたんだよ」

「俺は別に会いたくないけど」

「もー、せっかくなのに」

 何故か葛西祐司がこのやり取りを見て笑う。まるで年上らしい余裕が憎たらしい。

「陽向は完全に千宙ちゃんに敷かれてるなあ」

 咄嗟に反発の言葉が出ず、黙って彼を横目で睨むが、背を千宙に叩かれてしまう。

「お似合いだと思うよ。けど、二人ともあまり恋愛に傾倒するタイプじゃなさそうなのに、よく付き合うようになったね」

 たまに言われることだった。「彼女いるの?」と意外な顔で言われることがある。彼らも祐司と同じように思っていたに違いない。

「まあ、中学の時、ちょっと」

「そのちょっとって、すげえ気になる」

 ほっとけと言いかけたが、あまり無下にして千宙に文句を言われるのも不愉快だ。視線を向けると、千宙は笑って肩をすくめ、代わりに話し出した。

 望月千宙は中学二年時の転校生で、陽向と同じクラスに入った。接点はそれだけで、最初は言葉も交わさない、存在するだけのクラスメイトだった。

「その時のクラスが、あんまり良いところじゃなかったの」

「いじめとか?」

「まあ、そんな感じ」千宙は祐司の言葉に曖昧に頷いた。「不良が好き勝手してるクラス」

 不良グループは転校生の千宙に目を付けた。あまり周囲と関わらず、冷めた雰囲気を持つ彼女をターゲットと決めた。年齢より大人びた彼女の態度が気に入らなかったのだ。

「私、生まれつき耳が弱いから、それもあったみたい」

「え、耳って?」

 千宙は髪を耳にかけ、祐司の側にある左耳を指先でつついた。肌色の補聴器を目にし、彼は驚きの表情をする。彼女のこの障害が両親に見放される一因となったことを陽向は知っているが、当然黙っていた。

「知らなかったなあ。その、補聴器つけてたら平気なの」

「うん。生活するのに支障はないよ。けど、思春期ってみんなと違う人を特に嫌うじゃない。学校っていう場所は特にそう。浮いてるものは排除しようとするの」

 思春期只中の彼女は当然のように言ってのける。祐司はそうかもしれないと頷いている。どちらが年上かよくわからない。

「通学路に大きな橋があって、そこで絡まれてた時、偶然通りかかったのが陽向だった」

「なるほど、それで不良たちをやっつけたんだな」

「無理に決まってるだろ」

「それでね」

 左右の二人を気にせず、千宙が先を続ける。陽向もその日のことは昨日のように覚えている。

 橋を通りながら、クラスメイトが放ってくるものを咄嗟にキャッチしたが、それが補聴器だとはすぐに分からなかった。彼らに囲まれている望月千宙が耳を抑え、悔しそうに唇を噛んでいるのが見えて理解した。不良の一人が、手すりの外にそれを投げるジェスチャーをし、彼らが望んでいることを悟った。これを川原に放り捨てれば、いじめの片棒を担いだことになる。

 嫌だよ。そう言うと、彼らは一様に驚いた表情を見せ、口々に脅し始めた。俺たちに逆らうのか、痛い目見たいのか。漫画やドラマでしか聞くことのない台詞を口にしながら一人が近づき、唐突に顔を思い切り殴ってきた。そいつは取り上げた補聴器を躊躇なく橋の下の川原に投げ捨てた。

 一気に空気が白けたことに悪態をつきながら、彼らは二人を置いてどこかに去っていった。一発で済んだのは幸いだった。相手は尖った小石を握っていたのだ。陽向の切れた片目の上からは、真っ赤な血が流れていた。

「それ、今も残ってる傷か?」

 祐司が口を挟み、陽向は目の上を軽く押さえて頷く。白い小さな傷は痕となり、二年が経った今でも消えていない。

 怪我をした翌日も陽向はいつも通り登校したし、千宙も同様だった。放課後に補聴器を探すため、千宙は川原で背の高い草をかき分けたが、そこにやって来た陽向とは一言も言葉を交わさなかった。

 日が暮れるまで、二人で雑草だらけの川原を探し回った。千宙はなんとしても、補聴器を取り戻さねばならなかった。買い直す費用を考えれば、とても祖父母に相談などできなかった。

 二日が経ち、三日が経ち、四日目となり、もしかすると誰かが蹴とばして川に落としてしまったかもしれない。野良猫が拾ったり、子どもが踏んで壊したかもしれない。そんな想像は否が応でも頭の中を支配した。

「でもね、陽向が見つけたの。私のところに寄ってきて、見つけたって言って。すっごい仏頂面して」千宙は思い出し笑いをする。「恥ずかしかったんだろね」

「千宙だってひどいこと言ったろ。俺覚えてるぞ」

「何て言ったんだ」

「ありがとう。でも、私はほだされないから。あんたが勝手にやったことだから……って」

 ひえ、と祐司が大袈裟な声を出した。「千宙ちゃん、随分キャラが違うなあ」

「あの頃は誰も信用できなかったんだもん。この人が弱みに付け込んできたら、とか考えちゃったの」

 すっかり氷の解けたアイスティーを、千宙はストローでくるくると混ぜる。

「あの時は、私も素直になれなかっただけだよ。陽向はそれからも私に無関心だったから、こっちから近づいてあげたの」

「あの時って、今も素直じゃないじゃんか」

 文句を言うと、千宙はこっちをちらりと見て、いたずらっぽく笑った。

 事件の後、彼女はお詫びだと言って袋いっぱいの駄菓子を渡してくれた。素直になれないだけで、本当は感謝をしていることが痛いほど伝わった。いつの間にか仲良くなり、翌年には自然と付き合うようになった。

「なるほどね」祐司は頬杖をつき、にやりとする。「こりゃあ、俺の出る幕がないわけだ」

「おまえ、まだそんなこと言ってんのかよ」

「納得したって言ってるだけだろー。頭の固いやつだなあ」

 不貞腐れる陽向を見て祐司が笑い、千宙もくすくすと笑っている。何だよ、二人して。そうぼやきながらも、最初に持っていたはずの不快感は綺麗さっぱり消えていた。まだこの二人と過ごしていたい。そんな気持ちになった。

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